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西屯田のパチンコ屋

皆さんは初めてパチンコを打った時のことを覚えているだろうか?
初めて自分のお金で打った時、ビギナーズラックで勝ってしまいそのままハマる人、負けて二度とやるもんかと思った人、色々あると思う。

俺はその時のことを鮮明に記憶している。

「ダメだったわ」

俺自身も家族も、数十年経った今でもはっきり覚えているこの一言。
そりゃみんな衝撃だろうよ。
5歳の時だもの(笑)


家の前の道がまだ舗装されていない土の道路だった頃の話。
道路を渡ったその先には、草と砂利まみれの大きな空き地があった。
そこでいつもボールを蹴ったり、トンボを捕まえたり。
日が落ちる頃聞こえる「ご飯だよー」という祖母の声。
聞こえないふりをして暗くなるまで遊んでるのを、ニコニコ笑いながら待っていてくれたっけ。

暗くなるとその空き地の先にある建物が光りだす。
西屯田通にあったパチンコ屋、グランド銀座。

元は家族経営の小さなパチンコ屋だったそうだ。
2階が住居スペースで1階がパチンコ屋になっていたそう。
俺が知っている40年前の時点ではもうかなり大きなパチンコ屋だった。

街灯も少なく、道路が夜になるとかなり薄暗かった時代(現に銭湯に行くのに国道に出るまで懐中電灯で道を照らしていた)、煌々と光を放つこのパチンコ屋になぜかワクワクしていた。
コンビニなんかはまだなく、商店街の他の店が殆どが閉まった時間に普通に営業している。まるで小さなススキノのよう。そう感じていた。


晩御飯を食べた後、暇な時はススキノで映画かボウリング、もしくはこのグランド銀座でパチンコだ。
連れてこられては、右へ左へと跳ねるパチンコ玉を見て、もう楽しくて楽しくて。

たまに遊びで打たせてもらってはいたけれど、いつの日か自分で来ようと思った。
自分で好きなだけ打ってみたかったのだ。

というわけで早速行ってみた(笑)

貯金箱から百円玉を抜き出し握りしめ、いざグランド銀座へ。
5歳の時だ。親となった今考えてみればゾッとする。
誰にも告げずに一人で行ったのだ。
母も祖母も突然5歳の子供がいなくなってゾッとしただろう。

持ち金は百円玉一個。
当然台選びは慎重になる。
店内をぐるぐると回っては、椅子に座って台とニラメッコをし、いやいやちょっと待て。
当てずっぽうよりも今出てる台が空いた時の方がいいんじゃないか?とか新しい台の方がいいんじゃないか?とかずっとうろちょろ。
それを1時間か2時間か?それすらもう楽しくてしょうがない。

一方その頃、異変に気がついた母や祖母が公園や空き地、その他5歳の子供が行きそうな所を駆けずり回って探していたそうだ。
しかし残念ながら5歳の子供が行きそうな所には俺はいない(笑)
笑い事ではないけれど。

そして悩みに悩んで選んだ台、裏口から入って一番左のシマ、表玄関から見ると右端の奥のシマの台に決めた!ここで出す!

意を決して100円玉を貸出機へ。
出てくる玉は当然少なかったが、小さな手では一度では受けきれない。
椅子の上に膝立ちしながらヨイショヨイショと何度も上皿に玉を運ぶ様子を、周りの大人達や店員がニコニコしながら見守っていた。

結果は最初に書いた通りダメだった。

それでも俺は上機嫌で椅子から飛び降りて、空き地につながる裏口に向かっていった。
「あんたの子供じゃないの??」
「え?あんたの子かと思った!」
そんな声が聞こえてた。そりゃ一人で打ちに来てるとは思うまい(笑)

パチンコで100円負けた。
こんなに嬉しい負けは後にも先にもこれっきり。
はじめてのおつかいならぬはじめてのパチンコだ。
あの番組に出てくるような子供が、一人でパチンコ屋に行ってパチンコ打ってるところを想像してみて欲しい。やっぱりゾッとする(笑)

パチンコ屋の裏口から空き地を抜けて家に戻る途中、日も暮れかけてオレンジ色の空の中、ついに母が俺を見つけた。
「どこ行ってたの!え・・あんたまさか・・」
にっこり笑って一言。

「ダメだったわ」

誇らしげに、そして嬉しさと照れくささと残念な気持ちをのせて。
この時のことは今でも母の笑い話だ。
あまりのことに怒ることも忘れて呆れて笑っていた。
手をつなぎ帰る途中、振り返るとすでに光るパチンコ屋のネオン。前を向けば遠くにホッとした祖母の顔。


そんな西屯田通のパチンコ屋の思い出。
この元家族経営の小さなパチンコ屋は、グランド銀座からイーグルという名前に変わり、東京や大阪、福岡、そして沖縄まで店舗を拡大していくこととなる。何という大出世。

そして更に補足だが、その後このグランド銀座で俺は100円の負けを大幅に取り戻すこととなる。
店で行われたくじ引き大会で、子供の俺が特等の登別温泉旅行を当ててしまったのだ(笑)

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昨年の夏のある日の夕暮れ時、この辺りを久々に歩いてきた。
商店街はかなり寂れてはいたけれど、このパチンコ屋だけは今も変わらず煌々と辺りを照らしてた。建て替えして手をつないで歩いた空き地はすっかりなくなっていた。

空き地があった場所の駐車場を歩きながら、ふと思い立って母に連絡をしてみた。
あの日母が迎えに来てくれた場所辺りから撮った写真を何枚か送ったら、直ぐに返信が着た。

「うちのとこのパチンコ屋さん?・・ダメだったの?」

ああ・・・今日は打ってないけど言った方がいいんだろうなぁ。
「ダメだったわ」って。



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