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【試し読み】なぜ紛争は長期化し、暴力は再発するのか?『終わりなき暴力とエスニック紛争』

紅茶の産地として知られるインドのアッサム地方は、ブータンやミャンマー、バングラデシュの国境近くに位置しており、その地政学的特徴から、土地をめぐる争いが長く続いている場所でもあります。『終わりなき暴力とエスニック紛争』では、この土地の紛争を例にとり、避難民や運動指導者への聞き取り調査を通して「なぜ、政治的合意ののちも紛争が解決しないのか?」という問いに挑みました。そこから見えてきたのは、民族の共存共栄をうたう連邦制がうわべだけのものにすぎず、さまざまな問題が隠蔽されているという実態でした。

以下で、本書の問題意識を取り上げた序章の一部を掲載します。ぜひご一読ください。

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 1990 年代、インド北東部のアッサム州西部において、土地の先住民族ボドの人々と移民出自の「よそ者」とみなされる人々の間で数回にわたり民族間衝突が起き、数十万人に上る人々が身の危険を覚えて村から避難した。暴力的な衝突が収まったのちも多くの人が帰還できず、避難民キャンプで生活していた。2011年3月、筆者は紛争による国内避難民の状況を知るための調査の一環で、避難民たちが新たに村を建設しているところを訪れた。元の村では小学校の先生をしていたというバイア・ソレンは、筆者にこう語った。

今でも自分の土地を夢に見ることがあるよ。土地をなくして、とても悲しい。われわれはジャールカンド(インド中央部の州)から来たのだから、ジャールカンドに帰れ、と言われる。しかし、ジャールカンドのことは聞いたことはあっても、行ったことも見たこともない。土地もないのに、どうやって帰れというのか。政府やいろんな人がやってきて私たちの話を聞いていく。でも、何も起きない。

 彼やその周囲の村の人々は1996年と1998年の紛争で元住んでいたところを追われ、長年避難民キャンプ生活を余儀なくされた。筆者が建設中の村を訪れたのはちょうど補償金が支払われ、元の村に戻る目途の立たない人々がキャンプを出てほかの土地に移り住み始めた頃だった。紛争の被害に遭い、攻撃の対象となったのは1990 年代を通してのべ50万人以上もおり、2010 年から2011 年の段階では5 万人から10 万人が避難民キャンプで生活していた。そのほとんどがベンガル地域に出自を持つムスリムか、アディヴァシと呼ばれる、他州出身の先住民族の人々である。

 1993 年に最初に攻撃対象となったのは、ベンガル地域に出自を持つムスリムである。そして1996年と1998年の攻撃で標的となったのは、サンタルなどインド中央部の先住民族(アディヴァシ)(※注1)の人々である。故郷では先住権を主張し、ジャールカンドという自分たちが中心の州を持った彼らだが、19 世紀から20 世紀にかけて移住してきたアッサムでは移民の扱いを受け、攻撃の対象となった。攻撃前に住んでいたところから数キロから数十キロメートルの土地で避難生活を送り、今でも元の村に戻れないかと機会をうかがう者は多い。それでも帰還はなかなか実現しない。また、避難民の一部はこの地域の先住民族のボドの人々である。1990 年代の紛争でムスリムやアディヴァシへの攻撃を始めたのはボドの武装組織だが、その報復でボドの村人たちも家を焼かれ、村に戻れない人々もいる。

 アッサム州西部のボドランド領域県(Bodoland Territorial Areas District, BTAD)(ボド領域評議会(Bodoland Territorial Council, BTC)の管轄県)における暴力は、1980 年代後半に始まったボドランド州要求運動と関連して発生している。ボドの人々の自治を達成するために全ボド学生連合(All Bodo Students’ Union, ABSU)が始めた運動は、ボド民族の学生や大衆の支持を得て大規模な動員に成功した。そして、1993 年にはボド自治評議会の設置に合意した第一次ボド協定が締結された。しかし、インド連邦政府やアッサム州政府との交渉過程で、どの領域をボド自治評議会(Bodo Autonomous Council, BAC)の管轄領域とするのかについて紛糾したことがきっかけで、ボドランドとして要求された土地の一部でムスリムが攻撃される事件が起きた。さらに1996年と1998年には前述のようにサンタルを含むアディヴァシの人々がターゲットになり、暴力の連鎖が継続した。

 なぜ、インタビューしたバイア・ソレンのように避難民となった人々は、紛争が収まったのちも土地に戻れないのだろうか。実は大規模な衝突が収まったのちも、ムスリムやアディヴァシに対する暴力は継続し、多くの村人たちは村に帰還すると身の危険を感じる状況が続いた。2003年、第二次ボド協定が締結された際には、避難民を再定住させることがインド連邦政府、アッサム州政府、ボド解放の虎(Bodo Liberation Tigers, BLT)(ボドの民族組織)の間で合意された。しかし、関連条項が実施されることはなく、多くの村人たちが村に戻れないままである。

 そして2012 年に再度、ボド民族とベンガルに出自を持つムスリムの間で暴力的な衝突が生じ、約100 人が死亡、40 万人が国内避難民となった。暴力は断続的に2、3 カ月継続し、多くの人が避難生活の長期化を余儀なくされた。2014 年には同様の事件がアディヴァシに対しても起こり、約20 万人が避難した。2010 年代の紛争では数カ月から1 年で帰還することができた人が多かったが、この地域で暴力が収束したと思っていた人々に対して大きな衝撃を与えた。政治的な合意の締結後もなぜ村人たちは元住んでいたところに帰還することができず、紛争は解決しないのだろうか。そして、なぜ暴力は再発し続けるのだろうか。

 1990 年代にこうした民族紛争で多数の死者や避難民が出たのは、アッサム州だけではなく、グローバルな現象である。1994 年のルワンダ暴動の際には、トゥチとフトゥの間で大規模な虐殺が起こり、50 万人とも100 万人ともいわれる死者が出た。また、旧ユーゴスラヴィアの解体に伴い、ボスニア・ヘルツェゴビナなどでもそれまで平和裏に共存していたセルビア人、クロアチア人、ムスリムの間で紛争が起き、25 万人を超える死者と100 万人を超える難民が出た。ほかにも東欧や中央アジア、コーカサス、アフリカを中心に紛争が起き、エスニックな紛争に対する関心が高まって研究成果が蓄積された。

 アッサム州の位置するインド北東部は、南アジアのバルカンといっても過言ではないほど民族構成が複雑であり、また紛争が頻発した地域である。この地域では1980 年代後半より武装紛争が頻発し、1990 年代には民族間の衝突もいくつか起きた。死者の数は上記のルワンダや旧ユーゴ紛争と比べれば少ない(1 回の衝突で50~100 人ほど)が、危険を感じて避難する人の数が数十万に上るのが特徴である。さらに紛争が長引いて避難民が帰還できず、また紛争が再発する事例が多いのが特徴である。

 経済的に成長を遂げ、民主主義国家として安定した政治を運営する、もしくは民主主義に移行しつつある国においての紛争は、いわゆる「破綻国家」や国家自体が機能していない地域に比べるとあまり注目を集めない。国際的な影響が少ないためであり、また当該国家が介入を拒否するので、国際的な仲介が難しく、知見の蓄積が難しいためでもある。しかし、こうした地域での被害と影響は決して小さくはない。インドは自ら「世界最大の民主主義国家」を標榜し、途上国の中では安定した政権交代と二大政党制を実現していると評されている。しかし、一方、北東部やカシミールの紛争対策では少数派をおさえつけ、人民の意思を代表して政治を行うという民主主義の根幹を危うくする側面がある。紛争の存在は北東部におけるインド政府の統治の正当性を問う問題でもある。

 本書の目的は、まず紛争や避難の現実がなぜこの地域で長引いているのか、そして暴力はなぜ再発するのかをインド北東部ボドランドの紛争を事例として分析することにある。北東部については、インド政府が調査研究や報道目的の取材を厳しく制限しているため、紛争多発地域にもかかわらずなかなかその事例が紹介されない。しかし、ボドランド、そしてインド北東部の事例は、連邦制のあり方に重大な欠陥があり、自治のあり方によってはそれ自体が紛争の再発や暴力の継続につながるということを示している。インドの連邦制は比較的エスニックな共存を可能にしたと考えられてきたが、それはさまざまな問題が隠されてきただけではなかったのか。本書で得られる知見により、「紛争後」の政治のあり方を紛争研究との連携から考察する必要性を示したい。

(※注1)アディヴァシとはヒンディー語で「先住民」を意味する言葉。アッサム州ではチョータナーグプル地域からアッサムに移住したサンタル、オラオン、ムンダなどの先住民族集団を指す。インドにおける指定トライブは州ごとに定められているが、これらの集団はアッサム州ではトライブ認定されていない。そのため公職や大学入学枠、選挙の際の留保枠を持たず、自治権を得ることも非常に難しい。なお、もともとのヒンディー語では「アーディヴァーシ」と発音するが、アッサム語では長音・短音の区別をしないため、本書では「アディヴァシ」と表記する。

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【著者紹介】
木村 真希子(きむら まきこ)
津田塾大学学芸学部多文化・国際協力学科教授。明治学院大学国際平和研究所客員所員。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。
専門領域は国際社会学、南アジア地域研究、エスニシティ/ナショナリズム研究。
主要業績は『The Nellie Massacre of 1983: Agency of Rioters』(単著, SAGE Publications India Ptv Ltd, 2013)、『市民の外交――先住民族と歩んだ30年』(共編著、 法政大学出版局、 2013年)、『先住民からみる現代世界――わたしたちの<あたりまえ>に挑む』(共編著、昭和堂、2018年)、 「インド・アッサム州における人の移動と人権保障」(『平和研究』第53号、2019年)ほか。

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