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2001年、東大阪。ボクたちの青春フレーバー、ヨレヨレの天津飯

2001年、世界はニューヨークのワールドトレードセンターの大惨事に目を向けていた。

だけど、東大阪・長瀬の片隅で、ボクはK大学のキャンパスで自分の小さな世界にいた。となりには、当時の彼女・サコもいた。

長瀬の街は、学生で賑わっていた。

学生たちの声や笑顔、そして多くの店が授業や部活動で疲れた学生の胃袋を満たすための料理を提供していた。

そして、そんな長瀬の裏道には特別な「大阪王将」があった。

ただ、これは普通の王将とはちょっと違っていて、店ははっきりいって、めちゃくちゃ汚かった。そして店主の親父は、タバコを吸いながらめんどくさそうに中華鍋を振っている。

この親父は注文が入ってない時はカウンターにちょんと座っていたが、腕が小刻みに動いている。アルコール依存症かもしれないと思った。

この店は学生の間で「裏の王将=うらおう」と呼ばれていた。

だが、怪しい雰囲気とは別に、値段は安く味は結構うまかった。そしてボクとサコの一番のお気に入りは、天津飯だった。

お金が無かったボクとサコは、この店でよく持ち帰りをしていた。

店の親父はなぜか、天津飯を餃子用の細長いケースに入れた。その見た目は、天津飯が片方に寄ってかなり不格好だった。

だけど、その甘辛い餡と玉子の甘さは、何とも言えない美味しさだった。片方に寄った「ヨレヨレの天津飯」を見て、サコはいつもにっこりと微笑んだ。

しかし、サコと過ごすボクの小さなアパートでの彼女の姿が、どこか心に引っかかっていた。

なぜかすべてをベッドの上で終わらせるサコ。ベッドの上で髪を結い、化粧をする。大学から帰ってくると、宿題をすると言って、ベッドの上でノートを広げ、教科書を眺め、時折苦しむような顔をして取り組む。

その姿を見て、ボクは何となく不思議な気持ちになっていた。

時は流れ、いまは2023年になった。ボクは東京でこの文章を書いている。隣のリビングでは、かわいい娘がiPadで宿題をしている。

サコとは大学を卒業して、しばらくして別れてしまった。それと同時期に「うらおう」もお店を閉めた。

サコと過ごした時間は、思えば甘酸っぱいものだった。

今でも、街の中華屋で天津飯のメニューを見ると、サコの笑顔やあの時の感情が甦る。それは「うらおう」の甘辛い、ヨレヨレの天津飯のように、ボクの中で永遠に味わい続けることのできる時間だった。

ボクは思わず、天津飯を注文する。そして、東京のケチャップ味の甘酸っぱい天津飯をひとくち食べて、いつも後悔をするのだった。

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