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天性の奢られ体質なのかもしれない

いやそんなはずはない。
明治生まれの祖父からは「借金してでも女と年下と良い奴には奢ってやれ」と言われ続けていたんだ。
それで誰かが飲んで食って嬉しそうにしてる姿を見るのも好きなんだから。


コネで18歳で就職し、仕事にも職場の仲間とも慣れてきた頃、会社でやる大規模な新入社員歓迎会とは別の小さな歓迎会が開かれた。
もちろん俺を含む同じ店舗の新入社員達のためのもの。
全部で6~7人の小さな会で場所は会社のそばの小さな居酒屋。
俺以外は全員女性社員だ。

だからガバガバ酒を飲むのは俺ぐらいなもので、あとはいろいろな食い物を頼んでみんなでチョビチョビつまむ(注 お酒は二十歳から)
居酒屋に行った女がやりがちなあれも食べたい!これも食べたい!でテーブルには置ききれないほどの食べ物がやってきて、100%食いきれないパターンのやつ(笑)

「もったいないから食べてよ」と言われたってフードファイターでも無理だよこんなの。だから一人一品ずつ頼んでみんなで分けろって言ったのに。

それでもかなりリーズナブルな店なので、これだけ食べて飲んで1万前後だったか。
3~400円くらいのメニューが多いからな。
トイレに行くふりをしてこっそり全部払っておいた。


いくら俺が新入社員で相手が先輩といえども、女に払わせるわけにはいかない。それが祖父の教え。
明日から昼はカップラーメンでも食いながら、仕事が休みの時にパチンコで稼げばいい。

会計の時に支払いが済んでいることに驚く女性社員一同。
「新入社員歓迎会で新入社員が全部払ってどうすんの!」と頭を抱える女上司。

いいってことよ。
また飯食いたくなったらいつでもどうぞ。
このために働いてるしパチンコ打ってるんだ。どうせ金なんて貯める気はない。

俺にとって会社の給料すらあぶく銭。

こんなことが何度か繰り返された。
またみんなで行ったり二人っきりで行ったり。
当然全部俺の奢り。
もういくら奢ったかなんてわからない。が、別にそれはどうでもいい。

そうしていつしかみんな、なんとかお返ししようと考え始める。

いやいや見返りなんて考えていない。
そんなつもりで奢ったわけじゃない。
だからお金は受け取らないし奢られない。

そうなりゃ向こうももう女の意地。
俺が吸っている銘柄のタバコをカートンで黙ってロッカーに突っ込んできたりする。
断っても誰も吸えないし返品もできない。もう受け取るしかない。

別の奴からは俺しか飲まないような酒がロッカーに突っ込まれる。
それも高級な酒だ。もう俺が飲むしかない。

気がつけば貢物だらけになっていた。まるでホストのやり口だ(笑)

うちでお茶でも飲んでいってと言われてホイホイついていき、甘えついでに押し倒して色んなモノをご馳走さん。
そのまま家に転がり込んで居着いてしまう。やってることは顔も名前も知らない俺の父親と一緒。結局ただのろくでなし。


こうなればもう俺の信念なんてゴミ箱にポイ。
気がつきゃ女に奢られ囲われ、バーで名前も知らない隣の人に奢られてる。

俺自身はそうじゃないと思っていても、知らずしらずの内にそれが染み付いちゃってるんだろう。
本当に情けない話。
相手が喜ぶ顔が見たい人間だったはずなのに、いつの間にか俺が喜ぶ顔を見て相手が喜んでいた。


今年に入っても一体どれだけの回数、俺は奢られたのか?
早けりゃもうすぐ孫の顔が見られる年齢とも言える。
周りの友人は出世したり社長になったり。
同窓会なんて行けたもんじゃないな。呼ばれたことなんてないが。

「今度札幌に行く。一緒に飲まないか?」
「いいぞ。飲むのに丁度いい公園知ってる」
「いや奢るから公園はやめよ(笑)」

俺としては大真面目だし、今自分に出来る精一杯のおもてなし。
でも奢ってくれるってんなら甘えよう(笑)こればっか。

相手が水商売のネーチャンだろうがおっかさんだろうが変わらない。
それはバドガールの店での事の時に書いていた通り。
「あんたが出したってことにしなさい(小声)・・ドリンクとフードいただきまーす!・・ほらつまみなさい(小声)」
これもいつものことだ。


と、まあここまでが長い長い前置き。
そして結論は短くも早い。

結局俺は奢られてるんじゃなく、助けられてるんだよな。

俺の信念なんて言葉はおこがましい。
奢られ体質なんてことあるわけがない。
あるならそれは奢りではなくただの驕り。

どれだけの人が俺を支えてくれたのか。
どれだけの人が俺の気持ちを救ってくれたのか。

正しいことをやったつもりでも誰も認めてくれないと愚痴を吐く。
そんなことはない。
それはどこかで形を変えて、自分自身へと必ず返ってきている。

誰かが認めてくれたからこそ、その一杯の酒が俺の目の前に置かれたのだ。


先日すすきののデパ地下の喫煙所で一杯やりながら一服していた時のこと。
膝のサポーターを直そうと前かがみになった瞬間、椅子に置いていたビールにジャケットが引っかかってしまい、混雑した喫煙所の床に中身をぶちまけてしまった。

慌てて拭こうと思ったものの、ポケットから出てきたのは鼻をかんだ後のティッシュくらい。
到底拭ききれるものではない。

残りのタバコを吸いながら酒のニオイが充満していく喫煙所の中で、どうしたものかと考えながら僅かに残ったビールを飲み干す。
冷たい視線が突き刺さり、とにかくタバコを吸い終わったらここから逃げ出そうと思った。でも・・・

俺は喫煙所を飛び出し、近くにあったトイレに駆け込んでトイレットペーパーをクルクルと巻いたものを2つ作り、駆け足で喫煙所へ戻った。
もう恥も外聞もない。心残りを作りたくない一心。
膝が悪くしゃがめないので、床に膝をついて這いつくばりながら床を拭いた。

冷たい視線が怖いから目を上げず、冷たい会話が怖いから耳に付けたイヤフォンで大音量の音楽を聞いていた。
もう視線や会話を想像するだけで恐ろしい。
そう思っていた時イヤフォンから流れていた曲が終わり、次の曲が流れるまでの一瞬の静寂の間に聞こえてきたおじさんの声。

「ニイちゃんえらいな」と言いながらこちらを見て笑っていた。
他の人も笑っていた。怒っていなかった。
思わずつられてニコッとしたがエラい事は何もしていない。俺が勝手に汚して拭いていただけ。迷惑をかけたのには変わりない。

急に気恥ずかしくなり、あらかた拭き終わった後に今度こそ逃げ出した。
裏口から出て、日本一出ないパチンコ屋が潰れたあとに出来たコンビニへ。

外はもう寒いがここの灰皿で一服の続きを・・・と思っていたら、そばに寄ってきたおじさんが「ほらよ。全然飲めなかっただろ?」とビールを一缶俺に手渡し颯爽と去っていった。
どうやらさっきの喫煙所にいた人らしい。

俺はいい事なんてしていない。
罪滅ぼしをしていただけだ。
だけどそれでもそれを認めてくれる人がいた。そして助けられた。
ビールはもちろん嬉しいがビールのことじゃない。俺に残っていた後悔の気持ちを全て消してくれたのがとにかく嬉しかった。


じいちゃんが良い奴にも奢れと言っていたのはこういう事かもしれないな。俺は良い奴じゃないけど。
誰かを認めた上で奢る一杯の酒の意味についてを考えながら、先程の喫煙所に戻ることに。やはり外は寒い。

喫煙所には先程いた人達はもう居らず、手前におばさんが一人だけ腰掛けてタバコの煙を吐いていた。
それじゃと灰皿の向こう側の奥の席へ座ろうと移動し、俺は愕然とした。

灰皿の向こう側はまだまだビッチャビチャだったのだ!

あの皆の微笑みは「全然拭けてないよ」の苦笑いだったのか。
イヤフォンしてて聞こえなかった「ニイちゃんえらいな」の前後に何を言っていたのか。
どの面下げてノコノコと戻ってきたのか・・・。

「ほらよ。全然飲めなかっただろ?(たーっぷりこぼしたんだから)」

そういうことかぁ!
顔から火が出そうになりながら、ビールの水たまりに靴を突っ込みズルズルと引きずって床に伸ばした。
他の人が来る前に乾いてくれ!アルコールの揮発性の高さに賭ける俺。

その揮発性が喫煙所の中をさっきの10倍くらいの酒のニオイで充満させるということを知ったのはこの5分後、喫煙所がまたびっちりになった頃だった。
ビールの缶を持っているのは俺一人。犯人確定。

俺はそっとイヤフォンを耳に付け、残りのビールを飲み干し目を閉じた。


そして結論は大して短くも早くもなかった。



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