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「はぎはらけいた」です~自己紹介のハ~

おはようございます。

3月は家に居る時間が長くて、スマホのデータ通信量を286MBしか使わなかった、パラスポーツコーディネーターの萩原圭太こと引きこもりの若者です。

4月からは料金プランを見直したし、こういうデータ通信を使わなかった月は料金が安くなるぞ。

Wi-Fiは素晴らしい。


さて。

いつまで続くのか分からない自己紹介という名の自分のこれまでを振り返っている投稿シリーズです。今日もよろしくお願いいたします。

ざっくりなプロフィール~

1999年(平成11年)9月14日に生まれた現在二十歳。北海道の田舎生まれで、現在札幌在住の大学生。

過去2回の投稿では小学校入学前までを振り返りました。余談が多めで中々本編(?)が進みません。むしろ余談がメインみたいな様相を呈してきています。


昼寝の時間だけが苦痛だった保育園を無事卒園して小学校に入学。

とっても田舎だったので、全校児童は50人ほど。一学年には当然一クラスしかありません。ほぼ保育園からの見知った顔のメンツで、クラスの人数は僕を含めて9人でした。

男子7人、女子2人という構成です。

小3か小4で女子の一人が転校したので小学校を卒業するときは8人でした。全校児童は30人くらいだったかな?

でこぼこクラスの始まりです。


ちなみに僕の兄は5歳上なので当時小学6年生でした。

当時の僕からしたら兄は輝いている存在でキラキラしていて、憧れだったわけです。兄はそういう風にみられるのは嫌がっていたと思います。

そんな兄という存在がいたので、同じことをし始めます。

小学校入学前から遊びに行っていた少年野球を本格的にやり始めたり、ピアノを習う、そろばん教室に通う(教室の規則で小学2年生から)、冬期間限定で小学校の先生が指導してくれるフットサル、といったところです。


この話を僕のことを応援してくださる大人と飲みに行ったときに話したら、「田舎なのに習い事充実してるなぁ!」と言われました。

いわれてみればたしかにそうですよね。田舎で全然人がいないのに習い事といわれるものは意外とありました。(他には陸上少年団とかがあった)


クラスの話をしようと思ったら、兄の話になっていました。話を戻します。

自分含めて9人のクラスでスタートした小学校生活。

担任の先生になったのは、見るからに優しそうな女性の先生。そしてもちろん兄のことも知っていました。

特別何をしたとかはそんなに覚えていないものの、担任の先生のおかげで乗り切った1,2年生時代だったかなと思います。

凄く覚えているのは、担任の先生にめちゃくちゃ甘えていたことくらいです。なまら優しかったなぁ。今も元気にされているかな?


基本的に素直な子だったので(今も割とそうだよ!)特に低学年の頃は、何でも真に受ける一面がありました。

そのため、よくからかわれることが多かったです。これを「いじり」と捉えるか「いじめ」とするのかは当時の自分が分かるはずがありません。

正直今になっても分からないし、微妙なラインだと思います。

からかわれて真に受けて、担任の先生にすがるなんてことがしばしばありました。クラスメイトや上級生からすれば、ちょっかいをかけやすい存在だったのだろうと思います。


今日の話をまとめると、小学校に入学して10人に満たないクラスで5歳上の兄に憧れていたこと。小学校1,2年のときの担任の先生がなまら優しくて、からかわれやすい自分にとっていつも助けてもらっていた。

今日はこんなところです。


自己紹介という名の自分の背景・ルーツを辿る投稿、まだまだ続きます。



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