見出し画像

【読書記録】愛着障害は何歳からでも必ず修復できる/米澤好史

2024年7月1日〜2日

先へ先へ、貪るように読んだのに、内容が深過ぎて、どう言葉にしたらよいのか未だにわかりません。

今日も、夏休みの部活のことで、ツムギが好き勝手なことをしようとしたので、ちょっと注意をしたら、わーーーっと言い返されて、最後は「なんでケイトに怒られなきゃいけないの?」と言って、部屋の扉を閉められてしまいました。

悲しい。
今日は本当に涙が出ています。

さっきまでは怒り心頭で、夜勤の夫に愚痴LINEを送っても気が収まらないほどでしたが、今は泣けてきます。


運動部の入部条件のひとつに『休まないこと』とあったはずなのに。
夏休み中も、週に1〜2日は休み、お盆も5連休、練習は3〜4時間、十分に時間はあるはずなのに。

それでも夏休みのスケジュールと共に『欠席届』が配布され、予め休む日を知らせることができるようになっていて、昭和の私からすれば、至れり尽くせり。

シフト勤務の夫のスケジュールを想定しながら、この日1日休ませれば、家族旅行にも行けるかしら?なんてワクワクしていたのに。


まだ、何も家族で相談していなかったのに、ツムギは自分で3日も休みを記入して、「SRちゃんと勉強会をする」と平然と言うのです。


ツムギの理論は、オフの日にSRちゃんとの予定を入れたら休みがなくなるじゃないか!勉強が優先じゃないか!夏休みにこんなに部活があること自体がおかしいじゃないか!予め欠席の日を連絡するんだから何も悪くないじゃないか!


SRちゃんは小6のときに一番仲良くしていた子で、私立に行ってしまった子。
ちょっと、ツムギに依存している感じがして、私も夫もあまり歓迎していない子。

久しぶりに会うのに、勉強会をすること自体、我々には理解できないし(だいたい勉強なんてしないと思うし)、計画するなら、部活が休みの日にすればいい話。
百歩譲って、部活のスケジュールが発表される前に約束してしまっていたならいざ知らず、スケジュール表を見ながらそんな計画を立てることが納得できないのです。


好きか嫌いかだけで判断するツムギ。

今の時代はそれで良しなのだろうか?


本がうまく消化できないのは、『愛着障害』を支援する方法はなんとなく頭に入ったとは言え、日々やってくるこんな出来事にどう向き合ったらいいのか、未だ途方に暮れてしまうからです。


まず、『感情発達の障害』が、頭ではわかるけれど、やっぱりピンとこない。

『特定の人と結ぶ関係』が『情緒的』な絆を結び、感情を育てるそうなのですが、そもそも私たち自身、そうやって感情を育ててもらったという自覚がないので、『感情発達』に障害があることを理解するのが難しいのだと思います。

それでも、それを知る前と知った後では、感情が未熟であることは、ツムギの責任ではないと思える分、私自身を抑えることができるようになってきましたが。


サポートをする『キーパーソン』をひとり決めて、そこから『特定の人と結ぶ関係』をやり直すことが必要と言うことなので、ここは私が『キーパーソン』になることが一番適任だと思うのですけれど、何度も行きつ戻りつする支援は、今までもそうだったように本当にしんどいものなのです。

『キーパーソン』が主導権を握り、先手で支援することが必要。

『キーパーソン』と『同じことをした』(行動)、『同じことが起こった』(認知)、そこで『お互い同じ気持ちになった』(感情)ことが学習となり、その感情にラベリングをしていってあげるのだそうです。

ネガティブな感情になったときには『特定の人』が守ってくれて、『特定の人』といると『落ち着く』『ホッとする』などポジティブな感情になる。
そのふたつが基盤となって、『特定の人』から離れて行動しても、そこで起きた出来事を『特定の人』と感情の共有ができること。

そうやって人は自立していくのだと著者は語っています。


まだ上手く噛み砕けないので、この本はこれから何度も読み直し、また、得た気づきも少しずつ足していこうと思います。


『愛着障害』って、幼少期を共に過ごしてきた親子関係であればあるほど受け入れにくい概念だと思うのですが、時代背景的に増えてきていると他の記事でも読みました。

私は、ツムギともう一度向き合うことで、それがツムギに対する支援になることを願っています。

行きつ戻りつ、悩みながらですけれど。

怒りが、すぐに悲しみに変わったところをみると、私の心持ちにも、変化があったのではないかと思いたいです。


いつもに増して、不安定な文章になってしまいましたが、少しずつ整理していきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?