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つれないつり(10) セイゴ

大阪にいてどうしても釣りに行きたくなったときは安治川の河口で釣りをする。両岸は工場地帯で、水は錆びた緑色をしている。生命を拒んでいそうな液体が流れているが魚影は濃い。うまくいけば1日で5本も釣れることもある。(私も釣りがうまくなった)。とはいえ、釣り上げても食べる気にはならない。

「くさかちゃん、おれも釣りに連れってや」

私が釣りをすることを知ったOさんはことあるごとに言ってきた。Oさんについては説明が長くなるがそれだけの価値はあるので紹介させてほしい。

Oさんは東京の大森で生まれた。生後すぐに父親が蒸発し、母親に育てられた。母親はラブホテルを経営していたので、Oさんもラブホテルに住んでいた。小学校に入り、家庭訪問をした担任の先生にラブホテル住まいは教育上よくないと言われ、小3で一人暮らしを始めた。部屋には友達が入り浸った。小5で初体験をした。小6で暴走族に加入した。中2でやれることはだいたいやった。高校の入学式で、襲いかかってきた上級生を血祭りにあげて1日で退学した。それから工事現場の仕事を経て鳶職になった。重量鳶という大きな物を扱う鳶職で、腕がよかったのと暴走族で培った人材管理の能力が買われて大きな仕事を任されるようになった。独立後、年商3億円の会社に。車2台とクルーザーを所有し、遊びに遊んだ。所有していたクルーザーでよく釣りに行っていたそうだ。今まで釣ったシーバスは最長90センチだという。しかし、30代後半で膝を壊して、歩行が困難になってしまった。重量鳶の激務が要因だ。それから、一気に転落が始まる。歩けないことで鬱になり、アルコール依存症になってしまった。そして、生活保護になってしまった。今は西成のアパートで暮らしている。Oさんと会ったのはよく行く飲み屋のピカスペースだ。いつも酔っていて顔が真っ赤である。小動物のように隅っこで座っている。話を振ると話すが、基本、何も話さない。しばらくすると、痛そうな足を引きずりながら、フラフラと帰っていく。

ある日、自転車で走っていると公園の前のベンチでたむろするOさんがいた。いつもは店で夜会うが今日は真っ昼間だった。

「Oさん、何してんの?」

「物件紹介してるねん」

街で行き場を失ったように見える人間に賃貸物件を紹介するのだ。紹介する相手は生活保護受給者に限る。毎月、きちんとお金が入るので家賃の取りっぱぐれながない。生活保護受給者は優良な顧客なのだ。斡旋が成功すると、Oさんは紹介料をもらう。Oさんは誰かいないかと公園のベンチで張っていたのだ。荷物をたくさん持って歩いている人、どこかネジが抜けてしまったような人、そんな人に声をかけている。

ある時、珍しくOさんから電話がかかってきた。

「今からピカにこれる?」

私も物件を紹介されるのだろうか。とはいえ、めったに電話がないので何か大事なことがあるのだろうとピカに行くとOさんがうれしそうに待っていた。

「くさかちゃん、これあげるよ」

 Oさんはルアーがたくさん入ったタックルケースを4つ私にくれた。

 「これ、おれが使ってたやつ。他は解体の仕事してる友達が拾ってきたやつ。
  今度釣りに連れてってな」

Oさんが使っていたタックルボックスには、使い込まれたいいルアーが入っていた。しかも、大きなサイズのルアーが多い。Oさんは本当に大物をあげていたんだろう。

ルアーをもらったお礼にとOさんと釣りに行った。いつも飲んでいるOさんに「お酒飲んできたらあかんで」と言っておいた。酔って海に落ちたら大変だ。

車でOさんをピックアップした。Oさんは約束通り飲んでなかった。それでもフラフラしているから心配なのでライフジャケットを渡した。いらないと断られた。いつもより顔がしっかりとしている。獲物を狙う目だ。Oさんはあまり歩けないのでできるだけ駐車場から近い釣り場を選んだ。

釣り場についた。Oさんは夢中でキャストをする。投げ方も巻き方も手慣れたもので、90センチを釣ったというのも嘘ではなさそうだ。(よく釣り人は釣った魚の大きさで嘘をつく)。Oさんは別人のようにしっかりしている。海に落ちることもなさそうだ。安心した私は少し離れたポイントへ移動してキャストを続けた。
 
「くさかちゃーん!きたわー!」

Oさんの大きな声が聞こえてきた。急いで駆けつけると竿が大きくしなっている。魚が水面をジャンプする。Oさんは手慣れた竿さばきで魚の攻撃をかわしている。私はタモを横で構えてドキドキしていた。Oさんは久しぶりの釣りにかかわらず落ち着いている。魚が岸に寄ってきた。魚はタモに入った。私は岸に魚をあげた。シーバスだ。50センチは超えている。
 
「やったね~!Oさん!」

Oさんが数年振りに魚を釣った。Oさんはとてもうれしそうだった。自分が釣ったよりもうれしかった。私はその日、ボラしか釣れなかった。

それからOさんと何度か釣りに行くことになった。釣れない日もあれば釣れる日もあった。Oさんの足はその日によって調子があり、たくさん歩ける時もあれば、立っているだけでつらいときもあった。足の調子にあわせて釣り場を選ぶ。その日は足の調子がよくなさそうだったので、車を釣り場の真横につけられる港に行った。

私はOさんを置いて、港の先の潮通しのよいところでキャストをした。何度か投げるがアタリはない。防波堤のいちばん先まで行きたかったが、そこでは男が座っていた。ビジュアル系バンドでもやっていそうな、くしゃくしゃの金髪にタイトな黒いジャケットと細身のパンツをはいていた。竿も釣り道具も持っていない。釣りをしているわけではなかった。夕日を見て黄昏ていた。彼の近くで釣りをしたかったが邪魔をしてはいけないので少し離れてキャストをした。

「ひゃ!」

 金髪の男が声を出した。 ルアーを回収してまたキャストした。
 
「ひゃ!」

男はまた声を出した。手で顔をガードしている。ルアーが当たるんじゃないかと怖がっているようだ。とはいえ、10メートルほど離れているので怖がるほどの距離ではない。

「ひゃ!」

 投げるたびに声を出す。どこかへ行けというプレッシャーなんだろうか。

 「絶対当たらないんで大丈夫ですよ」

私は腹立ちまぎれに言った。男は安心したようだ。それから私の方をじっと見るようになった。私も男と会話したことをいいことに、ジリジリと男の方に近づいていった。いいポイントで釣りをしたかったからだ。すると、アタリがあった。最初だけ威勢がよかったが巻いてみると軽い。30センチほどのセイゴが釣れた。
 
「Oさん!釣れたでー!」

私は大声で呼んだ。Oさんは痛い足を引きづって、急いで私の方へ歩いてきた。金髪の男も近づいてきて魚を見た。

「これはなんですか?」

金髪の男が聞いてきた。

 「セイゴっていう魚なんです.。スズキの小さいの」

見やすいようにと男に魚を近づけた。
 
「ひゃ!」

大声を出して後ずさりした。

魚をリリースし、釣りを続けた。Oさんも私の横で釣りをしている。金髪の男は魚を見たことがとてもうれしかったようで、私の方を笑顔で見守っている。視線を感じながら釣りをしていると、男が近づいてきた。

「これ、いりますか?」

ペットボトルを私に差し出した。『お~いお茶』の中には乳白色の液体が入っていた。ミルクティーだろうか。自分で作ったものをペットボトルに入れて持ってきたのだろうか。

「大丈夫です。ありがとうございます」

私は丁寧に断った。男は真横で釣りを見ている。今度は本当に危ない距離だ。でも「ひゃ!」ともなんとも言わない。彼が怖がっていたのはルアーではなく人間との心理的距離だったのだろうか。アタリがないのと、男が隣にいて投げにくいので、私は少しずつ男から距離を離していって、岸の方へ戻った。私と入れ替わってOさんが突堤の先端に行った。私は岸壁の際ギリギリを攻め続けた。釣れそうな予感がぷんぷんする。

Oさんが気になったので見てみると釣竿を地面に置いて、座り込んで男と話している。なんだか仲が良さそうだ。私は、岸壁を攻める。ちょうど岸壁ギリギリにうまくルアーが着水した。

「ひゃ~!!!!」

突堤の先から大きな声が聞こえた。男が走って逃げていく。私には目もくれず、私目の前を走り抜けていく。まるで「あぶない刑事」の柴田恭兵のように軽快にジャンプしてフェンスを越えて、走り去って行った。

何があったのだろう。突堤の先に座り込んでいるOさんの方へ向かった。

 「何を話したん?」

 「物件紹介したんやわ」 

私たちはしばらく釣りを続けた。突堤の汚いコンクリートの上に「おーい!お茶」のペットボトルが置きっぱなしだった。

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