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優しい微笑みにたぬき丼と満天の星空を

怒ったところなんて見たことなどない。
遊んでいるところも見たことがない。
いつでも優しくて、いつでも味方で、いつでも見守ってくれて微笑んでいた。
それが祖母、いや俺のおばあちゃんだった。


祖父は明治生まれの頑固者。
それでいてちゃらんぽらんで無謀で無鉄砲。
人に雇われた経験もない、つまりサラリーマン等になったことがない。
限定解除の免許を持っていて、その昔は大型バイクに乗って走り回っていたそうだ。

要するに俺は祖父とそっくりなのだ。

戦争なんてバカバカしい、こんなもん行ってたまるかと鉛筆などを買い込んでは学校に売りさばき、「俺は教育関係者だ」と言い張って(教育関係者は基本召集免除となるそうだ)戦争を免れた。
おかげで祖父が亡くなるまで電話帳の名前の横に「(教育)」という謎の文字が入ることとなった(笑)


大正生まれの祖母はおっとりしながらもしっかり者。
そして良い意味で芯の通った頑固者。根性があると言った方がいいか。
一度ついて行くと決めたから最期までついて行く。
一度信じると決めたら最後まで信じてくれる。優しさの塊。
つまりほぼのび太のおばあちゃん(笑)

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戦争時の空襲で防空壕に逃げ遅れてしまった時、これも運命だと覚悟を決めて、窓から飛行機の大群と降り注がれる爆弾を眺めていたそうだ。
ずっと向こうからそこら中が焼け野原になっていく中、自分の家とその周りだけ突然ピタリと爆弾がやんで、通り過ぎてからまた爆弾が降り注いでいったらしい。

この話を聞いた時、なぜだか妙に納得した記憶がある。
これが運命ならば神はこの人を殺せないし殺さない。
何の疑問もなくそう思った。

もし祖父が隣で一緒に見ていたら、いの一番で爆弾が家を直撃してたかもしれないとも思った(笑)


そんな俺の祖母。
冒頭で遊びに行ったことがないと書いたとおり、祖父と俺がドライブに行ったり旅行に行ったりする時も、いつも家で留守番をしていた。

祖父は毎晩のように遊びに行く。
昨日はススキノ、今日は友人と麻雀。明日はパチンコか映画か。
祖母を連れてどこかに行くなんて全く無い。
なのに祖父が数日帰ってこなくても祖母は怒りもしないし不貞腐れもしない。
帰ってきたら「おかえりなさい」と優しくにっこり。

そんな祖母があまりに不憫で、どこか遊びに行く時、パチンコ屋のくじで温泉旅行が当たった時とか、事あるごとに祖母を誘ってみては「おばあちゃんはいいからみんなで遊んでおいで」とやっぱりにっこり。
俺達が「楽しかった」と喜んでる姿を見られれば十分なんだと・・。


そうじゃないんだよなぁ・・気持ちはわかるし、ありがたいけど。
俺らこそおばあちゃんが楽しんで喜んでる姿を見たいんだ。


そうこうしているうちに祖父がとんでもない詐欺被害にあい、一家は離散してしまった。
ますます遠のくおばあちゃん孝行。
何かをしようと祖母のところへ行くたびに、結局お小遣いを貰って帰ってしまう(笑)


それから月日は更に流れて、俺は就職し初任給を得た。
どんなに金遣いが荒くてちゃらんぽらんな俺でも、この初任給の使い道だけは当然決まっている。

今日この日だけは絶対に付き合ってもらうよ。おばあちゃん。

祖母と母と一緒に地下鉄に乗る。
たったこれだけのことすら初体験だ。
俺と一緒におばあちゃんが地下鉄に乗ってる!不思議だ。

そして俺はそんなおばあちゃんをパチンコ屋に連れて行った。

なぜそんなところに?と思うかもしれない。
でも連れて行きたかったんだ。
祖父も子供らも孫たちも、みんなおばあちゃんを家に置いて遊びに行ってたパチンコ屋に「みんなこれでいつも遊んでたんだよ」って言いたかった。教えたかった。

行ったのは新さっぽろにあるパーラー太陽。

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(ちなみに就職した時の話で、眉間を割って血だらけになって警察を呼ばれた時に俺が転がっていたのはこの柱のところだ(笑)学生の頃に先生と鉢合わせしたパチンコ屋もここ)


祖母が打ったのは一番右のシマ手前にある「たぬき丼」
玉や役物の動きも楽しい羽根物。

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もちろん祖母はこれが生まれて初めて、そして結果最後のパチンコ。
ハンドルの握り方も玉の飛ばし方も当然わからない。
困惑する祖母の横に座って手を握り、一緒にハンドルを回す。

飛び出した玉を不思議そうに、そして楽しそうに見つめるおばあちゃん。
出る出ないなんて関係ない。
俺はもう、その顔を見ただけで十分だった。

だが帳尻合わせの神様は、そんなことでは許してくれない。

何十年と苦労を積み重ねてきた祖母。
その積み重なった苦労の分をどうやって労ってやろうか?と神様が全力を出してきた。

玉が狂ったように役物に吸い込まれていく。
洪水のように溢れ出てくる出玉。必死に玉を掻き出しても全く間に合わないほど。
「おいどけよ!俺がVゾーンに入るんだから!」
「うるせぇお前こそどけ!俺が入る!」
「俺がやる!」「僕もやる!」「私も!」「俺もだ!」
玉が束になって役物やチューリップに放り込まれる。

祝福。
神様達がまるでテレビ収録の観覧客くらいの勢いで拍手をし、天使達が野球の応援団くらい真っ赤な顔でラッパを吹いている。
ほんの数分で小箱2つほど玉を一気に吐き出したところで「怖いから代わって。もう十分だから」と言って俺と交代。

代わって打ってる俺のその様子を、後ろに立ってニコニコと見つめていた。
何も変わらない。変わってない。
日が暮れるまで遊んでいた俺を、空き地の隅っこからニコニコと見つめていた、あの日あの姿そのままだ。


結局初任給でたくさん遊んでもらうはずが、(ほぼ俺が)短時間遊んだだけの上、儲けてしまった(笑)
この後は直ぐ側にあるプラネタリウムへ。

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もちろんこれも初めて。初めてどころかこれから何が始まるのかもわかっていない。

程なくして場内が暗くなり、頭上に満天の星空が広がる。
祖母は驚きながらも微笑みながら星空を見ていた。

「昔見てた星空みたいだね」と祖母は囁いた。
「うん」と母と俺は頷いた。
その「昔の星空」は俺らはよくわからないけど、恐らく祖母が見ていた星空はこんな感じだったのだろう。

壮大な宇宙に流れ星。そして天の川。
「あの頃のね」
「うん」
「夜の」
「うん」

そう言って祖母はゆっくり目を閉じた。


少し間を置いて「母さん?」と母が言った。
「おばあちゃん?」と俺。

それ漫画とかでよくあるやつだから。
変な感じにならないでよ。冗談じゃない。

「おばあちゃん?」
少し声高になり周囲がざわつく。
「母さん!」
「おばあちゃん!」
皆、異変に気がつく。

「どうしたの母さん!」
「おばあちゃん!!」

もう星なんて見えない。



その瞬間だった。
パチっと目を開けた祖母は「寝ちゃったよ」と微笑んだ。
腰が抜けた。

恐らくこれが祖母にやられた最初で最後のいたずら。

寝起きのいい祖母があれだけ呼んで起きないわけがないもんな。
夜中トイレが怖くて、ちょっぴりぐずってしまった小さな頃の俺の声が寝てても聞こえ、いつでもすぐさま駆けつけてくれるほどだ。
寝てなんかいない。もしくは寝ててもすぐ起きられたはず。

この後どうしたのか、みんなで飯を食って帰ったのかどうなのかもまるで記憶がない。
それほどこの出来事はあまりにも衝撃的だったのだ。


それから数年後、すっかりボケてしまった祖母は俺のことも忘れてしまうようになった。
調子がいい時に「全部忘れてしまうのが怖い」と言っていた。
病院にお見舞いに行くと、俺のことがもう誰だかわからないのに「よくわからないけどお小遣いあげたいの」と2千円ほどくれた。
「そんなのいいよ」と断ると悲しそうに、「ありがとう」と受け取ると嬉しそうに。

そしていよいよもう反応すら出来なくなり、その数年後祖母は逝った。
間違いなく天国のVIP席へ。

最期はひ孫である俺の長男の手を握って、それからまだ赤ちゃんで少しだけぐずってる次男の手も握って。
その時だけうっすら目を開け微笑んだように見えた。
奇しくもこの日はその次男の1歳の誕生日。
まさに命のバトンタッチだ。見事な幕引き。さようなら。おばあちゃん。


ちなみに祖父は祖母がボケた後、祖母の面倒を献身的に見続けた。
これまでの全てを返すかのように。

その後祖母がお小遣いをくれていたあの病院に入院し、お見舞いに行くたびにこっそり「タバコくれ」と言っては喫煙所で一緒にバカバカと吸ってた。
「みんなに言うなよ」って(笑)

それでいて90過ぎまでボケもせずにしっかり生きたのだから大往生だろう。
最期の最期まで現役で仕事をしていた。こっちはこっちでバケモンだ。尊敬してる。
バスと地下鉄乗り継いで突然俺の家に来ては「今すぐメロン買ってこい!」とワガママ言って一万円札をよこし、一口だけかじって「帰る」とすぐに去っていく。
もちろんお釣りは全部そのまま俺に。粋な小遣いのあげ方だ。


そんな祖父が亡くなったこの病院も、現在はコンビニになってしまった。

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まーたこれだよ。
まあタバコを買うには祖父もこの方が都合がいいのかもしれないね。



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