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小説「風の仕業」kaze no itazura 4

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確かに父と妻は折り合いが悪かった。どこの家庭でもある嫁と舅の軋轢あつれき。父は仏教の何宗を持って任ずるような頑固さはなかったが母の信仰する宗教に肩入れしてからは、私や妻に対しても信仰の大切さを口うるさく言うようになった。私は信仰が大切なことくらいは分っていた。しかしそれを決めるのは個人である。しかし父の言分はそうではなかった。

 それが我が家の「家風」と謂い切ることもあった。私は父に対して妻の立場を守るためにも、おれは報道に携わる人間だから、宗教的にも政治的にも中立だなどとうそぶいていた。それがまた私の父に気に入らなかったことの一つだった。私は様々な口実を設け、或は理屈をねて、父の主張に対し抗弁し、論陣を張った。しかし妻にしてみれば、そんなことは私の内部的な、又は身内同士の戯言ざれごとに過ぎなかった。
 父は実際にあらゆる機会を狙っていたのだろう。両親と私達が別居して一年が経ち、私が仕事で出張している間に、孫の顔を見るという口実の下に十五キロの距離を、当時私達が住んでいたハイツまで自転車に乗ってやって来た。県庁を定年退職してからは暫くぶらぶらしていたが、林業指導の嘱託である法人に属してから数年、父は六十四になっていた。十五キロという距離は実際妻を吃驚させるのに充分だった。帰宅した私に真っ先に妻がそのことを報告した。しかしちょっとした世間話の間に妻に対し、日ごろの労をねぎらう言葉と同じに出てくるのは、決まって家風とか自分の一方的な考え方で、そこには相手を同調させずにはおかないといったニュアンスがあった。妻はそんなことがあって、父に対しますます懐疑的になり、又そんな気持ちが父に伝わると父の癇に触るところとなったりした。

 ある日妻はとある高名な占い師に相談を持ちかけた。八十近いその老人は好々爺で、満州に出征した折、不思議な体験を持った。敵のソ連軍が攻めてくる中を逃げる途中、十二支になっている木製の数珠のお守りを拾った。そのお守りを懐に入れてからは、命を守ってくれただけでなく、梵語を理解する能力を授かったという。色黒の顔には幾筋もの皺が刻まれ、時折目をつむって相手の身体の部分に手を置き、何やら梵語と思しき言葉を呟きながら、問答するようにうんうんといって頷きながら人を観るのだ。
 暫くすると老人の皺くしゃだらけの顔が破れたようになり、なにかの啓示を受けたような顔をする。占い師は「心配ない。そのうちボケるから」と妻に言った。その言葉どおり、それからしばらく経つと父は自転車に乗っても方向を間違えたり、車をよそに飛び出したりし始め、警察に保護されることも二度ばかり続くようになった。私が占い師の言葉に複雑な感情を持ったのは確かだ。しかしそれで妻の気持ちが幾分か和らいだろうことは想像に難くない。心の中で私もこれで家庭のいさかいがなくなると期待したのも真実である。同時に私にとっての父はそれを境にしてひところの元気を失っていった。私の人生相談としての相手、或いは私が仕事上で成功したことを話す一番の話相手をそうして失ったのであった。

今度はトゥルルという正確な音が私の耳に響いた、と同時にあの彼女の明るい声が聞こえた。私は何故か安心した。彼女のケータイに繋がり、彼女の声が聞こえたという単純なことが、まず私を驚かせた。私であることが分かると、彼女の方から、突然の電話をした非礼を詫びて後、彼女に関わる一連の「付きまとい」行為について話し始めた。

 概略こうであった。つまり一年ほど前のある晩、彼女は一本の電話を受けた。それは親切にも彼女の遺失した財布を見つけた者から、届けたいという内容の電話で、若い男の声からであった。そういう類の電話というものもそう滅多にあるものではない。近鉄の難波駅構内の電話を使って知り合いに電話をした際、テレホンカードを出した財布を彼女はそのまま電話の上に置いたままにしていた。携帯電話があればそんなことにはならなかったろう。
 彼女の視界に快速の発車時刻の案内板とホームに急ぐ人の姿、足元に置いた紙袋が映っていただけで、電話をし終わるや、受話器をかけた手はそのままショルダーバッグに持ち替えたので、愛用のヴィトンの財布は彼女の手元から離れてしまった。電車に乗り込んでそれに気づいて、後で駅に問い合わせたが既に遅く、財布はその場所からも移動していた。
 彼女は半ばあきらめ警察に届けることすらしなかった。誰かに発見され、財布の中の小さな住所録に書き込んでいた自分の電話番号から、万が一届けられると期待していた。
 携帯電話を持つようになったのは、そのことがあってからだった。不都合なことは、在中のキャッシュカードについて銀行に連絡したり、再発行するなどの手続きに時間を費やすことだった。もうひとつは、財布の隠れたところにしまってあるスキンを他人に見られることであった
 彼女はそれに気づくと赤面し、財布に仕舞ったことを後悔した。しかしいずれにしても彼女が期待していたとおり一日をおかず電話があった。その財布を預かっているという相手は、世の中で一番親切な人に思えた。相手の都合もあり、明後日の午後二時に道頓堀の「バンビ」で待ち合わせることになった。ジャズが好きな男に悪い男はいない。
 彼女は想像を逞しくしながら、鏡の前で品づくりに励んだ。薄いパープル系のワンピースは右裾が割れており、胸元のVカットと合わせセクシーさを強調している。彼女はどちらかといえば入念に化粧をする方ではない。顔はいつも薄化粧で、外出する間際に行い、数分で終わる。彼女は、当日には十五分程早く店に着いた。客はまばらであるが、店内は嘗てのように、二階フロアーの広々としたのとは違い、ワンフロアー20平米位と極端に狭い。

 しかし彼女がOLとして二年間をこのミナミの街で働き、仕事を終えて、気のおく仲間と談食した後は必ずジャズ喫茶でジャズを聴き、コーヒーを飲んだものだった。煙草の紫煙も特に気にはならなかった。そんな頃を懐かしく思い出しているところで、目の前に男の姿を発見した。彼女は思わず立ち上がって、彼女の方に視線を送っている若い男に挨拶をし、相手を確認した。
 男は椅子に座ると「冷コー」と慣れた口調で店員に告げ、スーツの内ポケットから彼女に財布を差し出した。彼女はそれを受け取り、中をあらためながら「私だと分かりました?」と質問した。
「免許証の写真とそっくりやったから、すぐ分かりましたよ。すいません、中身見ましたんで。もちろんお金は触ってませんので、確認しておいてください」
 彼女は少しく赤面した。男はスーツを脱ぐと、椅子に引っ掛け、自分も座った。すぐに女店員が来てコーヒーを置いた。
「レシートはご一緒でよろしいですか?」
 店員は男の方を向いて喋った。彼女が遮ろうとしたが、男がその言葉を引き取って、テーブルの自分の前に置いて話を切った。
「ここへはよく来るんですか?私は初めてですけど」
「久し振りです。以前はたまに友達と。でも有難うございました。こんなにすぐに見つかるとは思いませんでしたので、助かりました」と彼女は素直に礼を述べた。実際彼女は、今まで見も知らないが、今はこうして自分の前に座る男に感謝し、またいろいろと想像を逞しくしていると、テーブルに飲物が運ばれて来た。 二人はその間しばらく沈黙していたが、男が再び話を切り出した。
「実は僕もジャズが好きな方で、この店とは違うんですけど、気の向いた時に聞きに出かけるんですよ。ジャズは聴くと落ち着きますからねぇ」
 彼は流れていたチック・コリアのスタンダードに合わせて、少し身体を揺らしながらそう云った。そしてくうで何かをそらんじるように呟いていたかと思うと、急に笑い出した。
「いやあごめんごめん。来る前から思ってたんだけど、あなたの顔は写真通りで、想像したとおりだったから」尚も笑いを堪こらえながら続けた。「今お仕事は何されてるんですか」
 彼のにやけた少しぶっきらぼうな態度が彼女の印象を悪くした。最初のその質問に、実際彼女は真摯に応ええようとする気持ちを半ば失っていた。今前にいる人物は結局は他人に過ぎず、彼がコーヒーを飲み干せば、それで用件は終わってしまうのだと彼女は思い始めていた。すぐに彼女からの返答がないので彼は自分のせいで彼女が少し気分を害したのではないかと気づいた。彼女は、よく思いをめぐらしてから言葉を発する者のように、私は今から用事があり、あまり時間がないからと暇乞いを云った。そして贈り物の品が入った高島屋の紙袋を彼に示して手渡した。
 彼には意外であった。せっかく目の前にいる女性が、あるきっかけで自分に引き寄せられたかもしれないのに、今彼女は離れようとしているのだ。彼にしてみれば、彼女は釣り師の云う大きな「逃がした魚」に等しい。
 そんな男の情緒的考え方に関係なく、彼女は事務的に、しかも丁寧に拾得の礼を再度云った。男はレシートだけは自分のものであるように手に取り、彼女を見送る役に自ら甘んじた。
 道頓堀川から吹きつける風が、彼女の髪をいたずらにさらったから、一瞬方向を失いつつも身体を翻して又進む方向を見出した。グリコの広告や、橋の上でパフォーマンスに興じる若者やらを一瞥しながら、何故か足だけが自分の意思と無関係に動いているみたいに彼女は急いでいた。

 その日の朝も、彼女は最近アルバイトで勤め出した出版社の仕事に行くため、いつもより早く起きて支度にかかっていた。
 電話が鳴った。彼女が住む東大阪市内のワンルームの賃貸マンションのリビングにある電話だった。いままでは何の変哲もない電話機だったし、愛用していた子機もごく普通のものだったが、最近の朝の無言の「攻撃」を受けてからは、次第に人間の発明した恐怖の道具に変わってきていた。朝からこんな風に溜息をつかなくてはならないとは ……。
 拾得者という表現があるのかは分らないが、彼女の財布を拾った彼は、たぶん彼女に対してかなり好印象を持ったに違いなかったし、彼自身の中で想像をより逞しくして、彼女との間に特別の糸のようなものを結ぼうとしたに違いなかった。しかし彼の思惑は外れた。
 彼女が彼に対し受けた印象は、彼女の言葉を借りれば、単なる「親切な人」を超える存在ではなかった。相手は、最初は名を名乗ってきちんと用件を言ってかかってきたが、彼女が直接的な言い方で対応するや、態度が一変した。違う人物が取って代わって電話をしたり、留守電に行動を監視する内容のことを言ったりした。彼女の自宅にかかってきた無言電話は数十回を数え、何れもが非通知であったり公衆電話からであったりした。
 なぜ非通知というものがこの世にあるのか不思議だと彼女は思った。
 そんなある日彼女のデスクトップ・パソコンのメールに添付ファイルで彼女の写真(これは彼が彼女に拾得物を手渡した日に、店の中で彼女をデジタルカメラで隠し撮りしているもの)が数枚あった。それを見てやはりと思った、彼はストーカーだったんだと……..。

「見て頂けました?あまりいい出来映えではないんですが、なかなかいけてるでしょう。ちょっと角度が悪くて、あんな写真になったんですが、結構苦心したんですよ。よろしかったら、もっといいのを撮りたいんで、日にちを教えてくれるんなら、写真撮って上げますから、教えて下さいね」
 あくまでも丁寧に話している風ではあるが、原画を所持している者が、誘いをかけていることは明白だった。彼女は無視していた。しかし無視すればする程、メールが増えて処理しきれなかった。削除するのももどかしく、さりとてその中に混じって友人や仕事上のメールも見なくてはならないし、スパムメールとして振り分けをやってみたが、うまくいかない。

 実際彼女はストーカーに遭うだけの「素質」を充分持ち合わせていた。容姿端麗である上一種の知性的な美しさもあった。
 ストーカー犯は、稀に凶悪犯になる「素質」を持っている。女が自分の所有物であるという一種の錯覚から逃れられず、その女の行動を逐一把握していたいがために、自分の監視下に於くのである。そのことによる行動の侵害が「ストーカー行為」である。
 そもそも男にとって誰でもストーカーになる素質があるのかを私は考える。私が彼女を女として意識し始めたら……。そういう疑念を打ち消そうとする頭と同時に、別の頭が私をストーカー犯に仕立てようとする。しかし冷静になって考えてみれば、私がストーカーに走る理由などないのである。私は彼女に飢えてなぞいなかった。
 私が新聞社の記者だった頃仲がよかった刑事がいた。主に私的な付き合いで、誘いがかかったら飲みに行く程度だった。その彼が今所轄の生安(生活安全課)の防犯係の刑事をしている。一度彼に相談してみようと思いついた。大きな体躯がすぐに思い出された
 その彼に私が彼女から聞かされたストーカー被害について一度相談してみようと思ったのだ。

 一般にプレスと警察の関係は、持ちつ持たれつの関係といってもよく、協力関係がうまくできて、お互いの仕事がスムースに行くのだ。サツ周り記者の鉄則は夜討ち朝駆けであり、保秘を前提に捜査しなければならない部署とは当然ながら軋轢が生じる。世にいう「報道協定」なるものがあり、それがお互いを規制しがら好ましい方向にひっぱってきたのかも知れない。彼は、昭和57年当時はまだ二十六歳で所轄の防犯課の刑事だったが、例のゲーム機汚職の関係で各課の入れ替え人事があり、刑事課にスライド配属となり、最近になって再び生安(防犯)部門に返り咲いたわけである。人事は所轄、本部と渡り歩いているうちに、様々な部門に配属されてしまうのが通例である。そのきっかけは、一つは昇任による異動であり、もう一つは各課の人事交流である。たとえば暴対法が出来た当時、暴力団と右翼が関係があるということで警備課と刑事課の交流が、又銃器と薬物は生安部門だが暴力団などの組織犯罪の絡みでは刑事課或いは警務課との交流が、又旅券や難民認定法の関係では警備課との交流が行われるのが通例である。(※その後薬物関係の部署は刑事部に吸収されるようになった。)彼はちょうど二十年の間に交通以外は、留置業務の総務課をはじめ地域、刑事、警備も経験する特異な存在であった。多くの警察官の中でも彼のような存在は珍しい、といつか彼自身が飲み屋の末席で半分自慢げに云っていたことがある。彼の仲間には捜査一課や公安部門の中で仕事をしたお陰で、家庭を犠牲にした友人が何人もいる。
 組織のために戦った者が、組織によって排除されていくケースを彼はいやというほど見てきた。それで一種「やくざ」な性質にならないのは、彼が常に警察以外の別の理想を追い求めてきたからに相違ない。

「久し振り。変わらへんなあ、どっかで、ヒッチコックの『裏窓』を見て以来やな、ちゃうか?どう、仕事」
 彼が先に口を開いた。なぜか当時の場末の映画館でヒッチコック特集をやっていて二人で見に行ったのを思い出した。西区の居酒屋に入ったのは週末の午後六時を少し回った頃だった。我々の周りには、会社帰りのサラリーマンでほぼ一杯だった。だれでも最初のジョッキを飲み干した途端、仕事の憂さが晴れ、みな人が変わったように陽気になるのだ。二人とも大学は違うが、共に学生時代は映画通だったことが、二人の友情を深めたと思う。割れるのではないかと思えるくらい大ジョッキを重ねて、乾杯した。空きっ腹に応えた。

「あん時は、楽しかったな。映画の後、何をしたっけ、そうや、カラオケとちゃう?」と私も当時を思い出しながらそう答えた。
 二人はあたかも映画の主人公とその相棒の刑事のように気取って云った。話は身の上話や上司の恨み話に移って、肝心の話にはなかなかたどり着かなかった。
「それはそうと」と、湯割りの焼酎を口にしながら、彼は「裏窓」のドイル刑事役のウェンデル・コーリーばりの態度でやっと切り出した。
「その、彼女、あんたが相談してた彼女のことやけど、まだ続いてんのか?」
 少しアルコールが効いてきたのか、っちゃけた話が出来る雰囲気になっていた。
 私は妻のことは彼に云ってなかった。仮に私に彼女がいたとしても特にやましいことがあるわけではなかった。話題は「彼女」への付きまといが続いているのかということに移った。私は、彼女と知り合った経緯いきさつについて説明した方がいいかと考えたが止めにした。そんなことを云ったって信じないだろうし、ぼかした方が得策であると判断した。

一般にストーカーの被害者は、ストーカーされるに値する女性ひとである。よってストーカー行為が続いているということは、彼にしてみれば、彼女は追いかける「値打ち」のある存在ということなのだ。
「云っちゃあ悪いけどさ、ストーカーされない女性から見れば羨ましい存在だよな、彼女は。一体どんな関係?」
 来なすった、とうとう。焦点を私に向けてきた。
「いやぁただの知り合いだよ」と標準語で答えた。
 彼は少し怪訝けげんそうな目つきで「行為が続いているとすると、その期間、形態が必要なんだけど、分る?」
 彼はストーカー規制法の法的な説明をした。私の知る限りの彼女に関する付きまとい行為及びストーカー行為の大凡おおよその期間と、付きまとい等の形態について詳しく彼に話をした。
「それで彼女、被害申告あるんやろねぇ。」と私に尋ねた。それがまず彼にとって重要な一事であった。「当然被害申告を受けて捜査を行うという意味なんだろう。だったら、イエス」と私は答えた。好きだから付きまとい、或いはしつこく電話もする。誰しも、男でも女であっても、ストーカーになる要素を持っている。何故なら人には常に自意識というものがはたらいており、行動するときにはまず自分の眼を通してしか行動できないから、自分の心と密接に結びついた眼を中心にして、自分の周囲、対象を見るというように脳細胞がはたらくからだ。私自身の過去を振り返っても、ストーカーには走らなかったが、後を付いていきたい衝動に駆られたことが何度もあった。「一般的なことだけど」と前置きして彼が云った。「ストーカー行為によって、精神的な被害に発展しているとすんなら、住んでるところを変えることも考えてはどうかなあ、こんなこと言わずもがなだけど」
 私は既にそれも勧めていると答えた。ほとんどの被害者がそうであるように、なかなか住んでいる居住環境を変えることは出来ないものだ。まず経済的な理由で出来ない。それに放っておけばいずれは無くなるという期待感がある。しかし、放っているうちに行為がエスカレートしてしまっているという現実に気付く分けである。
 いみじくもストーカー規制法が出来て、彼が最初の被害申告を受理することになりそうだった。しかし「知らない」ということは、何時の時代でも人には「幸せな」ことに違いない。私は、彼女が私に近づいたことの理由を知らない。彼女が例え共産圏のスパイであったとしても、私は自分の運命を変えようとすることはしないだろう。彼女が私に近づいたことで、今の間は特に不利益を被ったわけではないからだ。居酒屋はほぼ満員状態になって来ており、私とやや怒り肩の友人は二次会を求めて外に出た。十一月の夜風は冷たく肌をさらった。西区から心斎橋まで歩き、御堂筋を渡るころには肩に小雨がかかってきた。


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