啜って落ち着く中華そばのご案内
おはようございます。
今日も食日記ご覧いただきありがとうございます。
エッセイを書く前に、何となく紹介したい食のマイルール。
頻度てきには、ほぼ毎日啜る納豆。
温かいご飯にかけると、菌が死んでしまうらしい。
200回混ぜるのもいつからか習慣化。
30回混ぜてタレを入れ、そこから170回混ぜるのが美味しく菌を取り入れる食べ方なのかと。
今日の食日記
最近稀にみるラーメンタルなる衝動に駆られている。
ラーメンはカロリーが高かったり、啜って食べ切ってしまう速度をなかなか受け入れられていない自分がいるからか、ラーメンを食べたいとあまりなってこなかった。
自分でも不思議な感情だったことに最近気がついた。
あんなに美味しいのが分かっているのに、そそられることがほとんどないってどんな食欲なんだろうなぁと。
一番の懸念点は、やはり啜り切ってしまった直後に迫り来る一食の終息に対する脱力感に他ならない。
どれほど美味しかろうと、熱々を逃すまいとラーメンを啜り切ると、ものの10分足らずで楽しみだった一食が終わってしまうのだ。
どのくらい心の余裕があればラーメンを愛し享受できるのか見当もつかない。
そんなスタンスの僕にもラーメンタルが訪れたのだから、相当めでたいことだ。
何度も何度もラーメンの宣材写真が通り過ぎていくのだから、夢でもみたかのようなのだ。
食べたい、食べたい、いつになくラーメンをよくしているのだ(それもチャーシューがてんこ盛りのやつ)。
地方に行ってもそのラーメンタルは小さくなることもなく、啜りたいと唾を飲み込んだ。
そう、和歌山に行った時も。
今日のお店
和歌山に訪れる日が来るとは誰が思っただろうか。
魅力がないとかそういうことではなく、京都や大阪を越えて和歌山に何をしにいくのだ?と疑問符がつく。
僕は20代のうちに日本一周をどうしても達成したいと懇願しているから、いつかは古都を越え和歌山に到達しなければならない、もはや義務感なのだ。
一段と静かな和歌山の地は、どこか心が抜け落ちそうになったのだが、立て直すように和歌山ラーメンなるものを食べに訪れた。
ご当地ラーメンに多い中華そば系のラーメン。
和歌山ラーメンもその王道を踏襲しながらThe中華そばをありのままに出してくれるようなのだ。
とんねるずやっていた、きたなシュランを無意識に内在させている僕は、お店選びの美学にさえなっていることに気がついた。
元祖和歌山ラーメンと呼ばれる丸高中華そば。色落ちの激しいローカルラーメン店の鏡のような無気力な佇まいに和歌山の地に来たことを再認識させられた。
お好きな席座ってー!とほんの一声に導かれ、適当に席に着く。
街の街のためのラーメン屋は食堂の一角のよう。
あまり食堂の中華そばにありつけることもないので、元祖のエキスをお店ごと吸い始める。
まっさらなテーブルにはGABANお黒胡椒。
割り箸でいただくのも丸高ラーメンイズムなのだろう。
懐かしの景色をシャッターで切り取るように楽しんでいると、これまた何の変哲もない王道の中華そばがやってきた。
ラーメンにメンマ、ネギ、チャーシューが3枚。
余計なものはいらないそのシンプルな見た目に、小さい頃スキー場で食べたゲレンデの記憶さえ蘇ったほどだ。
ただ、和歌山ラーメンは豚骨いり醤油といったところだろうか、スープのコッテリ感はあっさりにはない濃厚なコクが気持ち良い喉越しなのだ。
ずるずると啜る麺は中細のもっちりとした中華麺で、終始落ち着く安心の味わいが付加価値のように巡ってくる。
今回もまた、10分足らずの束の間のラーメンタイムだった。
だが、そこには物足りなさの余韻ではなく、懐かしさからくるほっこり温まる安心感が待っていたのだ。
そう、これは中華そばならではの包容力のある食べ心地なのかもしれない。
気がつけばソウルフードになりかねない中華そばをこれからも啜っていきたい。
そう思えた。
美味しいひとときに、ごちそうさまでした。
では、また次回。
今日のお店:丸高中華そば本家アロチ丸高(和歌山県和歌山市友田町2丁目50)
*Instagramでは暮らしにある食をすきなだけ発信しています*
暮らしのヒントになれば、と。
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