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夕方17:00のナッツと珈琲

こんにちは、今日もご覧いただきありがとうございます。

なんだ、今日暑すぎやしないか。
3日前なんて1度の朝を迎えて凍えていたのに、今日なんて上着で汗ばむは日差しで日焼けしそうになるは。

とりあえずアイスクリームを食べることにした。
それが今日の最適解だ思う。




今日の食日記

珈琲タイムがあると1日が締まってくる。
何時だってどこでだっていい。珈琲のカフェインの力なのかそうでもないのか。あのカフェをする時間そのものなのかそうでもないのか。

というか僕にとってはそうでも、珈琲を飲まない人にとってはなんて事のない時間なのだろうか(そうなるとカフェという空間と時間が保つ意味は大きくなりそうだ)。

あの時間、珈琲を飲む時間は1日にリセットするような安らぎを与えてくれる。その時だけは本を読もう、珈琲に浸ろう、そう言ってくれているようで心を許す友達との安堵にとても似ている気がする。


僕は1人が好きで、よく珈琲タイムを積極的に日常に取り入れる。
朝でもお昼ご飯のすぐ後でも。夕方や夜ご飯の後にでも。

喉を通り点滴のようにポツリポツリと胃の中から身体に巡っていく感覚に対して、神経を研ぎ澄ませ全身でその行先を追っていく。途端に集中したり、かえって眠たくなったり。パワーにならなくとも、その時間に耽る優しさになるのだから、もう十分なのではないかと思う。

そんな珈琲と一緒にナッツを味わうのがやめられない。
お酒に弱い僕にとって、きっとお酒の肴のような感覚なのだろう。

香りを鼻から入れて、口からはナッツと共に香りから味わっていく。香ばしさが引き立ちあい、ナッツの温もりがふんわりと残るのがたしなみを思い返すのだ。

そんな夕方17:00の読書が1番リラックスできたと、快眠を覚えた朝のような気持ちになる。




今日のお店

名古屋駅に用事があって、その帰りdublinroom coffeeさんに、寒い寒いと嘆きながら突撃した。
逃げ込む姿は必死の形相を呈していただろう。

駅の出口すぐの、そんな場所。
もはや冬の避難所とも言える助かる立地に、そんなこと言わせないぞなうっとり空間があった。

カフェのようでバーのようで、時間帯に限らず薄暗い中ボヤっと過ごせる時間がそこにある。チカチカ明るすぎるこの時代、そんな場所が必要で。心の中を自分自身がひた歩けるようなそんな空間。


本格的な珈琲焙煎のカウンター。
目が合って簡単に会釈して、また逸らして席に着く。


沈黙が続く中、ドリップが落ちる音に耳を澄ます。
雨の朝、しとしと降る一滴一滴に思いを馳せている時間を思い出した。集中力が上がっていくのがわかった。

珈琲が来る前に読書を始めてしまおう。
物語に片足を入れ始めたあたりから大抵珈琲にありつける。そのタイミングがベストなのだ。

しっとりとした空気は店の外も中も同じのようだ。

気づけば頭に勝手な物語を作り始めると寝落ちしているのだ。よほど気持ちが良いのだろう(僕はいつもそうだ。物語に入り始めると、頭は勝手に物語りの続きを作り始め、それに気づくと眠りから覚める。なかなかファンタジックで面白いがきちんと読みたいのも確かで)。

眠気覚しかのようなタイミングでホット珈琲が届いた。

とりわけ甘いものが食べたいわけでもないし、帰れば夕ご飯が待っている。
少しほわっと柔らかく温かいため息を一つつければいい。それくらいの気分のコーヒーにナッツがちょうど良い気分なのだ。

ホンジュラスのホット珈琲が柑橘フルーツのようにしみわたるさわやかにきりっと。
グレープフルーツにはない、ぐわっと喉を掴み取るような酸味と深みがある。苦味に感じるけど、そんな表現では伝わらない。口奥を噛みつかれたような、そんな刺激がある。なのに深々と浸透する。浸透力よ。

再び本を読み始めた。もう1時間は経つ。珈琲はまだ残っている。


香ばしさの頂点へ

お酒の肴のように、珈琲を啜りナッツをかじる。止めどないエンドレスホット珈琲に帰りたくはなくなった。

これぞ17:00の珈琲タイムだ。
大きな息を吹き返した。

美味しいひと時に、ごちそうさまでした。
では、また次回。





今日のお店:Dublinroomcafe(名古屋市中村区名駅)



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