見出し画像

紙くず 〜ニューヨーク編〜

ある瞬間に、価値ある紙が、紙くずになってしまうことがある。

私はまだ学生で、アルバイトで貯めたお金で、日本からアメリカのニューヨークに行き、夏休みを過ごしていた。ニューヨークには、私の叔母がいて、そこに滞在をさせてもらいながら、それまでは、ニューヨークへ留学するためのリサーチをしたり、美術館やアートギャラリーへ行ったり、買い物をしたりして時間を過ごしていた。そしてなぜか、翌日の8月12日の日本への帰国を前に、最後に気分でふらっと、世界貿易センタービルへ行ってみようといった感じだった。記憶としては、当時の私には、世界貿易センタービルの展望台への入場料は、少し高額に感じてしまい、これまた気分で、結局は諦めていたことくらいしかない。

私は叔母の家に戻り、夕食の前に、翌日の帰国の準備をしなくてはと、スーツケースに荷物を押し込み、入れては出してを繰り返し、工夫をしながら、大嫌いな作業をしていた。そして、当時は紙だったチケットに何となく目を通すと、ななんと、そこには出発の日付と時間が書かれていて、翌日の8月12日ではなく、その日の8月11日になっていることに気が付くのだった…その時点で、出発の時刻は、既に過ぎていた。

8月11日!? 嘘でしょ!? 今日だったの?
げっやっば…どうしよう…

私はパニックになり「今日のフライトだったよ!!」ベットルームから叫び、キッチンにいた叔母に伝えた。ベッドルームで、私を見守りながらウトウトとしていた猫が目をパッチリと見開き驚く。私がキッチンの方へいくと、叔母は「えっ何言ってんの、嘘でしょ」と言い、私は「嘘じゃない!今日のフライトだったんだ、どうしよう…そもそも格安航空券だからフライトの変更は出来ないし、何にしてもフライトの時間が過ぎたら、もうこれ紙くずだよね…」と言い、その紙くずとなったチケットを見せたのだった。叔母は「そんな勘違いすることってあるの?もういい年齢だから、そんなことまで手取り足取りいちいち確認してあげる必要はないかと…確認してあげる必要があったのかね??あーすればよかったね…」と言うのだった。

その晩、私は世界貿易センタービルに行ったことを後悔していた。朝から帰国の準備をしていれば、もしかしたら、もっと早く気がついていて、空港に向かっていたかもしれなかったからだ。たらればというやつだ。

翌日、極度の自己嫌悪に陥る私と一緒に、叔母が、ジョン・F・ケネディ国際空港まで付き添ってくれることになった。私が「このチケットは、もう紙くず同然だよ」と何度もブツブツ言っていると、叔母は「交渉してみないとわかんないでしょ!」と言うのだった。そして、私がノロノロと重いスーツケースを引きずって歩いていると、イライラしたのか、私より筋力のある叔母が、そのスーツケースを奪い、スタスタと先を歩き始めたのだった。私は自分の手荷物だけを持って、そんな叔母が段々と遠くになっていく姿を後ろからトボトボと追いかけて歩くのが精一杯だった。

空港に到着すると、留学をする前の当時の私は、紙くず同然のチケットを片手に、英語で交渉するだけのレベルになく、叔母が「もう、こんなドジがいるなんて本当信じられないわ」と言い私から紙くずを奪い、チェックインカウンターにて交渉し始めたのだった。航空会社のスタッフの女性は、最初は同情の表情で私を見つめ「それはそれは…大変でしたね。しかしながら、お客様のチケットは、昨日のフライトですので…」と当然の説明をするまでだった。

そんなやり取りを繰り返し、叔母の交渉のしつこさもあってか、その女性は、どこかから現れた彼女の上司なのか決裁者なのかと思われる男性を見つけると、私たちから少し離れその男性と話し始めた。今度はどうやら彼女が、ドシな私のために、事の経緯を丁寧に説明し、しつこく交渉をしてくれているようだった。無力な私は、そんな彼女を見つめることしかできなかった。そして、私たちの方へ戻ってきた彼女は「それでは…一先ず、他の乗客のお客様の搭乗手続きが終わるまで、しばらくお待ちいただくことにはなります。現時点で、何もお約束はできません。もしも空席が出てくれば、またお呼びいたします」と言うのだった。私は、まだ喜べないと自分に言いきかせ、紙くずを片手にぎゅっと握りしめて、全身に変な力を入れてしまっているような状態で、ただ待つしかなかった。

しばらくすると、彼女が私たちを呼んだ。「オッケー搭乗できますよ!空きが出ましたので、急いでゲートへ向かってください」と言うのだった。私が嬉しさを噛み締めることもなく、カウンターで慌てて搭乗手続きをしていると、それまでは深刻な表情だった彼女までもが、いつの間にか笑顔になっていたのが印象的だった。そして私は、この感謝の気持ちをせめて彼女の働く会社に伝えたいなと考え、その女性が左胸につけていたネームプレートを確認し、名前を覚えたのだった。ピッツァと同じ名前だったので、20年以上経った今も彼女の名前は覚えている。

無事帰国をした1か月後、2001年9月11日、日本の夜のニュースを見ていた。第一報では、何が起きているかよくわからなかった。1か月前に私がいたあの場所、世界貿易センタービルで、悲惨な同時多発テロ事件が起きて、大変なことになっている、私はしばらく放心状態となり、凍り付くのだった。

✒️最後までお読みいただきまして、本当にありがとうございます。もしよろしければ、ぜひ応援よろしくお願いいたします。

→気に入ったらサポート(アプリからだと不可能ですがブラウザから可能な機能)
→♡スキ
→フォロー
→シェア
→マガジン追加

いつかこの「地球人のおもてなし」がNetflixでドラマ化されたらいいなと夢みながら😴💫

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?