パチプロ・ノボリのオッサン
パチンコがまだ手打ちの台が主流で電動ハンドルが出始めた頃の話。
ローラーゲームが流行った後出来たローラースケート場が潰れた後だったから1970年台の中頃のはず。
母が買い物帰りにいつも寄っていくパチンコ屋がそのローラースケート場のそばにあった。
店内には同じような買い物帰りの子供達がいつも何人か。
窓際の夕日が差し込む椅子のそばに集まり、親にねだって取ってもらった景品のミニカーやお菓子を持ち寄っておしゃべりするのが日課だった。
店内の雰囲気は今のようなギャンブル色は強くなく、言葉通り遊技場といったのほほんとした場所。
換金することも出来るゲームセンターといったところ。
実際換金もせずに缶詰や日用品、先程あげたようなおもちゃやお菓子などに替える人も多かった。
今もパチンコ屋のカウンターにおもちゃやお菓子が並んでいるのはその名残り。
店員の子供に対する態度も今のような門前払いではなく、一人でいる時なんかは「今日は友達いないんか?じゃあこれで遊んでな」と少しのパチンコ玉を貸してくれてパチンコを打たせてくれたりもした。
増えたら「上手だな」とチョコやミニカーと交換してくれた。
そのため子供ながら必死にパチンコを打っていたのはいい思い出。
たくさん出してたくさんミニカーとチョコが欲しい。
どうしたら出るのかをたくさん出してる人の後ろに立ってじーっと見ていた、今にして思えば非常に邪魔くさい子供であった。
そのおかげで立ってるだけでチョコを貰えるという裏技まで覚えた。
「これやるからあっち行ってろ」と。
ある日の夕方、また買い物帰りに立ち寄った時、珍しく店の前に多くの人だかり。
新装開店の夕方オープン前だったらしく、店の入口に男女こきまぜ非常にキャラの濃い連中が集まり、ゲートインした競走馬のように鼻息を荒くしながら店内を覗き込んでは「俺はあっち」「ウチラはこっち」と縄張り争いをしていた。
その中でワンカップ片手のオッサンが一人。オッサンと言ってもおじいさんとオッサンの間くらいの年齢だが。
すでにすっかり出来上がった状態でフラフラしながら、パチンコ屋のノボリを立てるブロックに立ち、そのノボリを片手にクダを巻いていた。
「ちぇ!勝手にしやがれ!」
今思えば先頭に並んでいたのは開店プロ。
各地の新装開店だけを狙ったプロ集団。
いくらサービスしようが常連客とならない、パチンコ屋からは嫌われる集団。
それに対して酔っぱらいのノボリのオッサンは文句を言っていたのだ。
そして俺はこのノボリのオッサンを知っている。
なぜならいつもその後ろに立っていたからだ。
「荒らしやがってよぉ・・・持ちつ持たれつだろうが・・・」
悲しそうな顔をしながら文句を言っていたのを今でも覚えている。
そしてそれを開店プロたちと母を含む一般客たちがヨッパライの戯言と無視していたこともよく覚えている。
話を聞いていたのは恐らく子供の俺一人。
それでもずっと演説するように必死に話をしていたのでなんだかいたたまれない気持ちになりウンウンと頷きながら話を聞いていた。
ひとしきり演説を終えた頃、ノボリを掴みながら子供の俺と目線の高さを合わせるようにしゃがみこんで、
「あんなのプロじゃないよなぁ。物乞いと変わらんだろ。なあガキわかるだろ?」
うつろな目で話しかけてきたそのノボリのオッサンに俺はまたウンウンと頷いていた。
「あんなことしなくても出せるんだよ。わかるか?」
「わかるよ。だっておじさんいつもたくさん出してるよね」
こんなような会話をしたと思う。
すると突然ノボリのオッサンは目をランランと輝かせ、
「よぉし!今からパチンコの極意を教えてやる!聞きたいやつはみんな聞け!」
と叫びながら立ち上がった。
「まずは釘の見方についてだぁ!いいかいみんな、天釘はよぅ~・・・」と話し始めたがやはり誰も聞いていない。
「〇〇番と〇〇番の寄り釘がよ・・・〇〇番はいくら開いててもクセが悪いから~」
「〇〇番の✕✕が△△になってたら大箱2つは堅い」
俺はこのパチプロがとんでもない情報をくれているのを察知し、目を輝かせながら話を聞いていた。
他の人は誰も聞いていない。今宝の山の地図を無料配布しているのに、だ。
そんな話をしている最中にパチンコ屋のドアが開き、人がワッと店内になだれ込んだ。
ノボリのオッサンはそれでも話を止めない。
「みんな新台打つからな。関係ねーよ」
外にはノボリのオッサンと子供(俺)一人が取り残された。
オッサンはその後も少し釘やクセの話をしてから店内に俺を連れて行った。
当然新台には目もくれず、ガラガラのいつもオッサンが打ってる左端の島へ。
ひょいひょいと一台につき数秒、台とにらめっこしながら横移動して、何台かにライターとタバコを投げ入れた。
そしてその内の一台の前に俺を連れてきて、台の説明を始めた。
「お前さっきのわかるか?これがさっき言ってたやつだ」
「こことここがこうなって・・・でここをこう狙って・・・ちょっとやってみろ」と2百円分ほどの玉を置いていった。
言うとおりにやるとみるみる玉は増えていき、小箱2つ半ほど並べただろうか?
オッサンは「な?わかったろ?明日も来てみろ」と言いながら小箱一つを残して残りを自分のところへ持っていった。
貰った小箱一つ分は母にあげたと思う。
なんだかうまく利用されたような気もするけども、それでもとても満足したのを覚えている。
たまたま出たんじゃない。俺が出したんだ。
翌日か翌々日かに店に行くとノボリのオッサンがいたので話しかけた。
が、予想に反してものすごく無下な扱いをされたのも覚えている。
自分が来いと言ったくせに(笑)
「ちっ!しょーがねーなぁ」
めんどくさそうに先日打った台の前まで連れてこられ、指をさしながら釘の説明を始めた。
「ほらこれ見ろ。この前より狭いだろ?だからこの前ほど出ない」
隣の台に移りまた指をさす。
「これはさっきの台より釘が開いてるだろ?」
「うん」
「でもこの台はさっきの台よりもっと出ない」
「なんで?」
「この台はクセが悪いからこのぐらい(の釘の開き)じゃ出ない」
「だったらさっきの台がこれ(今)より開いた時に打てば出るの?」
「そうだ。そうやって全部の台の釘を覚えておけばどれがどのくらい出るかわかるだろ?意味わかったか?」
そういうとパチプロのオッサンは自分の台に戻っていった。
これが前回書いた縦の比較の話。
俺はこの時初めてパチンコの基礎を学んだ。
それから何度もノボリのオッサンを見かけることはあっても、話しかけることはなかったし話しかけられることもなかった。
他の子供達とミニカーで遊びながら、いつもあの台の釘だけを見ていたが、見ていた限りあの時ほど釘が開くことはなかったと思う。
たまに打っては少しばかりの出玉を得たり、残念ながら飲まれたりもした。
そう言えば一度だけ小箱一つ出してる時にどこかのおばさんに「どきなさいよ子供のくせに」みたいな文句を言われたが(どう考えてもおばさんが正しい)、「その台はそのガキのもんだからダメだよ」と助けてくれたのはノボリのオッサンだったっけ。
いつしかパチンコは電動ハンドルになり、羽根物全盛期へ。
フィーバー台なんかも入ってきたが、プロは手打ち台にしがみついていた人も多かったと思う。
うまく羽根物を攻略していったプロもいたが、気がつけばノボリのオッサンを見かけることはなくなっていた。
今はもう店もなくなってしまった。
たまに店の前を通りかかると、ノボリのオッサンとこの石段に座ってた何も知らない小さな自分の思い出を見つけてしまい、くすぐったい気持ちにかられては小走りなってしまう。
その時俺の手に持っているのはワンカップではなく、第三のビール。
パチンコの勝ち方と人生の負け方を学んだ場所。
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