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子どもも他人も変えられない(12)

不登校になる脳の仕組み~考える自分と感じる自分~

前回まで、不登校の子どもが元気になるために、まず、大人が自分を振り返り、自分達こそ、自己存在感が持てているように学び直す必要があると思うことをお伝えしてきました。

ここまでは、学校に行けなくなる子どもが、「なぜ、学校に行けないのか」ということについて、考えてきました。

「自己存在感の欠如」

これが大きく影響していると、長年、私は考えてきました。

それは、他者との比較や評価と、自分が今、ここに「ある」ということの狭間で、自己存在感をしっかり持てないまま来てしまい、評価・評定が明確になる中学になると一気にその不安感が大きくなり、学校に行けなくなる子どもが増えるのではないかと考えています。

今回は、なぜ、不登校になるのか、ということを、違う角度から、もう少しだけ掘り下げてみます。

少し堅苦しい感じの話になりますが、お読みいただければと思います。

人は脳でいつも何かを考えています。

歯磨きや髪の毛のセットなど、毎日、行うようなことでも、もとは必ず考えて行っています。

身だしなみを整えることも、歯を磨くことも、理由がありますから、考えて行っているのです。

そこで、脳のつくりと働きを、考えることや行動することとあわせて考えてみます。

人間の脳には、よく爬虫類脳、哺乳類脳、人間脳の3つがあると言われています。

これは、『三位一体脳モデル』というもので、少し古くなりますが、1960年代にアメリカ国立精神衛生研究所のポール・D・マクリーンにより提唱されたものです。

1990年に出版された著書『Triune Brain in Evolution(邦訳:3つの脳の進化)』で詳しく説明されています。

爬虫類脳は脳幹部、哺乳類脳は大脳辺縁系、人間脳は大脳新皮質の部分だと言われています。

この3つの脳は決してバラバラにはたらくことはありません。

一つのことについても、必ず全てを使ってはたらいています。

この3つの脳を使って、不登校が説明してみます。

それぞれの脳のはたらきは次の通りです。

爬虫類脳(脳幹部、生命維持を行う):
安全に生きること

哺乳類脳(大脳辺縁系、情動・欲求・本能などのコントロールをする):
感じること

人間脳(大脳新皮質、運動・認知・記憶などを行う):
考えること

そこで、まず、学校に行くということですが、これは、学習をする、いろんなことを学ぶ、という意味では、まさに「人間脳」である大脳新皮質を使って「考える」ことを学ぶために通うのです。

「考える」ために学校に通います。

そこで、学校に行くと「哺乳類脳」で、いろいろなことを感じることになります。

感じたことをすぐに言語化できるためには、「人間脳」のはたらきが必要です。

ところが、不登校の子どもが言語化できず、初期の段階で「なぜ学校行きたくないのか」という問いに答えられないことが有ります。

なぜかということを言語化できない状態です。

このとき、何かを感じているけれども、そのことを「人間脳」で言語化できないていないのです。

それは、「哺乳類脳」で何を感じているかはわからなくても「恐怖」を感じていることだけはわかるのです。

恐怖は、生命の危険に直結するので、脳の外側の「人間脳」に感じていることを伝えるよりも先に、脳幹部の「爬虫類脳」に先に伝えることになります。

そうすると、「爬虫類脳」を使って、安全に生きるために、自分を守るために、安心・安全な家に逃げ込むということになります。

これがまさに、「なぜ不登校になるのか」ということだと、私は考えています。

感じる哺乳類脳と、考える人間脳の間でうまく調整ができれば、学校に通い続けることができるのだと思います。

ところが、意識できるか、できないかの違いはあっても、この哺乳類脳で感じていることが「恐怖」なので、人間脳は生命を守るために、恐怖を避ける判断をし、爬虫類脳は安全に生きるために動かない指示をすることになります。

ここには、理屈はありません。

生きていくために、理屈抜きで恐怖を避けるように行動するのです。

これは、動物としての本能に近いものです。

その結果、不登校という選択をすることになるのではないかと考えています。

言い方を変えれば、学校にちゃんと通いたいと「考える」自分と、学校に行きたくないと無意識に「感じる」自分がいるのです。

その二人の自分を調整することができず、ひどい場合には乖離しているようになり、「危険を避け」て動けなくなっているのではないかと考えられるのです。

今まで出会ってきた子ども達が、すぐに言語化できないこと、不登校になった時の様子や小さい頃からのことを聞いていると、いろんなことを感じていることから、この三位一体脳モデルが不登校を説明するのに今のところは最もしっくりくるモデルであり、自分の中の「二人の自分」の関係性がうまくいかないことから、不登校になっていると、私は長年、考えてきたのです。

だからこそ、比較や評価に恐怖を感じても、少しくらいの不安感も、「自己存在感」をしっかり持つことができ、いつでも安心・安全の「還る家」があれば、学校に通えるようになっていくと、私は考えています。

ところが、感じる自分と考える自分という考え方に、あてはまりにくい不登校というのが最近増えてきています。

教育支援センターやフリースクールの運営にも関わる問題になってきています。

そのことについても、いずれ触れたいと思います。

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