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慶應生が社会に出てみた結果(25歳外資メーカー勤務の場合)

天は人の上に人を作らず、インド人の下に我を作られた。

どうもこんにちは、社会に出た慶應生第三の男、外資メーカー勤務の25歳です。インド人のボスの元で日々額とワキに汗して働いています。

あえて言うならばおれは第一の男第二の男と比較し社会性・金を稼ぎそうなオーラに欠けており、金髪で就活に行ったり(落ちた)、三井物産の面接で住友商事の事業について間違えて喋ったりする(落ちた)ニート寄りのダメ人間でした。

そういう人間がなんでデジタル広告代理店という激務メンインブラック朝レッドブル昼レッドブル夜レッドブルの職場を生き抜けたのか、そっから外資転職をブチ決めて昇進するライフハックや、幼稚舎女子のおっぱいがすごいなどの情報を発信していきたいと考えております。

何者

港区で生を受け、港区で育った港区おにいさん。幼稚舎から慶應に忍び込み、6年+3年+3年+4年、計16年の純粋培養THE慶應ライフを経て無事社会に堕ちてきました。幼稚舎から慶應のボンボンたちは通常あんまり働いたりしないんですが、おれの場合は早めに両親が離婚しており、愛しきダディーが生活費を渋ったりしてたため、お前もまあメイクマネーしとけよみたいな感じで働かされることになりました。つらみ。あなたの学費はどこから?私は慰謝料から。口座ブロックです。

幼稚舎出といえばバカで・金はある・六本木にクソいるの三拍子、東京カレンダーを地で行く人間のイメージがまとわりつくものの、おれはバカであまり金はなく渋谷にいました。実際東カレみたいなマウンティングカースト地獄で生きる人間は1-2%くらい。バカなのは本当なので落第率は50%超えてきます。3%くらいは天才で医学部行ったりします。

ダディーとマミーはかなり神経質・教育しっかり型で、母子家庭になってからは愛しき我が子への過保護がスゴい時代もありました。しかしおれの度重なる朝帰り・タバコ・競馬によって今では健康でいればよいというところまでハードルが下がってくれています。ありがとうございました。

キャリアサマリ

新卒:デジタル広告代理店

3年目:外資メーカーへ転職

4年目:昇進

おれのキャリアスタートは周りの慶應ボーイ達と比して決して華々しいものではなく、電通はSPI落ち、博報堂はグル面落ち、リクルート系は働きたくないことがバレて落ち、とりあえず最初に内定出たデジタル広告代理店に潜り込むところからスタートします。あとからダディーにテレ朝にコネあったのにとか言われてボコろうかと思いました。おれのテレビマン人生を返してくれよ。

デジタル広告の仕事については改めて詳しく書きます。いや書かせてくれ。入社1ヵ月、引継ぎロクにしないままメンターがハワイ行って客先一人で行く、3日前にちょろっと説明受けただけの媒体でも即クライアントに営業行くなど、いい意味でも悪い意味でも放置プレイな体質に加え、ちょうど広告業界全体でデジタルへ予算がシフトしていくフェーズの中で、でかいクライアントからコンペに呼ばれまくるみたいな境遇の中で働きまくっていました。

3年目に外資FMCG(Fast-Moving-Consumer-Goods、いわゆる消費財)メーカーへ転職を決めます。ここがキモでした。ミラクルです。代理店からクライアント側に行くルートとしてはいくつかの手段がありますが、おれの場合はちょっと禁じ手なルートでした。ここも別途、改めて書かせてもらいます。

今ではデジタルマーケ・Eコマースらへんで新規事業開発、もとい営業の仕事で飯を食わせてもらってます。モンクレールで営業先行きます。

今後書くこと

広告代理店での働き方、外資系企業での働き方、ずるめな転職方法、クライアントの攻略方法やEC周りの最新情報から、ハプニングバーで48歳のオバサンを抱く話まで幅広く書くつもりです。おれは営業としては3流以下でして、なんでかというとあんまり売る気がないからなのですが、意識の低い人間が日々を楽しく生きるために、という視点で書かせてもらいます。今後とも穏便によろしくお願いいたします。

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