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【試し読み】『西遊記』 子ども向けの本ではない?

 『西遊記』は16世紀の中国、明の時代に完成した神怪小説(*注)です。三蔵法師が、孫悟空、猪八戒、沙悟浄らを供に、経典を求めて天竺(インド)を目指して旅する、という物語はみなさんご存知でしょう。実在の僧侶玄奘がインドを旅した史実をもとに、さまざまな逸話を吸収して発展したこの巨編は、拡散と膨張をくりかえし、現在でも映画、アニメ、マンガなど、あらゆるメディアに変換されつづけています。子供のころに絵本や児童文学で『西遊記』を読んだという方は多いと思います。

(*注)神仙、妖怪、妖魔たちが、超人的な術や不思議な力を使って戦いを繰り広げる小説。

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アニメ『大鬧天宮(邦題:大暴れ孫悟空)』をもとに作られた絵本 
根拠上海美術電影製片廠同名動画片、劉進元選編、上海美術電影製片廠・中国電影公司供稿『大鬧天宮(上集)』(人民美術出版社、1979)

 とはいえ、岩波文庫で全10巻刊行されている翻訳本(中野美代子訳)を読み通した方はそんなに多くはないかもしれません。 
 それでは、そもそも実際の『西遊記』にはなにが描かれているのでしょうか? そして作者はだれなのでしょうか? なぜここまで世界的に広がったのでしょうか? 武田雅哉先生による本書『『西遊記』――妖怪たちのカーニヴァル』は、有名すぎるわりには実のところよく知られていないこの小説の謎を、登場する妖怪たちに注目しながら楽しく読み解いていきます。
 まずは、子供時代に誰もがふれる『西遊記』は子供向けの本ではない、沙悟浄はカッパではない、という目からうろこのトピックから本書は始まります。こちらの冒頭部分をぜひ試し読みしてみてください。

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序 『西遊記』は子供に読ませるな!

 いま、本屋の児童書コーナーに行けば、子供むけに書き直された『西遊記』や、絵本になった『西遊記』が、何冊かは見つかるだろう。明治以降、主要な出版社で企画された児童文学のシリーズには、『西遊記』はかならず入っていたし、この作品にもとづいたマンガやアニメ、テレビドラマなどは何度も作られている。日本ではそんな事情から、大人から子供まで、『西遊記』なるものの存在は、とりあえずは知っているだろう。『三国志』や『水滸伝(すいこでん)』も、わが国ではよく読まれている中国の文学作品だが、子供むけの本としては『西遊記』がいちばん知られているのではないだろうか。
 ここで、あえてこう言ってみよう。
 ――『西遊記』は子供に読ませるな!
 ならばあなたは、どう反応するだろう。
 ――『西遊記』はれっきとした児童文学じゃないか。子供に読ませるべきだ。
 ――サルやブタがしゃべるんだから、童話だろう。子供の読物としては最適だ。

 『西遊記』は、「童話」や「おとぎばなし」や「児童文学」などではなかった。そのようなものとしては書かれてはいないし、そもそもそんな概念などない時代の産物である。ところが近現代にいたって、子供むけの読物に書き直され、提供されてきたという経緯がある。それは、近代における「子供の発見」的な思潮と、子供には、子供のための読み物を創造し、提供しなければならないという流れにもよっているだろう。
 似たような理由によって児童文学として読まれているものには、スウィフトの『ガリヴァー旅行記』や、セルバンテスの『ドン・キホーテ』などがある。いずれもしかるべきリライトを経て、児童文学に改編され、読書を推奨されている。
 では『西遊記』は、児童文学として読まれてもよいのだろうか? いやいや、そんな議論をする前に、いまこの本を手に取っている、おそらく大人であるあなたは、そもそも『西遊記』を読んだことがあるのだろうか? ちゃんと『西遊記』を読んでもいない大人が、まわりの子供たちにこの作品を与えて、「さあ、読みなさい」と勧めるのは無責任というものだ。まだ『西遊記』をちゃんと読んでいない、そんなあなた。あるいはまた、子供のころに読んだけど、よく覚えていないというあなた。まずは本書の第I章をこっそり開いて、『西遊記』がいったいどんかなおはなしなのか、のぞいてみてはいかが?

Ⅰ 『西遊記』はどんな本か

◆『西遊記』三大トリビア
 どうやらわが国には、『西遊記』に関して、いくつかの誤解があるようだ。とは言っても、べつに深刻な事態などではなく、どうでもいい瑣末な知識(トリビア)なのだが。

トリビアその1——沙悟浄は河童(かっぱ)ではない
 大学の授業でこのことに触れると、かなりの学生から「ええっ!」という驚きの声が届いてくる。あるアンケート調査によれば、某大学の中国語履修学生の七〜八割が、沙悟浄を河童だと思っていたとのこと。筆者もときどき、そんなアンケートをとってみるが、「河童でない」という真実を知った時に、かなりのショックを受けたと学生たちは正直に語ってくれる。
 日本では、『西遊記』受容のかなり早い時期から、沙悟浄を河童ふうに描いてきたようだが、その経緯についての研究もいくつかある。『西遊記』の問題というよりは、日本人による中国文化受容の特徴のひとつとして考えるべきだろうか。

トリビアその2——三蔵法師は男である
 日本で作られてきた『西遊記』のテレビドラマでは、しばしば三蔵法師の役が女優にキャスティングされるため、歴史上の三蔵法師のことには特段の関心がなく、テレビドラマだけで『西遊記』をなんとなく知っているという日本人のなかには、三蔵法師は女であると本気で信じている人が少なくない。これもまた、筆者が大学の講義で『西遊記』に触れるとき、学生たちにむかって「三蔵法師は男だって知ってるよね!」と確認したところ、数百人の受講生たちで埋まった講堂は、一瞬シーンと静まりかえる。あとでアンケートをとると、やはり七〜八割の学生が「じつは三蔵は女だと思ってました……」と、正直にうちあけてくれた。子供むけに書きなおされたものでもいいから、いちど『西遊記』を読んでくれていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。

トリビアその3——猪八戒は黒ブタである
 この問題については、ブタふぜいの色など、どうでもいいことだと、冷たく言いはなつかたもおられよう。猪八戒については、ほとんどが白ブタ、ピンクブタであると認識されているようだ。実写のドラマで人間が演じる場合も、特に顔を黒く塗るわけでもないし、日本で作られたいくつかのアニメーションでも、肌色が多いようである。かれが黒ブタであることは原作でも言及されているのだが、ちゃんと読んだ人にも見落とされているのかもしれない。そんな事情は中国でも似たようなものだ。そもそも現存するもっとも古い明代の『西遊記』の挿し絵でも、ほとんどが黒ブタとしては描かれていない。

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三蔵、孫悟空、猪八戒、沙悟浄、全メンバー集結
王北星改編、趙宏本・銭笑呆絵画『孫悟空三打白骨精』(連環画出版社、2008)

◆『西遊記』を飛ばし読みする◆
 この小説をすでに通読したという読者には申し訳ないのだが、ここで『西遊記』のあらすじを紹介しておかなければならない。もちろん、こんなあらすじ紹介などはすっとばして、いますぐ原著の翻訳を読んでいただくのがいちばんなのだが、なにしろ長い長いおはなしなので、読者のみなさんが、いずれ全編を読みとおしてくれるであろうことを希望しながら、ごくごく簡単にストーリーをおさらいしておこう。
 ここでまず言っておきたいのは、小説の『西遊記』にも、さまざまな版本(はんぽん)、すなわちヴァージョンがあるということである。それらの差違の詳細や、前後関係、影響関係を明らかにすることは、『西遊記』を研究するうえで非常に重要な作業なのであるが、あまりにも煩瑣なはなしになってしまうので、この本では、第I章の後半で、『西遊記』の成立過程について説明しながら簡単に紹介するくらいにしておく。本格的に研究をしてみようという読者は、注や参考文献にあげた専門的な研究書をお読みいただきたい。
 そのように数ある版本のなかでも、全百回からなる『西遊記』で、現存する最古のものとされるのが、明代の万暦20年(1592)に、金(きん)陵(りょう)、つまり現在の南京にあった世徳堂(せいとくどう)という出版商から刊行されたものである。これから読んでいくあらすじも、基本的にはこれに拠っている。

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現存するもっとも古い百回本『西遊記』
世徳堂本『西遊記』 天理大学附属天理図書館蔵、瀧本弘之編『中国古典文学挿画集成(二)西遊記』(遊子館、2000)1頁

 『西遊記』物語は、大きく三つの部分にわけられる。
第一部は、花果山(かかざん)で誕生した石ザルの孫悟空が、神通力を獲得していったあげく、天界の神々の世界で大暴れ、最後には捕獲され、如来の手によって五行山(ごぎょうざん)に封じこめられるまでのはなし(第1回~第7回)。
 第二部は、人心が荒廃している東土(とうど)(東方の地、中国)に、お釈迦さまのありがたい教えを広めるべく、中国(唐)から天竺にお経を取りにいくメンバーを、観音(かんのん)菩薩(ぼさつ)がキャスティングするはなし。観音は、まず取経の僧を守るものたちとして、孫悟空らを選び、最後に取経僧として三蔵法師を選ぶが、ここでは三蔵法師の出生譚と唐太宗(たいそう)の地獄めぐりのエピソードが語られる(第8回~第12回)。この第二部は、悟空たちが選ばれるはなし(第8回)と、三蔵と唐太宗の物語(第9回~12回)のふたつにわけてもよいだろう。
 第三部は、三蔵法師ら一行による西天取経の旅であり、『西遊記』物語の主要な部分である(第13回~第100回)。

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【著者プロフィール】
武田 雅哉(たけだ まさや)
北海道大学文学部教授。中国文学専攻。北海道大学大学院文学研究科修士課程修了。主な著書に、『中国のマンガ〈連環画〉の世界』(平凡社、2017)、『中国飛翔文学誌』(人文書院、2017)などがある。

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