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沖縄民謡「安里屋ユンタ」のルーツはインドネシア?:一戸信哉の「のへメモ」20220402

今週4/1の敬和キャンパスレポの放送は、沖縄特集でした。私の担当した授業に関して、受講してくれたMCたちと一緒にしゃべりまして、たっぷり1時間超、現地に行けなかったけどいろんな側面を学んだ、かなり濃度の高い授業の内容をお話ししました。この時に書いた記事は以下にまとまっています。青い空と海だけではなく、戦争と基地だけでもなく、さまざまな側面を学びました。現地に行くことはできませんでしたが、行く前の事前学習としては結構なボリュームだと思います。

1時間しゃべった内容も、放送ではほとんどカットしてしまいましたが、このあとウェブではノーカット版を公開予定です。

竹富にルーツのある「安里屋ユンタ」

さてこの日の曲は、「沖縄民謡」の「安里屋ユンタ」。「沖縄民謡」の定番とされていますが、調べていくとなかなか奥が深いです。まず「沖縄」といっても八重山、竹富島にルーツがあるとされています。もともと竹富の人々の労働歌(「ユンタ」というのは労働歌の名称だそう)で、竹富島の絶世の美女・安里屋クヤマを見初めた下級役人が、彼女求婚するも上手に断られてしまうと内容だそう。クヤマさんの生誕の地や墓も残されているということを知りましたが、以前竹富に行った時には、見た記憶がありません。

この安里屋ユンタ、古謡のままでは内地人にはほとんど理解不可能であったところ、標準語の歌詞に直したのが、当時石垣の白保尋常高等小学校の代用教員であった星克さんでした。1934年のことです。作曲は宮良長包さん。このときの曲がコロンビアレコードで録音されて、全国で知られるようになり、現在も歌われているものになります。ただ歌詞もオリジナルとは相当異なっていて、古謡と区別するために、「新安里屋ユンタ」と呼ぶこともあるそうです。

「沖縄民謡」としてスタンダードナンバーとなった「安里屋ユンタ」を作詞した功績により、石垣の白保公民館には、安里屋ユンタの歌碑が建てられています。星さんはのちに琉球政府の立法院議員に転じます。

放送の中では、現代的にアレンジされた上間綾乃さんの曲を使用しましたが、ほかにもさまざまなバージョンの「安里屋ユンタ」が作られています。


比較的オーソドックスなアレンジに聞こえるのがネーネーズでしょうか。


少し現代的にアレンジされたものでいくと、ほかに、夏川りみさん、Beginなど、たくさんみつかります。多くの人々にこの曲を親しまれていることがよくわかるわけですが、同時に1934年にレコード化した、星克さんや宮良長包さんの働きが、たしかに大きいとも感じるところです。

この歌のルーツはインドネシアに?

星さんが標準語に翻訳した歌詞の中で、一部だけ方言がそのまま生かされているところがあります。「マタハーリヌ ツィンダラ カヌシャマヨ」。繰り返し出てくるフレーズが、インドネシア語に起源を持つのではないか。そういう節があります。いわれてみれば、「マタハリ」とか「チンタ」とかは、インドネシア語やマレー語にある単語ではないかと思わされます。「Cinta」は「愛する」という意味なので、歌によく出てくる単語ですね。「Matahari」は「太陽」という意味だそうで、インドネシアにはマタハリというデパートもあるそうです。

「マタハーリヌ ツィンダラ カヌシャマヨ」をインドネシア語で解釈すると「太陽はあなたを同じ様に愛しています」というような意味になるのだそうです。

海を通じて、ジャワやマレーと沖縄・八重山の間に行き来があったことは、いろいろなところからうかがえるようですので、その点からも、この曲のルーツについての関心が高まります。

ただ、八重山の言葉の訳としては「また会いましょう 美しい人よ」だそうで、「太陽はあなたを同じ様に愛しています」とはちょっと違いますね。この歌がインドネシア語だというのは、まあ少し想像を膨らませ過ぎなのかもしれません。安易な断定は避けるべきだと思いますが、八重山からインドネシアへと通じる海の道、人々の交流が盛んだった時代について、いろいろと思いを馳せることはできそうです。

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