自民党総裁選とメディアの問題:国民は本当に参加しているのか?
自民党の総裁選のニュースを聞くたびに、私はいつも不思議に思います。
ほとんどの国民が投票できない選挙が、なぜこれほどまでに大々的に報道されるのか。
私たちが、立候補者に影響を与えられない選挙を、まるで自分たちも参加できるかのような錯覚に陥ります。
本日の記事は、そんな疑問を持ちながら書いたエッセイです。
ぜひ一緒に考えてみませんか?
なぜ私たちはこんな身内の争いを連日連夜、目にしなければいけないのでしょうか?
自民党総裁選は、日本の政治において極めて重要なイベントであり、次期首相を決定するプロセスというのは理解できます。
しかし、多くの国民にとって、この選挙は直接の投票権がないため、どこか遠い世界の出来事のように感じます。
それにもかかわらず、メディアはこの選挙を連日大きく取り上げ、まるで全国民に関わる重大なイベントであるかのように報道しています。
まず、考えなければならないのは、なぜメディアがこれほどまでに総裁選を大々的に報道するのかという点です。
確かに自民党総裁選は事実上次の首相を選ぶ選挙ですが、国民が直接投票できない以上、メディアがこれを「視聴率稼ぎ」として扱っているのではないか、という批判が生じるのは自然なことでしょう。
視聴者にとって、実際に投票権のある選挙とは異なり、総裁選の報道は単に見守るしかない「劇場型政治」の要素が強く、エンターテイメント化しやすいからだと考えます。
多くの国民が「誰が勝っても同じ」という無力感を抱く中、メディアはその無力感を逆手に取り、視聴率を稼ぐために、あえて「ショー」のように報道しているのではないでしょうか。
つまり、総裁選は、政治的影響の少ない「エンターテイメントショー」としてメディアに利用されている可能性が高いと思います。
しかし、前述のように投票権のない国民に対して、大々的に報じれば、「結局、自分たちは何もできない」という無力感を助長する可能性があります。
メディアは「視聴率」や「話題性」を重視し、重要な政策論争や国民が直接参加できる選挙よりも、総裁選という舞台装置に注目しているに過ぎないと思います。
このような報道姿勢が、政治不信の一因となっている気がします。
この状況は、民主主義の本質である国民の意思が軽視されていることを如実に示しているのではないでしょうか。
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