当事者意識
こんにちは!けいしょーです。
久々の投稿。
私は先日、仕事の関係でコロナ感染者の濃厚接触者になってしまった。
今回は当事者意識について記載していく。
なぜ濃厚接触者に?
コロナに関して正直なところ他人事だと感じていた。
だからと行って自粛を無視していたわけではなく、極力外には出ないこと、人には会わないことは行っていた。
マスクだって着用せずには外出はしておらず、家に帰れば必ずイソジンでうがいをしていた。
対策自体はできていると思っていた。
だが、今回の場合自分がいくら対策を行っていても起きてしまうことである。
なぜなら自分ではなく他人が要因となるからである。
コロナ禍において感染者は当然ながら、その周囲の濃厚接触者も当事者になれるのだ。
私の場合、仕事で対面で打ち合わせした協力会社の方々に感染者が発覚し、私自身は濃厚接触者となった。
(リモートではできない、対面でしか行えない業務)
防ごうとして防げなかったというのが印象である。
当事者になって思うこと
率直に思うのが社会人としての責任。
隠して過ごすことは可能だが、隠した上でコロナが発症した場合、周囲に・会社に・社会に「濃厚接触者と分かっていながらも外出した、菌を撒き散らした」というレッテルを貼られてしまう。
菌を拡散させないことの他にこのレッテルを貼られないためにも自身で外出自粛をしているところである。
また、さらに思うのが、当事者に対して体制の整っていない社会であるということ。
こちらから外出自粛を行うことは容易であるが、保証は無い。
※私自身が特段保証を求めているわけでは無いです。
例えば、この土日に旅行を計画していたとする。直前で濃厚接触者と認定を受け、会社から外出禁止令を出されていても誰も旅行のキャンセル代を払ってくれないのだ。
自身で負担をする、というのが通例になっている。そのことに不満を覚えるのはやはり当事者になってからだった。
飲食店などサービス業が保証を求めることは生活がかかっているため当然のことだと思える。
ただ自粛しろ、などは保証とセットであるべきと改めて思う。
当事者意識
何に対してもそうだが当事者意識が大事。
私はこのnoteでは死をテーマに記事を作成している。
その意図の中に、死という難しいテーマに対して当事者意識で向かっているコンテンツを必要としている人に届けたいという想いがある。
今回のように当事者になってから気づくことは多々あるため、これからもそうした記事は形にしていきたいと思う。
今回はこんな感じで終わります。
次の記事も読んでください!
引き続きよろしくお願いします!
けいしょー
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