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酒に飲まれる反面教師

俺は一体いつからお酒が弱くなったのか?

酒を呑んで初めてベロベロになったのは小学校に上がった頃かその前か。
祖父が買ってきた養命酒を一瓶開けてしまったのだ。


そして酔っ払って灰皿の上でちり紙を燃やして遊んでいて、熱による膨張で灰皿が大爆発。
目の前で手榴弾が炸裂したような状況となり危うく大惨事に(顔面に破片が突き刺さりまくってそれだけでも十分惨事だが)


その結果、祖父に全裸で縛られ物置に逆さ吊り(笑)


自力で縄抜けをして物置から脱出し、裏庭の方から大きな通りに裸のまま飛び出して、のちに俺が忍び込んでライフルを手に入れた某事務所の辺りの夜道をトボトボと歩いていたら通りかかったパトカーに捕まった。

顔面傷だらけの全裸の子供が泥酔しながら歩いていたのだ。
さぞかし警察官も驚いたことだろう(笑)

家に連れ戻されて祖母と一緒に祖父に謝って一件落着。
今の時代ならヤフーのトップを飾りそうな案件だが、悪いのは明らかに俺。
「縄抜けしやすいように緩く縛ってくれたんだからね!(笑)」と言いながら俺の顔に薬を塗る母。


これが初めての酒であり、初めての泥酔。最初から強烈すぎる。


この件があってからはバレないように少しずつ飲むということを覚えた。
飲まないという選択肢はなかったらしい。
ウイスキーボンボンのウイスキーだけ全部飲んじゃって怒られたこともあったなぁ。

こいつは将来酒飲みになるぞ!なんて言葉があるけれど、俺の場合はすでに酒飲み。
梅酒の焼酎、きちんと蓋されてなかったから半分蒸発しちゃったと言っていた祖母。
ばあちゃんすまない。犯人は俺だ。


初めてビールを飲んだのが小学5年生の時の正月。
正月だからと許しを貰って一杯飲んだが、正直「なんだこれ?」という感想しかなかった。

苦いとかじゃない。アルコールが弱すぎる。

養命酒のアルコール度数が14度。
梅酒で20度くらい(漬けたばかりの時は35度以上)
それを想像していたので拍子抜けした。

「大人ってなんでビールなんて飲むんだろう?」
「大人になったら美味しく感じるんだよ」
「アルコールが弱すぎて酔えないのにね」
「え?」
「え?」

翌年の正月、ビールの大瓶3本空けてようやく納得。
ガバガバ呑んで少しずつ酔っていくという感覚を覚えた。いつしか俺は酒に強くなっていた。


中学の時も飲む機会があればちびちびやっていたが、高校に行ってから大爆発を起こす。
教科書は全て学校に置いといて、カバンの中身は全て酒。

ウイスキー小瓶にワンカップが2つ、それとブランデーや焼酎を詰め込んで家を出る。
俺のカバンだけがガラスがぶつかるカシャンカシャンという音と、チャポンチャポンという水分が暴れる音がしていた(笑)

これらを6時限目が終わる頃までにほとんど消費してしまう。
窓際の一番うしろの席でカーテンに隠れながらグビグビと。
帰宅後はバイトがあればバイト先で客が残した熱燗を飲み、休みの日はパチンコで稼ぎ、すすきので呑んで帰る。

クラスの仲の良い女の子とすすきのの居酒屋に行き、食べ物も食べずに生ビールを26杯飲んだ時は呆れられた。


・・・と、この当時は飲んだ生ビールの数まではっきり覚えてるほどしっかりしていた。
なので大抵女の子が先に酔いつぶれて、そのままお持ち帰りなんてことも可能だった。


そのツケを払う時は突然やってきた。肺と肝臓の経営破綻。


二十数年前、まだ会社に勤めていた頃の冬の朝。
チラチラ降る雪を見上げながらバス停まで歩きつつ、タバコに火をつけた瞬間だった。

初めてタバコを吸ってむせた時の比ではない。
火事で煙が立ち込める家の中に閉じ込められたかのような感覚。
呼吸が出来ない。

真っ青になって雪で濡れた歩道に跪く。

ゲホゲホ。何だこれは?
昨日まで冷えた夜空に煙をふっかけ悪態をつきながら咥えタバコで歩いていたはずだ。
何が起きた??

会社に着き、体が温まると症状は出ない。普通に吸える。
昨日はたまたま体調が悪かったのだろうと翌朝またタバコに火を点ける。
サイクリングロードの橋の上。

呼吸が止まる。もうむせることすら出来ない。

先に答えを書くけれど、重度の喘息を患っていた。
しかしなんと俺がそれをわかったのは7~8年後のこと。
それまでずっと「冬にタバコが吸えなくなる謎の病気」にかかっていたと思っていたのだ(笑)

そしてこの喘息が俺の体質を大きく変化させた。

それまでの俺は、少し酔っても深呼吸さえすれば体内でアルコールを分解することが出来た。
どういう仕組みかはわからない。
それがいつの間にか出来なくなっていたのだ。


アルコールを飲むと血流が良くなり血管が太くなる。
血管が太くなると気道が狭くなり呼吸困難になる。
酸素が取り込めないとアルコールを分解できない。
アルコールが分解できないと更に呼吸困難になる。
以後恐怖の堂々巡り。


ここまでになっても俺はまだ病院にも行かず、この正体が何なのかを突き止めることができなかった。
そのまま結婚して子供が生まれ、数年経ったある日の夜、突然路上で意識を失った。

雪の上で軋むバスのタイヤの音で意識を取り戻し、ノドを掻きむしりもがきながらバスに乗り帰宅。
ヒューヒューとノドを鳴らしながら病院に駆け込んだ。

普段は3時間待ちも当たり前の大病院。
診察まで体持つかなぁと思いながら椅子に倒れる。意識はもう海の底。

予想に反して数十秒で看護婦達がやってきて、すぐに診察室へと運ばれる。
医者が大慌てで何かの機械を使い、俺の身体の酸素の血中濃度を調べていた。
朦朧とした意識の中で聞こえた「まずい!」という医者の声。

すでに酸素の血中濃度は致死量となっており、いつ逝ってもおかしくない状態らしい。
崖っぷちならぬ、完全に崖から飛び降り中。

ストレッチャーに乗せられ、ものすごい勢いでどこかに運ばれる。
運ばれていく途中俺の目に、事故か何かで脚がとんでもない方向に曲がって苦しんでいる青年がうつる。
俺を運んでる医者の「こっちが先だ!」という声で俺がどういった状態なのかようやく理解。あれよりもヤバいのか俺は。

治療してる最中に家族が呼ばれ、気がつけば皆の「大丈夫?頑張って!」という励ましの声。
正直そこまで重症と考えていなかった嫁も、そして俺本人も驚いていた。


2時間後、喫煙所で勝利の一服。呆れる医者(笑)


正体がわかればこっちのもんだ。
アストフィリンという気管支を拡げる薬を常備し、酒とタバコをやればいい。

ここから更に数年後。

相変わらず飲んで歩いてあちこちで色々やらかしていた俺が、突然ワープするようになった。
家を出てすすきのに行くため地下鉄駅に向かって100mほど歩いていたら、ふと気がつくと家からあと50mのところを家に向かって歩いていたのだ。しかも夜になっている。
これには心底驚いた。

地下鉄に乗ってすすきのまで行って、酒呑んで遊んで、地下鉄に乗って帰ってくるまでの間の記憶がごっそりない。

もちろん初めての経験。
それからは海にいたはずが人通りの激しい札幌駅北口の地面で大の字に寝ていたり、知らぬ間にポケットに蒸したじゃがいもや唐揚げが入っていたり。
さほど飲んでもいないはずなのに。

10杯程度飲んだだけでこの調子。
随分と安上がりになったもんだと家族からは大歓迎。いや小歓迎くらいか。

「問題起こす前にさっさと酒に飲まれてどっかで寝てろ!」と嫁の声。

そうして今日も俺は嫁に拾われる。
俺の夢のひとつは子供らと語りながら酒を酌み交わす事だった。
いつの日かのそれを夢見ながら、今日もまた散歩しながらのひとり酒。


そんな俺を見て育った子供らは、一滴たりとも酒を飲まない。


追記
酒もタバコも二十歳から。
約束破ってボロボロになった奴が言ってんだから間違いない。



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