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消しゴムの思い出と、語られずに姿を消す消しゴムたち

 僕は一体人生でいくつの消しゴムを使っただろう。
 家にあったもの、親に買ってもらったもの、登校時にもらった塾のチラシについてきたもの、旅行のお土産で買ったもの、もらったもの。数えきれないほどの消しゴムを使ってきた。
 僕は自分で言うのもなんだが、人並み以上には勉強してきたという自負はある。しかし、それでも消しゴムを最後まで使い切ったことは片手で収まるくらいにしかない。
 消しゴムというものはどうして、使い切る前に僕の前から姿を消してしまうのだろう。机の片づけをしても、引っ越しの荷造りをしても、断捨離をしても、消しゴムは一度も捨てたことはない。それなのにどうして。
 現在、僕の筆箱には消しゴムを3つ入れてある。一つは小学1年の時に祖父にもらった消しゴム、これが一番の古株だ。この消しゴムは雑誌の付録だったもので、硬くて弾力があまりなく、小さくて細かい消しカスが出るタイプのものだ。サイズは最も一般的なサイズで、それほど使い込んでいないため、まだ元のサイズに近い。しかし古いもののためカバーはボロボロにちぎれたので捨ててしまった。
 もう一つは、中学2年ごろに買った、黒くて通常より一回り大きいサイズの消しゴムだ。これは、有名メーカーの消しゴムで、当時文房具店で買ったものだ。中学時代はこの消しゴムがスタメンだった。今ではずいぶん小さくなって、筆箱の消しゴムの中では一番小さいが、確かな実績から筆箱メンバーに選出されている。何かあって他2つの消しゴムが砕け散っても、こいつさえあれば試験の一つや二つ乗り切れるだろうという安心感がある。チームの精神的支柱である。
 そして最後の三つめは、高校3年の時に大学のオープンキャンパスに行った際、売店で買ったものだ。結局、別の大学に入学したが、使っている。なんといっても性能が段違いなのだ。よく消えるうえに消しカスがほとんど出ない。サイズも一番好きな通常より一回り大きいサイズ。しかし、別の大学のロゴが入っており、使うときなんだか気恥ずかしい。
 このように考えると、自分の消しゴムは自分の人生をよく映しているな、と思う。小学校の頃にもらった思い出は今も覚えているし、それを入れていたこれまた祖父にもらった金属性の筆箱のことも思い出せる。中学の頃に買った消しゴムは、色が黒ということでいかにも中学生のチョイスという感じがする。また、中学のころからある消しゴムで手遊びする癖が今でも抜けない。考えている最中などにしょっちゅうやってしまう。高校の時に買った消しゴムは、ある種人生で最も大きい挫折の象徴だったりもする。そして思い出せないほどたくさんの使わずに、あるいは角だけ使って紛失したカラフルな消しゴムたち。あいつらはどこかで楽しくやっていけているだろうか。
 これから僕は一体いくつの消しゴムと出会うだろうか。それらとの思い出はどのようなものがあるのだろうか。そして、一体いくつの消しゴムを、その使命を果たさないままに忘れ去ってしまうのだろう。

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