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子どもも他人も変えられない(5)

なぜ、その高校を選んだのですか?

以前、発達障害のある中学3年生の子どもが、希望する高校に仮に受験・合格できたとして、通うことができるか、通うための配慮があるかどうかが心配になり、受験前に、その高校の説明会に子どもと一緒に参加しました。

高校側の説明では、受験してもらうことはかまわないけれども、配慮できることは人員的にも限られているので、そのことはわかって、受験して欲しいとのことでした。

できないことを、ちゃんとできないと説明してもらえたことは、良かったと思いました。

結局、この子どもは、その高校を受験し、合格したのです。

その報告に来てくれた時に、配慮はないと思って通わないといけないよ、と伝えたときに、卒業できるように自分で努力をしてみると言って、その通り、努力を続けて、無事に卒業をしました。

最近、高校不登校という言葉をよく聞くようになりました。

高校生が学校に行けない状態になることを、そう‌言うのですが、高校に不登校だから、出席認定等の配慮を求めるご家族がいらっしゃいます。

ご家族のお気持ちはよくわかります。

学校に行けなくなった当の本人も辛いと思います。

しかし、高校側に求める配慮は、中学校に求める配慮と同じようにはいきません。

特に、中学校で不登校の経験がある子どもやそのご家族は、中学と同じように、配慮をして欲しいと思うと思います。

その気持ちは良くわかります。

しかし、ご家族は親権者なので、未成年の行動の責任はあっても、高等学校は子ども本人の意志とご家族の同意があって受験していますから、子ども本人が向き合う必要があります。

そうは言っても、長い間、不登校の子ども達と共に学んできて、学校に行けないものは、どうやっても行けないことも、十分にわかります。

それが、子ども達にどれだけ辛いことかも、30年以上、不登校の子ども達と関わってきて、十分に理解しているつもりです。

高校生の子どもが高校に通えなくなり、しばらくはご家族が代わりに高校とお話されたとしても、どこかで子ども本人が、高校側と話さなければならないことは、仕方のないことなのです。

あくまで本人の意思で受験し、入学したのですから、それは、本人がしなければならないことなのです。

まして、校則が嫌だとか、朝が早いとか、雰囲気が嫌だとかは理由にできないのです。

そんなことは、わかっていたはずだと言われても仕方がありません。

全日制であろうと、定時制であろうと、通信制であろうと、受験するのはあくまで本人の意志であり、受験するにあたり、十分に調べなかった責任は、子ども自身にあると言われても仕方がないことなのです。

私はもう現場を離れています。

厳しいことを言うことから、昭和の人間だと言われても仕方がありません。

しかし、どれだけ高校が全入時代を迎えたと言っても、98%以上の子どもが高校に進学するようになったと言っても、高校受験は「本人の意思」で受験しているのです。

形式的なものと言われようと、時代遅れと言われようと、それが、法律で定められたものなのです。

どうしても、それがおかしいというのであれば、法律改正をできるように国に働きかけるか、弾力的な運用をするように国にや地方自治体の教育委員会に働きかけなければなりません。

それもなしに、子どもが高校に通えないから配慮して欲しいと簡単には言えることではないことなのです。

最終学歴が、中卒と高卒では印象が明らかに違うのは、高校は自らの意志で受験し、通い、学業を修めたからなのです。

だから、せめて高校くらいは卒業して欲しいという思いは、自分の意志で受験し、通い、卒業までの努力をして欲しいと言っているのと同じなのです。

私は長い間、「15歳の壁」をいかに乗り越えていくのか、ということを、子ども達に話してきました。

これは、中学校で不登校だった子ども達だけではありません。

高校生は、もう大人扱いだと思わなければいけない。

今は、高校3年生で満18歳になれば、選挙権もあります。

もう、大人扱いをされるのです。

高校は自分の意志で行くところだから、受験するために、学校も知り、学力もつけ、本当にその高校を受験するのか、合格したら進学するのかを真剣に考えるように、子ども達に話してきました。

そんな簡単な話ではないことも承知の上です。

いろいろ高校のことを調べた結果、合格したい、進学したいと思えたら受験するようにと、関わるすべての中学3年生に伝えてきました。

不登校の中学生の子ども達には、辛いけれど、高校を受験するということは、通信制でどれだけ少ない日数でも、高校には通わないといけない。

だから、受験までには高校を見に行き、高校の先生の話を聞き、本当にこの高校に通ってもいいか、自分なりに判断をして、合格できるように勉強もしなければならない、と伝えて一緒に悩み、考えてきました。

もちろん、ご家族にも、子どものことを本気で考えて欲しい、子どもが将来、元気で社会で生きていけるために、ご家族にも改めるところは改めて欲しいと、私も本気で話をしてきました。

良いとか悪いとかではありません。

社会に出るためには、社会にあわせなければならないところがあることは、誰にでもわかっていることです。

社会の中で、子ども達がのびのびと生きていけるようにすることが、大人の一番の役割だと思っています。

その役割を担った上で、社会のおかしいところは変えてもいかなければなりません。

子ども達がどれだけ辛い思いをしても、現実のことは伝えなければなりません。

それを受け入れ、耐えられるように、小さいころから育てなければならないのです。

「どこかで、大人が子どもが嫌なことを言わない、先延ばしにするために、高校で辛い思いをしているように思う」と、中学校で不登校で苦しんだ子どもに、面と向かって数年前に詰められたことがありました。

子ども達の方がわかっているのです。

子ども達は、大人が自分の言葉で本音を語っていないと思っています。

そのことを大人がもっと知って欲しいと思います。

15歳になったら、自分で将来のことも考え始めなければなりません。

そのために、もう少しだけお手伝いをしていきたいと思っています。


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