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家族からの手紙と迫る死の足音

0時になるとパタパタと看護婦さんの足音が聞こえる。
俺達を探しにやってくる足音だ。
入院患者がきちんといるか0時になると確認して回るのだが、俺がベッドの上にいたことなんて数えるほどしか無い。
大抵は灰皿の前。


かなり昔、19歳から20歳にかけて事故により長期入院していた時の話。
当時はまだ病院のいたる所に灰皿があって、夜になると俺はいつも1階の待合室にあった喫煙所で一服していた。
看護婦さん達ももう慣れたもので、一般患者の確認が全て終わった後、エレベーターを降りてスリッパをパタパタと鳴らしながら、俺のような不良患者達を確認しに喫煙所にやってくる。

「あんた達早く寝なさいよ」と言いながら指差し確認。
「一服したら寝るよ。で昨日よ・・・」とタバコを吹かしながら暇つぶしの噂話をする入院患者仲間。
俺も(ここにいますよー)と看護婦さんの姿も見ずに片手を上げて応える。

「まったくもう面倒くさいんだから」と言いながら、またパタパタと音を立てて去っていく看護婦に心の中であっかんべー。

もちろん本当に鬱陶しいわけではない。
感謝と敬愛の意味を込めてのあっかんべーだ。
長い入院生活、学校で言えば真面目な保健委員の女子と、やんちゃで怪我ばかりする男子のような関係のようなもの。


そんな長い入院生活をしていると、様々な人達、そして人間ドラマ、更には多くの「死」と向き合うこととなる。


ある朝灰皿の横のソファーで将棋を指していると、見慣れない顔のおじさんが挨拶にやってきた。
「今日からお世話になることになりました。私も将棋好きなんですよ。下手ですけど(笑)検査終わって昼ごはん食べたら一局指しませんか?」と愛想よく。

「またまたー!こういう人って絶対強いよKTちゃん」
「こっちも勉強させて下さい」と頭を下げる俺。
「いやいやいや!そんな事ないですから!では後で」

そんな会話をしながら将棋の続きをパチンパチン。感じの良いおじさんだ。
ちょっとゴロ寝して昼飯食い終わったところで、ウキウキと灰皿のあるソファーに向かう。
まださっきのおじさんはいなかったので、将棋盤を置いて駒を並べながらタバコを吸っていた。
おじさんの分も並べてあげよう。

右へ左へとせわしなく走り回る看護婦さんを横目に、どんな戦法と守りで行くか考えていた時、朝一緒に将棋を指していた入院仲間が血相を変えてやってきた。

「KTちゃん大変だよ!さっきのおじさん死んじゃった」

絶句。
言葉がまったく出ない。
さっき普通に話してたじゃないか。2時間半前に。
ようやく振り絞って出た言葉が「は・・・??」だった。

入院して挨拶して2時間半で死ぬってなんなんだよ。
まだ将棋してないじゃん。
約束したろ。約束守れよ・・・守ってくれよ。


人間とはいかに脆いものなのか。
死はそんなにも近いものなのか。


入院生活を長く続けていると、しばしばこういった事を目の当たりとする。
平穏で退屈な日々の繰り返しと思いきや、突然だ。
いやそれほど平穏でもなかったか(笑)

これだけ入院患者がいればやはり目立つ患者も当然いる(俺もその一人であったであろうが)
ここにもまぁうるさい名物婆さんが一人いた。

とにかく目が合えば文句と愚痴しか言わない。
それでいてあれ買ってこい!これ買ってこい!と他人を顎で使う。
たとえ相手が病気の子供だろうが脚に障害があろうが関係がない。
そして「ありがとう」の一言もなく「遅いわ。チッ!」

俺の祖母とは正反対の性格。間違いなく。

当然看護婦さんや医者にも八つ当たり。
「イタイイタイ!痛い!!殺される!助けてー!」
いつもこの調子だ。

家にいる頃からこうだったらしく、家族がほとんど会いに来なかった。相当嫌われていたのだろう。
実際家族と会うなり大喧嘩しているのを見た。
喫煙所でため息をつく息子と涙ぐみながら去っていくその嫁、そして八つ当たりされしょんぼりしてる子供。
いくらなんでもあんまりだ。

そんなだから家族がやって来る頻度も少なくなっていく。
それにつれて八つ当たりもますますエスカレートしていく。

会えば怒鳴り散らすだけなのでなるべく看護婦さん達も近づかない。
もちろん俺らも近づかないし、話しかけられても聞こえないふりをしたり、小走りで部屋の前を通り過ぎたり。

ここに文章で書くと俺達が冷たい人間だと思われるかもしれないが、本当に精神的に堪えられないレベルの攻撃だったのだ。
隣人トラブルで大声で叫び続けて捕まった人と同じような感じ。かなりきつかった。

気がついた時にはもう家族もお見舞いに来ることはなくなっていた。

それですっかり怒る気力までもなくしたのか随分とおとなしくなり、俺は内心ホッとしていた。
怒鳴り声の聞こえない病院の廊下はこころなしか明るく感じる。


そんな婆さんを唯一見舞うのは、ヘルニアの手術で入院していたちょっぴり、いやかなりガタイの良い長距離トラックの若い茶髪の女ドライバーだけだった。朝青龍より強そうな。
元気がなくなった婆さんを心配して部屋を覗いた時、もうすっかり動くこともできなくなって目やにがびっしりこびりつき、目も開けられなくなっていたのを発見したのだ。

かろうじて話すことはできる。
ただもう怒鳴ることは出来ない。

看護婦さんや女ドライバーが目やにをたびたび取るものの、目をこすることが出来ないのであっという間に目がふさがってしまう。
「前が見えないの・・・」
誰もいない病室でか細く助けを呼ぶ。
「看護婦さん呼んだよ」と言うと初めて聞く「ありがとう」

容態はどんどん悪化していく。
目に見えて身体が細くなっていき、もう怒鳴り散らしていた頃の面影はまるでない。
これはいよいよだと家族を呼ぶ。
家族の励ましがあれば元気も出て、もしかして回復するかもしれない。
こういった時、生きる気力を与えられるのはやはり家族なのだ。


しかしそれでも家族は来なかった。


病院からも、女ドライバーからも毎日何度も何度も電話した。
「直接声をかけて励ましてあげて下さい」と。
「会いたいって言ってますよ」と。
しかし答えは「行けたら行きます」つまり来る気がない。

病院側もこの家族だけを見るわけには行かない。
2時間半であっという間に人が死ぬこともあるのだ。
しかし女ドライバーだけはしつこく電話をかけた。そして時間さえあれば婆さんの手を握っていた。

再三の催促でようやく息子だけがやってきたものの、なんとちらっと様子を見るなり手紙だけを置いて去っていってしまった。

目やにで目が塞がっているのにだ。
これでどうやって手紙を読むことができるのか!!!

だから手紙は女ドライバーが読んであげていた。
息子からはありきたりなお見舞いの言葉。
そして孫からのちょっとしたメッセージ。最後に早く元気になってねと。
まあ普通の手紙だ。以前の婆さんなら破り捨てていたかもしれない。

だが婆さんは・・・何度も何度も「読んで」とせがんだ。

その度に女ドライバーが手を握りながら手紙を読んだ。
そして毎回喜び、涙を流す。
「お願いもう一回だけ読んで?」と幸せそうな顔。

それが一ヶ月ほど続いただろうか?
もう手紙がなくても暗唱できるくらい女ドライバーは手紙を読んでいた。
いくら呼んでも家族はお見舞いに来ない。新しい手紙を届けにも来ない。

それでもこの手紙だけが生きる気力の全て、そして希望だったのだろう。

最期は女ドライバーの手を握って婆さんは逝った。
「みんなお見舞いに来てくれたよ」と嘘をついた。
「ばあちゃん見舞いに来たよ」と他の入院患者も声をかける。
嘘だとバレたかバレていないかはわからなかったが、最期に少しだけ微笑んだように見えた。

世の中にはついていい嘘もあるのだ。


病院というところはこういうところだ。
いつ何が起きるか予想もつかない。
夜中に急患が運び込まれるのを喫煙所でタバコを吹かしながら何度も見た。

ダダダダダ・・という駆け足の音。
実はあれが死の足音なのかもしれないなといつも思っていた。
そしてそんな死の足音は、いつ誰のもとに向かってくるかわからない。
ゆっくり迫ってくるのか?駆け足でやってくるのか?


婆さんが亡くなってしばらくしたある日の夜中、俺はまた1階の喫煙所でいつもの患者仲間二人とタバコを吸っていた。
0時になりエレベーターがガーッと開く音が聞こえ、パタパタと看護婦さんがまた確認しにやってくる。

「あんなの切ないよなぁ」なんて会話しながら、パタパタの足音が止まった看護婦さんに「いますよー」と手を上げる。
しかしいつもの「早く寝なさい」という返事がない。

思わず「ん?」と顔を上げて皆振り向くとそこには誰もいなかった。

「え?」「あれ?足音・・・?」と言いながら3人で目を合わせる。
そんなバカな。聞き間違いだったのか?
そう思った瞬間だった。

パタ・・・パタ・・・パタ・・・

誰もいない待合室の喫煙所、というか目の前の床から足音がまた鳴り出した。
その足音はここからゆっくりとエレベーターの方へ戻り、分かれ道をエレベーターの方へ曲がらず、その先の廊下を真っ直ぐと向かっていった。

全員顔面蒼白。身体は固まって動けない。

「あの廊下の先って・・・」
「霊安室だよ」

おいおい・・・洒落にならんだろ・・・
とにかく一旦冷静になって落ち着こう。
タバコをもう一本吸ったら寝よう。

「誰かお迎えに来たんじゃねーか?」
「やめろよ・・」今その冗談は勘弁してくれ。
あれが死の足音なのか?死神ってスリッパ履いてるのか?(笑)

とりあえず聞こえたものはしょうがない。
この際もうこれはなかったことにしよう・・・としていたその時。


パタ・・パタ・・・パタパタパタ・・パタパタパタパタパタ!!


突然また足音が聞こえた!迫る死の足音!!


「うわあああ!!」と叫ぶ俺達に「1,2,3・・早く寝なさいよあんた達」と看護婦さん。
早速今あったことの話をしたら「怖がらせないでよこのバカ」とプンスカしながら去っていった。いや怖いのはこっちだっての。


その日以来俺達は夜中に一階でタバコを吸う習慣がなくなった(笑)
家族に「早く帰りたいです」と手紙を書こう。
俺の家は病院の隣だけれども。

隣ならわざわざ入院しなくても良くない?



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