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生まれついてのアウトローが就職した

他人を傷つけることは大嫌いだ。
自分がやられて嫌なことは絶対にしない。
何より曲がったことは許さない。

生まれてこの方それを貫き通してきたはずなんだけれども、それが誰かに認められたことなんてなかった。

今から40年以上も前の話。
保育園の用具入れの中でいたずらしていた6人の友達を注意していた。
小走りにやってきた先生が「何やってるの!」と怒り出し、内心「そら見たことか!」とほくそ笑んでいたが、先生がげんこつを落とした相手は俺だった。
その6人が俺を指差し「やれって言った」と嘘をついたのだ。

どんなに説明しても信じてはくれない。
その日は集合写真を撮る日だったのだが、俺は外されてしまった。
俺みたいな子はいない方がいいとのこと。

その後、嘘をついた6人と一緒におまけのような写真を撮られた。
その時の俺のなんとも言えない表情を今でも母が笑い話にしている。
当然母親もいまだに俺が嘘をついていると思ってる。
信じてはくれないのだ。

俺の人生はこれの繰り返しだった。


生まれる前に父親は蒸発した。
故に顔も知らなければ名前も知らない。(横浜で一人で亡くなったらしく、役所から連絡が来た時に初めてその名前を知った)
だからといってそれを恨んだこともないし、それを理由にグレたこともない。

よく自分がひねくれたことを親のせいにする人を見かけるが、はっきり言ってそんなものは甘えだ。
自分は自分、自分の人生は親のもんじゃない!と言うなら親のせいにするな。
自分の人生の半分は親のもの、残りの半分の半分、4分の1が自分のもので、最後に残った4分の1が自分の子供のもの。
だから感謝こそすれど恨みなんかは毛頭ない。

曲がりかけては叩き直し、自分なりに真っ直ぐに成長したつもり。

ただ他人から見ると何故か知らぬが闇が見えるらしい。
生まれついてのアウトロー。
周りから勝手にそう思われている。
何かと犯人にされる原因の一番はこれだ。

子供の頃からあだ名は悪魔。
詳しいことは書けないが、人として何かが欠けていると言われてきたし自分自身重々承知しているつもり。納得はしていないが。

だけど普通に友達と遊んでいたし、でも一人が好きだった。
人が好きで人が大嫌い。それは今でも変わらない。

悪人顔ってわけでもないんだけどな。
まあ無意識に何かがにじみ出てるんだろう。
それも否定しない。

おかげでベンチに座って一休みしてるだけで警察官が来て、歩道を歩いているだけで警察官が来て、いい気分でサイクリングしているだけでパトカーが周りをぐるぐる回る。
何せ昨日も家を出るなりすぐに、ものすごい勢いで目の前にパトカーが止まり警察官に捕まった(笑)


もう慣れっこなのでどうでもいい。
下手すりゃ買ったコロッケを外でかじっただけで住民に通報されるくらいだ。
それも十数分の内に二度も。
「またお前か。違う人からも通報着てるぞ。頼むから家に帰ってくれ」とまで警察に言われた。

何度も言うが悪人顔ではないはず。
確かにベンチで居眠りして手をつきそこねて転んで顔面をぶつけた際に出来た傷が眉間の真ん中に入ってる。
髪の毛も白髪が多少目立ってきたので今は金髪だ。
(眉間を割って血だらけになった際も通報されて警察が来た。これはしょうがあるまい。でもせめて救急車じゃないの?普通)
人相の悪い客引きが「・・お疲れ様です」と謎の挨拶をかましてくることも一度や二度ではない。

でもバスの運転手やそこら中の人に話しかけられるし、道を訊きたい人が目の前に並ぶこともある。
家電量販店では店員を差し置いて俺に商品の説明を求めてくる人もいる。
それでテレビやレコーダーが一気に20台くらい売れたこともある(笑)

結局、自分でも性格は分裂してるとは思うけれども、他人から見ても色々な意味で分裂してるように見えるらしい。話しかけやすい闇が深い人。
じゃあやっぱりみんなが正しい。


なので俺がどんなに弁明しても、結局世の中ではただの「ヤベー奴」なんだ。

そのヤベー奴が就職をする。ちゃんちゃらおかしい。
そのヤベー奴が社会人になる。笑わせるな。

社会不適合者が社会人になる。

高校のクラスメイトも中学時代の友人も近所の子供も、文字通りみんな大爆笑だった。
「こいつは一ヶ月で辞めるぞ」
「お前半日も持たないだろ」
「いつクビになるのか賭けようぜ」

脳内の妄想の会話じゃない。
どれも実際に言われた言葉だ。
でも知ったことか!

俺はごく一般的な生活をして、ごく平均的な収入を得て、そしてちょっぴりだけ退屈な、いわゆる順風満帆な普通の人生を送るのだ。
夢にまで見た普通の生活。
憧れ続けた理想の家族の形。
だから頑張れ!負けるな!最後まで諦めるな!
自分を奮い立たせて俺は社会に飛び出した。

しかしコネで入社した会社に居場所はなかった。
一ヶ月間各部署をたらい回しにされた。
何をやればいいのかわからない。
会社も何をさせればいいのかがわからない。

特技も何もない。
強いて言えばジジババと子供らによく話しかけられるってことくらいだ。
それがまさか武器になるとは。

ある時右も左も分からない18、19の男が、誰もが知ってる某老舗デパートの、いわゆるデパ地下に放り込まれた。
何をどうしたらいいという説明はなかった。
「誰かに訊きながらなんとかしろ」とそれだけで売り場に一人立たされた。

恐らく面倒なガキが入ってきたと思っただろう。
客に面と向かっていらっしゃいませも言えないただのクソガキが。
そう思われていたと思う。

違う。言えないんじゃなく俺は言わないんだ。
俺みたいな奴が話しかけたら客はきっと逃げる。
だから作業してるふりをして後ろ向きで接客をしていた。
これが今自分が出来る精一杯のこと。
その様子に当時のゼネラルマネージャーは激怒していたがそんなものは知らない。

すると何故か吸い寄せられるように客が集まりだした。
一度打ち解けたらこっちのもの。
「にいちゃんこれオイシイの?」
「いや俺は嫌い。こっちの方が旨い」
そんなやり取りを聞いていたジジババがまた集まってくる。延々と話は弾む。デパ地下に響く笑い声。
お堅いゼネラルマネージャーは相変わらず毎日大激怒。

ある日、そのゼネラルマネージャーに別の売り場に連れて行かれた。
社員じゃないから言うことを聞く義理はないけれど、流石に逆らえない。
「ちょっとこっちの売り場でこの商品売ってみろ」
「はーい」

開店するなりいつものように後ろ向きで商品の陳列。
なんとなく知っているかと思うが、デパートの開店時は全員一礼をしながら「いらっしゃいませ」と客を迎えるのが当たり前。老舗なら尚更。
当然注意されるが知らん顔。客を追っ払う気はこっちにはない。

客がなだれ込んだと思ったらすぐに話しかけられた。
「このお菓子おいしそうね。うちの孫たち好きそう」
「うん子供が喜びそうだよね。でもさぁ子供がかじったら絶対床にボロボロだよ(笑)」
「じゃあこっちのチョコは?」
「あーダメだこれ酒入ってるわ。あ、いらっしゃいませ~」

「何だお前店員かよ(笑)そっちの連れかと思ったわ」
「この人何でも教えてくれるわよー」
「いや何でもはわかんねーよ。だってこの売り場初めてだもん」

気がつけば休憩までの3時間、休む間もなく商品を売りまくった。
ついでに自分のとこの商品も置かせてもらって売りまくった(笑)

まだ不満顔のゼネラルマネージャーに「こういうやり方なんですよ」と捨て台詞を吐いて飯休憩。

この飯休憩の間に上司とゼネラルマネージャーの間でこんなやり取りがあったことをずっと後から聞かされた。

「あいつうちにくれよ。代わりに売り場広げてもいいから」
「ダメだようちのホープだから」

その話があった更に数年後「実はあの時給料3倍出してやれるって言われてた」と一緒に行った飲み屋で聞いて「おい!それなら黙って見送ってくださいよ(笑)」とビールを飲み干しながら憤怒した。
新しく出来た店舗の店長に就任する俺への前祝いの席だった。


でも順風満帆だった人生もこれまで。
以前書いたように事故をきっかけに俺の身体は壊れてしまった。
そして道を外れパチプロになる道を選んだ。

そういやパチンコ屋でもジジババに話しかけられることは多かった。
えらく遠くからオロオロした婆さんがやってきて「にいちゃん目押しして」と何度も何度も頼まれた。
なぜこんな混んでる中で矛先が俺に向いたのかわからない。
やはりきっと無意識に何かがにじみ出ていたんだろう。


これらの経験は宝物だ。
たとえ志半ばで夢が潰えたとしても、結局みんなが予想していた通りのアウトローになってしまったとしても、ずっとずっと宝物だ。
いつか生まれる子供らの子供達がもういいよとうんざりするまで自慢する。

これがある限り俺は死ぬまで生きられる。
だからせめて俺ぐらいは俺を認めてあげてもいいんじゃないかな?と思う。
よく頑張ったな、あの時の俺よ。と。



ただし今はもうちょっと頑張れ、俺。


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