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心のサポートをする仕事#音福連携04

知らない世界を想像する難しさ


今日は、介護職員初任者研修の今年最初の講義日でした。今日から本格的な実技演習に入りました。

経営的な目線から、福祉業界の事業モデルを考えることはあっても、実際に現場の仕事をやってみるというのは、やっぱり全く別のことで、やってみて初めてわかることがたくさんあります。

「介護の実技って何をするんだ?」なんて思っていましたが、体の不自由な方を起こしたり、体位を変えたり、車椅子に移乗させたり、おむつを変えたり、お風呂に入れたり。。大の大人を介助するのは一つ一つが大仕事。やることはわかっていてもいざやるとなると大変なのです。

晩年の祖父とレストランに行った時、ぎりぎり僕の肩に捕まって歩けましたが、トイレのお手伝いを頼まれて、大変だったことを思い出しました。

健康な人は、当たり前すぎて意識もしていないようなことが、大変な大仕事になるのです。

もしも自分の体に麻痺が出て動かなくなった時どうなるのか、想像できますか?

そう言われれば、なんとなく「それくらいできるよ!かなり大変だろうな。。。」という感覚でいましたが、想像があまりにも浅すぎたことも知りました。

例えば、右手に麻痺が出ると、人間の筋肉は多くの場合収縮して固まるそうですが、手をグーにしたまま固まると、自分の爪で手のひらを突き刺してしまうこともあるそうです。痛くても動かせない。もしくは感覚も麻痺していたら刺さっていることすら気づけず、腐ってしまう。

寝返りができず長時間同じ姿勢でいると、靴ずれのひどい版のような褥瘡ができて、これもまた生きながらに体が腐ってしまう。

そこまでの想像は、普通に生きているだけでは、なかなかできないと思います。

優しさとは、「想像力」だと思う

このような事実を学んで、症例の痛々しい写真を見て、何を感じたかというと、

知らないことを想像する難しさと、それでも相手の立場や状況、それに伴う気持ちを、想像する努力や知る努力をすることが、いかに大切か、ということです。

今日の実技で、僕が被介助者の足を何げなく掴んで動かしてしまった時に、先生から、「きみ、今のは良くないね。介護は何でできていると思う?優しさだよ。」と注意をいただきました。すごく印象に残る言葉でした。

「上から掴むより、下から抱える方が、触れられる側は丁寧に感じるでしょう?」

その通りです。

ただ「一人で起き上がれない寝ている人を、起こしてあげる。」という非常に単純な動作一つの中でも、「起こされる人の気持ち」がどれだけ良い形でできるか、というだけでも動作の選択は大きく変わりますし、相手の気持ちを想像する力も必要で、それができるかできないかで、その「仕事の価値」が大きく変わるわけです。

「大人になって、今まで一人でできて当たり前だったことを赤の他人に手伝ってもらわないといけないというだけで、ほとんどの介護サービス利用者は、辛いし申し訳ないという気持ちになっています。そんな心をどれだけ解けるかも、介護士の力量です。」

奥の深い世界だなと思いました。目に見える体のサポートより、心のサポートの方が、大切な仕事なのかもしれません。

音楽家が果たせる役割

音楽家の仕事における「役割」というと、いろいろな意見があるかと思います。音楽家の存在理由とでも言いましょうか。なぜ世の中に音楽家が必要なのか?非常に奥の深い問いだと思っています。

以前から僕は、音楽そのものの持つ役割は「人の心の向きを変える」ことだと定義してきました。

音楽に触れると人は多かれ少なかれ何か思考の変化が生まれ、エネルギーの強い音楽は、一人の人間の明日からの生き方さえ変えてしまうこともあると思うのです。

そんな音楽という道具を自由に操れる音楽家は、人々の心をサポートやケアをする役割を持てるし、持つべきではないか、と思っています。

単純なことです。その音に触れる人が「明日からも頑張って生きよう!」と思えるような音楽を奏でられる人、奏でようとし続ける人が、本当の音楽家だと思います。

ただこれが、なかなかにむずかしーい。

音楽家としても、福祉事業従事者としても、想像力のトレーニングと相手を知る努力は必要ですね。

心のサポート。この部分にもっと焦点を当てて、深く考えていくと、明るい道が見えてくるような気がしています。

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