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なぜパチプロなんかになってしまったのか

そもそもパチプロは「よし!今日から俺はパチプロだ!」となるようなものじゃない。
気がつけばズルズルとそうなっていた。ほとんど皆そんなもの。


幼い頃にパチプロのオッサンに教えられ基礎はできていた。
それから母に連れられて打ったパチンコで勝ち負けしながら経験を積み理解していった。

その中で一番に理解したことは、パチプロはろくでもない人種ということだった。

ただろくでもないということを理解して、真っ当に生きるようなまともな人間でもない(笑)
その頃はもう競馬に夢中だったのだ。

後方一気の黒い弾丸ミスターシービーに興奮し、精密機械のような勝ちっぷりのシンボリルドルフにため息をつき、みんなの夢を乗せたアイドルホースのオグリキャップに熱狂していた。

今はもう時効ということで白状するが、学生ながら競馬にのめり込み、ある年の一年間溜め込んだハズレ馬券を計算してみると、賭けた金額はゆうに100万を超えていた。
勝った金額を差し引いてもどう考えても負けは年間100万超え。

アルバイトはしていたが、バブル絶頂期の当時レジ打ちのバイトが時給1500円なんてところもある中で、知人の店で時給450円で働いていた。
当然軍資金としては足りない。

なのでバイトが休みの日に、学校が終わった後の夕方から夜にかけてパチンコを打ち、一日一台だけ打ち止めにして帰るという生活をしていた。
羽根物5000発定量。
換金すると約12000円ほど。

この頃のパチンコで負けた記憶がほぼない。
勝てそうもない釘の時は一発も打たずに帰宅していたのだから当たり前。
生活がかかってるわけでもなしそれでいい。

最後の方は釘を見て座った台に店員がやってきて「どうせこれ打ち止めになんだろ?」と他の客がいない隙きに釘を曲げて開けていってくれたりもした。
今では到底考えられない。当然あっという間の打ち止め。

こうして稼いだあぶく銭を全て週末の競馬に突っ込んでいた。
時には帰り賃まで突っ込んでしまい、十数キロの道程を歩いて帰ったりもした。
ただの馬鹿である。


この時点である意味プロと言えばプロなんだけども、学生である身には変わりない。
これから就職も控えていて、こんなもので生活する気なんてこれっぽっちも思っていない。俺はダメ人間をたくさん見てきたんだ。

そして卒業後(コネで)予定通り就職した。
ごく一般的な生活をして、ごく平均的な収入を得て、そしてちょっぴりだけ退屈な、いわゆる順風満帆な普通の人生を送るのだ。


調書を取りに来た警察官が、運転手は死亡したと勘違いするほどの事故だった。


缶コーヒー一本分ほどの隙間に挟まった両脚。
シートがチャプチャプになるほど血が吹き出している割れた頭。
車を切断するか脚を切断するか、人命を最優先する決断を迫られるレスキュー隊。
スピンして運転席側から街路樹二本と標識と電柱に叩きつけられた車は横からペチャンコになり、助手席にあるダッシュボードからハンドルが生えていたそうだ。
頭から吹き出した血のぬめりを利用して、自力で脚を引っこ抜いたらしいが記憶はない。

幸い一命を取りとめ脳にも(恐らく)障害は残らなかった。
脚は4度の手術を経て「1時間立ったら5分休憩すること。そうすれば15年間歩ける」というくらいまでには回復した。
走るのは厳禁。スキーなんかはもってのほかだ。

これが19歳から20歳までに起こった出来事。
読んでの通りあまりにも突然のことだった。

障害手帳を貰うことを医者に薦められたが、若気の至りか何故か意地を張って突っぱねた。
今更ながら大後悔している(笑)

そこからなんとか復職し、周りに迷惑をかけながらも少しだけ出世していった。
ようやく普通の生活を取り戻せる・・・・はずであった。

事故から数年後、脚の影響からなのか今度は内臓をやられてしまった。
食べては吐くの繰り返し。
そこから喘息にもなり今度は窒息。
そしてなぜか首と両肩が張りつづけ、その痛みで不眠症になってしまった。慢性のむち打ちとかなんとか。

3日間寝られないなんてこともあり、処方された強力な睡眠薬で眠ることとなる。
すると今度は起きることが出来ない。
まだもう少し寝ていたい・・・なんて甘い考えなんかではなく、目が覚めても脳が寝ているのだ。
要するに睡眠薬を飲んだ直後と似たようなもの。
あれなら酩酊状態の時の方がまだしっかりしている。

もう仕事を辞めざる得なかった。
人生の岐路で色々間違った選択はしてきたと思うけれども、この判断だけは間違ってはいないと思う。
これが限界。ここが限界。


一日中続く吐き気。
一時間立った後5分の休憩、もしくは一時間座った後数分の軽い運動(膝が固まってしまうため)
睡眠に対することの問題。

これらを考えた時、俺にはもうパチンコで稼ぐことしか思いつかなかった。そうしてパチプロになってしまったんだ。


違うな。
これは多分言い訳だ。負け犬の遠吠えと同じだ。
きっと他にも道があったはずなのに、目を背けたんだ。

楽しんで遊んで稼いで酒飲んで自由に暮らしたい。
自堕落でろくでもない、パチプロなんて所詮こんなもの。


平成が始まり、目を背けたままもうすぐ平成が終わろうとしている。
パチプロ(と競馬)は辞めたけれどやっぱり俺はロクでなしのままだ。
ざまあみろ。
やはりもう一度脳の検査をしっかりやった方がいいのかもしれないな。


そういや事故で頭を割って血を吹き出した時、ちょっぴりだけパチンコに関係するくだらなくも恥ずかしい話があるがそれはまた後日。


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