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永遠の0 勇気は理性から生まれる

宮部久蔵はなぜ生き延びる選択を最後にしなかったのか?

 宮部は最後の最後まで妻と子どものことを思っていた。しかし、生き残れる戦闘機を大石に譲った。なぜなのか?自分が生き残って妻と子どものもとに戻ってはいけなかったのか?

宮部は教え子たちが特攻で先立ったことへの元教官としての落とし前をつけなければならなかったのだ。
彼は妻と子どものことを大事に思っているのと同じくらい教え子たちのことを大切に思っていた。教え子たちには生きていて欲しかった。特攻なんてしてほしくなかった。
でも、その教え子が特攻で先立ってしまった。自分だけ生き残るわけにはいかない。宮部は教え子たちを守りきれなかった自分を歎じていた。そのことは教え子の遺影の前での宮部の愁嘆の表情からも窺い知ることができる。
 宮部の大切にしたいものは教え子、そして妻と子どもの将来である。しかし、両方どうにかしてあげることは不可能である。体が二つない限り。そこで宮部は大石を選んだ。自分が死んでも信頼に足る大石が妻と子どもを必ず幸せにしてくれる。だから自分は心置きなく教え子たちのもとへ行けるんだと。
宮部は自分の大切にしたいものを最後まで守りきろうとしたのだ。その最適解として致し方なく宮部自身の特攻死があったのだ。

宮部は誰よりも勇敢

 宮部は自分の頭で一から考えていた。お国の為に散華することを最善とする当時の日本国のドグマを根本から疑った。簡単に空気感に乗せられる阿呆とは違った。自分の大切なものを守りきることを最後まで考え抜いた。何らかの教義に従った訳ではない。自分の頭で考えていた。理性が誰よりもあった。故に勇敢だった。肝がすわっていた。

勇気は理性から来るものである

『真の危険を犯すものは理性であり、その勇気も理性からだけ生まれる』。これは三島由紀夫の言葉である。
宮部の生き方を見ていると非常に危険な橋渡りのように思えてくる。特攻までに至る道のりも。教官という立場にいながら教え子に特攻への不可を出し続けたり、事故死した訓練生を擁護して殴られ続ける姿も。誰よりも正しくものを見ていて仁愛があり勇気があった。
理性とは、人間だけに与えられたものであり物の良し悪しを見分ける心のことである。そして理性があるから仁愛がある。仁愛があるから勇気がある。守るべきものがない、愛を知らないものに土壇場での底力がないことは経験則でも分かるのではないだろうか?
そういうことからも宮部は理性を司る前頭葉が発達していたことは否めない。

前頭葉を鍛えよう

 宮部に憧れるならまず前頭葉を鍛えて思慮深い人になろう。川島隆太教授監修のゲームをお薦めする。前頭葉を十分に鍛えたのなら知行合一を目指して筋トレをしよう。心も体も丈夫になって宮部に近づけるかもしれない。

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