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小説「風の仕業」 kaze no itazura 1

かぜ仕業いたずら

                村木野むらきの けい


この書を、今では病院のベッドで殆ど身
体が動かなくなった81歳になる私の
父に捧げる

         まえがき

 本書は、大阪府職員在職中の2012年2月14日に、文芸社より刊行された小説です。様々な思いが結集したものではありますが、誤字が二箇所、表現方法が上手くなされなかったりした点は改めたものの、全体としてストーリーが拙いところは如何ともし難く、そのまま掲載しております。多くの方に読まれましたが、その点が申し訳なく思っている次第です。当時の読者の皆様にはこの場を借りて篤くお礼申し上げます。
 

          1

 それは、偶然にしては非常に唐突にやってきた。私は梅田の阪神百貨店から東天満へ通ずる地下街を一人で歩いていた。
 誰しもが、めいめいの意思・志向通りに歩行しているので、時折それぞれが擦れ違い様ぶつかりそうになる。
 九月の薫りが、いつまでも人々を我慢強くさせる夏の勢いを絶とうとする季節にさしかかる頃だった。人々の姿も夏の装いから、そろそろ秋のそれに変わろうとしていた。  
 その時さわやかな秋の風が、私の髪をなでるようにして吹き去る錯覚に一瞬おそわれた。
 地下街という一種の閉鎖的な空間の中でそれは極めて自然な形で起こった。しかし今から思えばそれは確かに不思議なことだった。
 「こんにちは」
 後方からその声は聞こえた。振り向くと若い女性の姿があった。彼女も私と進む方向が同じみたいに見えた。
 その日の私は、特に計算して動いているわけではなかったが、自然と足は日本最大の売場面積を持つという淳久堂書店に向かっていた。私は薄い茶系のスーツ姿で、シャツには気に入ったキャラクターの絵の入ったネクタイを付け、右肩には通勤用の吉田鞄を提げていた。私はケータイが鳴ったときに人々がよく反応するように、条件反射的に周りに歩いている通行人の姿を探したに過ぎない。
 彼女が私に向かって声をかけているという事実に気づくまでには、およそ六秒以上はかかった気がする。私は、大体そういう場面では鈍感な性質たちなのだ。
 彼女は二十歳を少し過ぎたばかりの、少し垢抜けがしていそうな、品の良い顔立ちとスタイルを併せ持っていた。その頃流行(はやり)だった淡い青紫のワンピースになったキャミソールで、肩の部分からひもで吊り下げられた格好で、鎖骨のくびれが少なからず私を動揺させた。髪は直線的で肩まであり、歩きながら首を左右に振ると、やや赤みがかった髪もあわせて揺れていた。私はしばらく返事に窮している格好で、彼女と並んで歩いていたが、一度鞄の重さによる肩の負担を緩めるために、鞄を左肩に持ち替えると同時に彼女の顔を見ながら云った。
「こんにちは。どこからか、ついてきてた?方向いっしょ?」
 歩きながら彼女は私の右に位置していた。
「ジュンク堂でしょ。東梅田を降りた時からずっと一緒よ。気づかなかった?」
 「いやあ、ぜーんぜん」と漢字を交えずにやや早口で私は答えた。私は一応確認する意味で、どこかで一度ったことがあるかどうかを聞いた。彼女はあっさり、ないですと答えた。
 その時ひょっとしたら何かの勧誘じゃないかという考えが私の頭をよぎった。
 そんな場合たいていの連中は、手にチラシや、それらを入れた紙袋か何かを持っているはずだ。彼女が身につけているのはただ、肩から吊るした15センチ四方の、ブランドと思われるやや小さなショルダー・バッグで、それは彼女の容姿と身につけていた服装に合っていた。
 それにしても、彼女の若さ、容姿といい、スタイルといい、若干夏の名残の着こなしといい、ほとんど完璧に近いそれらの総合的な美しさがいっそう私を当惑させていた。
 実際私は、彼女に対し適切な会話に必要なボキャブラリーを失っていた。
 私の身長は、170未満で、彼女のほうは当時流行はやりの靴底が約5センチ以上は高めにアップしているもので、私より高く見えた。
 通路を何度か曲がったりしていると、いつもは馴れた道がどこか違った迷路のごとく思えてきた。私は不思議な感覚にとらわれていた。彼女が「実在」することは、ディアモールの楽器が埋め込まれた壁(今はもうないけど)で子供がラッパを鳴らしている音や周りの店で店員と客との応対の声、忙しそうに行き過ぎる人々の姿、又彼女自身が発散する植物的な好感のもてる香水の匂いとともに私に受け入れられたことでも間違いなかった。
 つまり形而上学的にというか、佛教的といおうか彼女は何らかの原因、又は因縁というような一種のつながりによって私の前に「存在」している、そんな取り留めない考えがいつしか私の頭を支配していた。
 また私は、今自分が実は最初から全くの独身で、幼い頃から変化のない暮らしをしてきて今にいたったのではないかというような、奇妙な空想的な錯覚に陥りつつあった。
 堂島地下のCDの安い店や、この間緑色の紳士傘を買った店などが視界に入ってくると、そろそろ階段を上がってビルの中に入る。その一角に書店はあった。私は花屋を過ぎた辺りで、また鞄を持ち替えようと立ち止まった。彼女も立ち止まった。  
 「ひょっとして勧誘か何かじゃあないよねえ」
 彼女は吹き出しそうな顔になり左手で顔を覆いながら、その手を左右に振って、違うと合図した。私は安堵しつつも、又いつもの困惑した状況で自分の顔が色を失うことだけは避けようと努めた。
 「だって、こんなとこで、声かけられたのそれに女の子に、初めてやから」
 彼女はいわゆる含み笑いっていうやつを斜め後方に押しやって、そうしてゆっくりと顔を上げてから私に云った。
 「あなたって、予想通り結構はにかみ屋さんね、よく勧誘受けてるんだ。私は、そんなバイトやってるひまなんかないんです実は。仕事で忙しく、と言っても今日は、久しぶり、ほんとに久しぶりに表へ出れたって感じ。やっぱりいいわ、人混みって。雑踏の中で自分がなくなっているみたいで、しかも存在感があるみたいな感じ、喧噪の中でいつまでも永遠の時を感じたいような気持ち、分るでしょう」そう言いながら大きく伸びをした。「それに、人の笑い声っていいわね、特に。私って寂しがり屋なのかな、あっ、ごめんなさい、一人で喋って、一人で納得して、私ってちょっと変わってるでしょう」と言って彼女は一際大きく笑った。 

 私は実際彼女の云う「変わってるでしょう」という言葉が気になっていた。気のおかしな人間はこの世に何人いるか分からないからだ。   
 特に現代は、人間が、ある閉鎖的な環境の中で、突然本来備わっている重要なある感覚、機能が損なわれてしまうことは大いにあり得ることだ。
 
 彼女は、テーブルを隔てて私の真向かいに座っていた。
 「私ハラペコ、ここのパスタがまた美味しいのよ」彼女は私の少し困惑した表情をよそに、注文した魚介類のパスタが「われわれの」テーブルに運ばれるや、ほとんど遠慮という語彙がこの世に存在しないとでもいうように、一気に口に運んでいった。
 私はパスタを自分の皿に盛り付けることすら忘れて、その旺盛な食欲に圧倒させられ、ただ彼女の顔を眺めていた。
 「何してるのよ、冷めちゃうと美味しくなくなるわよ」
 彼女がそう云ったとき、私は焦点の定まらない眼で遠くを見つめていた。実際そのとき私はあることを思い出していた。私が若い頃父がたった一度だけ私に見せた「慌てた様子」だったが、それを私は時折意味もなく思い出すことがある。
 それは私が中学生の頃で、学校から帰って、玄関を入ると父の靴とその横に女ものの靴がきちんと並べてあったのが眼に入った。
 私が何かを推測する閑もないくらいに、父が血相変えて応接間から出てきて、内容は忘れてしまったが、弁解染みたような言葉で何かをつぶやいた。私にはそれが今取込んでいるから察してくれというようなそんな言葉の響きに聞こえた。それは私と父との間にちょっとした「秘密の共有」とでもいうようなものをもたらした効果があったと思う。
 実際父はかなりそのことを気にしていた感じがするが、その後一切説明はしなかった。しかしそのときの私はそんなことは全く気にせずにクラブやその他学校生活の中で忘れてしまっていた。
 その頃の父は何か仕事や、生活の中の憂さを忘れるために世の男という生き物がよくするように、酒に自らを没入させることがよくあった。  
 またある夕暮れ時などには、縁側からそれこそ月に吼える獣のようにほえる姿も見ることがあった。それは私にとって別段不思議なことではなかった。われわれの家族の生活では、それも自然に受け入れることが出来たからだ。
 それでは私と私の息子との共有はどうだろうか?
 彼女が不思議そうに私をじっと見詰めているのに、私はようやく気づいた。
 大皿に盛られたパスタの殆どを彼女は平らげていた。私の皿には、いつの間にか無意識で入れたのだろう、まだ手付かずのままのアサリと烏賊いかがピンク色のソースと混じって残っていた。彼女は恐らく私が食欲がないために食が進まないのだと考えていた。
 辺りにはわれわれのほかに、離れたテーブルに幾人かのカップルの姿があった。彼らも梅田のオフィス街から逃れ、昼の一時(ひととき)の食欲と固有の精神的空腹感を満たそうとここにやってきたのだ。それぞれのカップルがそれぞれの空間の中で談笑している。
 「ちょっとあることを思い出しててさ。そんなことってない?何かのきっかけで、あることを思い出したりするって」半分関西弁で半分標準語の私の話し言葉は、私の生い立ちがそうさせていた。
 私は奈良の山奥で生まれ、小学生時代をその村で過ごし、父の仕事の関係で名古屋の町に出て学校に通学してからは、ずっと都会の中で過ごした。
 彼女はコップの水を一杯飲み干すと、しばらくして話をつないだ。
 「やっぱり私達って、知り合うべきだったのね。うん、そういう気がしてきた今。私もそういうことってあるから、可笑しくなっちゃった」そういって一人納得しながら又ひとしきり彼女は笑った。暫くして店員がやってきて私たちのテーブルのものを片付け、コーヒーを運んできた。
私はそれから彼女の最近身の周りに起こった様々な出来事をほぼ一方的に聞かされた。  
 話合えば人間というものはおかしなもので、そこにお互い共通項があればあるほど相手を身近な存在として意識することが出来るものだ。食事をしながら私は、彼女と一緒に取り留めのない話をしている間、二人の間に「太古から」の結び付きがあったような気がしてきていた。彼女の書店に行く目的は、在宅ワークのイラスト集を探すためらしかった。
 レストランを出ると真っ先に彼女は私に有難うと言った。私は彼女の連絡先を聞き出すことすらしなかった。その時の私は「次にすべきこと」を考えて、そんなことを思いつくことが出来なかったからだ。
 実際私も書店ではあるものを探していたし彼女と別れるや直ぐにそれに取りかかったからでもある。
 彼女の話しぶりや態度を見ていると、おそらく人との距離感、直感(インスピレーション)、人を納得させずにはおかないという意志や洞察力といったようなものを生まれつき身に付けてしまっているように思えた。
    彼女は「いつのまにか」いなくなっていた。


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