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【試し読み】オーウェル『一九八四年』 ディストピアを生き抜くために

 ディストピアSF小説としてだけでなく、「英語で書かれた20世紀の小説ベスト100」や「史上最高の文学100」といった企画でも名前の挙がる、ジョージ・オーウェルの代表作『一九八四年』。1949年に刊行されて以降、その舞台設定となった1984年をはるかに超えた現在に至るまで、なぜこの小説は世界各国で読み継がれ、さまざまな創作物あるいはジャーナリズムに影響を与え続けているのでしょうか?

『一九八四年』の初版(左:英国版、右:米国版)

 本書『オーウェル『一九八四年』――ディストピアを生き抜くために』では、本邦におけるオーウェル研究の第一人者川端康雄氏が、『一九八四年』の執筆された時代背景や執筆の過程を丁寧に解説したうえで、作中に描かれた絶望的な近未来世界の中にオーウェルがどのような思いを仮託し、希望のヴィジョンを残したのかを読み解いていきます。

 今回は、本書の構成や問題意識が簡潔に著されている「序」部分を公開いたします。『一九八四年』の原作を読んだ方も読んでいない方も、ぜひご一読いただければ幸いです。

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 読んだことはないけれどなんとなく知っている、そういう本がある。原作を読まずに「アダプテーション」によって、すなわち映画やテレビドラマ、あるいは漫画に「脚色」されたかたちで読んだり視聴したりしているということもあるだろうし、あるいはそうした作品をいっさい見なくても、ちょくちょく名前を聞くのでなじんでいるという場合もある。

 ジョージ・オーウェル(1903-50)の小説『一九八四年』(1949)もおそらくそうした本のひとつで、もちろん刊行以来世界中の多くの人が原書で、あるいは翻訳で読んできたのであるにせよ、そうした読者をあわせたよりも何十倍、何百倍(あるいはもっと多く?)もの人が、『一九八四年』自体を読まずしてこの作品世界をある程度「知っている」のだと思う。じっさい、2009年にイギリスでおこなわれたある調査によると、『一九八四年』は「読んでないのに読んだふりをしている本」の第一位であったという(二位がトルストイの『戦争と平和』、三位がジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』だったとのこと[注1])。

 「オーウェル的(Orwellian)」という形容詞が英語辞書の見出し語に入って久しい。「ビッグ・ブラザー」という独裁者名はもとより、「真理省」、「ニュースピーク」、「二重思考(ダブルシンク)」、「テレスクリーン」といった、作品中に出てくるオーウェルの造語は、その後広く用いられて、全体主義体制や行きすぎた管理社会化への懸念を表明するときの常套句にさえなっている。「『一九八四年』的世界」という語句で共有できるイメージを私たちはたしかに有している。そういう点からして、『一九八四年』は世界を読み解く鍵となるテクストのひとつであることは間違いない。

 本書ではまず第Ⅰ部で、オーウェルがこの小説を構想し執筆した1940年代のイギリスと世界の政治状況を確認しながら、『一九八四年』がどのように成立したか、また出版直後にいかなるインパクトを世界に与えたかを確認する。第Ⅱ部でテクストの中身に踏みこみ、物語世界の版図、階層秩序、主要人物の錯綜した(「愛」をふくむ)関係、語られる事物の象徴的含意の読解、政治と言語、歴史の改竄、プロール、監視社会、反ユダヤ主義といった関連するテーマに沿って「『一九八四年』的世界」の実相を見る。最後の第Ⅲ部では、物語られる世界の正統的教義【ルビ:オーソドクシー】とナショナリズムの関わりを探究したうえで、この小説が問題化する人間性と非人間性、また政治と芸術の問題について検討する。

 オーウェルは一連のエッセイによってすぐれた英語散文の書き手として定評があるけれども、『一九八四年』の文章はそうしたエッセイ群ほどには味読されてこなかったように思われる。それはこの小説世界に描かれた近未来のロンドンの陰鬱な描写に圧迫感を覚えるからであるのかもしれない。しかし、この小説には人間社会とそこでの人びとの暮らしについてのポジティヴなヴィジョンが(作者自身の表現を借りるなら)「窓ガラスのような散文」[注2]によって綴られている。ディストピア小説の代表作と目される本作品を読むのに、そうした側面に注意を払うのが大事であると筆者は感じている。

[注1]
 「英国人の大半、読んでいない本も「読んだふり」=調査」『ロイター通信』2009年3月6日。https : //jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-36852820090306. 2022年1月6日閲覧。

[注2]
「よい散文は、窓ガラスのようなものだ(Good prose is like a window pane)」。George Orwell, ‘Why I Write,’ Gangrel,[No. 4, Summer]1946, p. 9; Peter Davison, ed., The Complete Works of George Orwell, London: Secker and Warburg, 20 vols., 1984─98〔以下CW と略記する〕,
vol. 18, no. 3007, p. 320.(オーウェル「なぜ私は書くか」鶴見俊輔訳、川端康雄編『象を撃つ――オーウェル評論集1』平凡社ライブラリー、1995年、120ページ。右の引用はこの鶴見訳による。)以下、オーウェルの文章からの引用は原則としてピーター・デイヴィソン編のこの20巻本全集の巻数、通し番号、ページで示す。邦訳文献がある場合はそのデータを適宜注記するが、訳文は断りのないかぎり拙訳である。

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【著者プロフィール】
川端 康雄(かわばた やすお)
日本女子大学文学部教授。英文学専攻。明治大学大学院文学研究科博士後期課程退学。主な著書に『増補 オーウェルのマザー・グース――歌の力、語りの力』(岩波現代文庫、2021年)、『ジョージ・オーウェル――「人間らしさ」への讃歌』(岩波新書、2020年)、『葉蘭をめぐる冒険――イギリス文化・文学論』(みすず書房、2013年)、『ジョージ・ベストがいた――マンチェスター・ユナイテッドの伝説』(平凡社新書、2010年)、主な訳書に、オーウェル『動物農場――おとぎばなし』(岩波文庫、2009年)、『オーウェル評論集』(編、共訳、平凡社ライブラリー)などがある。

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