横浜ベイスターズ暗黒時代からの感動の再生物語
日本のプロ野球の球団に横浜ベイスターズというところがあります。
1998年くらいに佐々木主浩をクローザーとして日本一に輝いたのですが、そこから球団とフロント(親会社側)が揉めに揉めて凋落の一途を辿っていきます。
その内幕を解説した動画があるのですが、本当に胸糞が悪くなるような暗黒時代に横浜ベイスターズは突入していきますが、それだけで終わらずDeNAになってから暗黒期を脱出し、再生に至るまでの道のりも必見です。
横浜ベイスターズ、まったく興味なかったけど98年優勝から最近までの暗黒期を克服した茨の道の話を知ると一気に好きになっちゃったな。
— 虚無 (@keito_mrww) August 22, 2021
組織はトップで決まるんだと思いました。https://t.co/csctz1i863
・ベイスターズ暗黒期
ベイスターズで一体何が起こっていたのか?という詳細については上記の動画を見ていただくとして、これらをざっくりまとめると、
・次世代を担う選手の育成を怠った
・球団とフロントがきちんと協力して体制を築かなかった
・フロントの独断で球団人事を実行
が悪魔合体した地獄のような状況でペナントレースを走らざるを得ず、当然のごとく順位は低迷。
とどめの一撃で、選手会長、正捕手、首位打者まで多くの主力選手がチームを去ることとなります。
・転機 DeNAベイスターズへ
そうした中、親会社がDeNAというIT企業に交代したことが転機となり約10年に及ぶ暗黒時代に終わりを告げることになります。
TBSからDeNAへの球団引き渡しの打合せの最中、「我々と同じ失敗を繰り返さないでください」とTBS社員。自分たちが球団を腐らせていると分かっており、心を痛めている社員もいたそうです。
そして再度、球団トップもフロントも刷新して再建がスタートするだけですが、DeNAから送り込まれた春田オーナー、池田社長、高田GMは現場のひどさに唖然とし、これから乗り越えるべき壁の高さを認識するのでした。
新監督として中畑清を招聘しますが、フロントと現場の関係の修復、メディア発信による球団への注目度アップ、ファン増加のための施策、ルーキーの筒香を我慢強く起用し続け次世代選手の育成、などペナントレース以外の部分でも本当にチームのために尽力していただいたと思います。
そうした地道な努力が結実し、ベイスターズは2015年、約2900日ぶりに単独首位に立つことになります。(ここまで長かった、本当に長かった。。。)
谷繁も、相川も、内川も、村田も、こんなボロボロのチームが嫌で移籍したんだろうなと今になって思います。
どんなスポーツもそうですが、打撃にだけ秀でていてもプロ同士の勝負では勝つことはできません。投打がバランスよく噛み合って初めて勝つことができます。
その投打のバランスを決めるのは球団トップの仕事であり、どちらかに偏ったままではペナントレースを勝ち抜くことはできません。首位打者と本塁打王を擁しながらペナントでは圧倒的最下位に終わった2008年が好例です。
そしてすべてが崩壊したベイスターズを、根気強く再建していただいたDeNAの春田オーナーと池田社長の功績は永遠に色あせることはありません。
私自身も、ミドルマネージャーとしてこの事例を他山の石として、仕事に役立てていこうと強く思いました。
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