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「アート」と「デザイン」の違いとは?


はじめまして、佐藤圭真(さとうけいま)です。

初投稿ですので、簡単に自己紹介を以下に。


長岡造形大学出身の建築意匠専攻のデザイナー
造形修士の学位をもつ27歳
普段は、設計事務所で実空間の建築設計 休日は、仮想の建築表現を探究


そのうち自己紹介noteを投稿する予定ですので、詳細は、その機会に、、


さて、本題。


 大学院1年生の時に、「アート」と「デザイン」の違い(境界線)について論考する機会がありました。


 今回、noteにするのは、その講義で作成したレポートの内容です。


 アーカイブとしてもnoteを活用したいので、あえて当時のままです笑


 当時の僕が思っていたこと、興味があったこと、そんなこと詰め込んで、「アート」と「デザイン」この似ているようで似ていない2つの概念の境界について書きまとめた記憶があります。


 このテーマは、アーティストやデザイナー、クリエーター等、創作活動をする者なら1度は考えたことのある内容だと思います。建築意匠を専攻していた僕も例に漏れず、ふとしたきっかけで何度も考えたテーマです。


コムデギャルソンから新国立競技場(ザハ案)、ダリによる溶けたハンマーApple製品まで、短い文章ですが、かなり飛び回ります。


今読み返すと、エッセイです笑

論でもなければ、支離滅裂で起承転結もありません!


全て読もうとすると5〜10分くらいかかると思うので、最初にまとめちゃいます!



「アートとデザインの境界線について」の要約


1.「アート」と「デザイン」は、概念(言葉)のレベルでは、明確に区別することができる。
2.「アート」と「デザイン」は、実物のレベル(物単体を評価するとき)では、明確に区別できる物もあれば、そうでない物もある
3.デザイナーとして、魅力的な物を産み落とすには、「アート(作家性)」と「デザイン(機能)」のバランスを考えることが重要である。


ってことが、当時の僕が言いたかった事だと思います、たぶん。



お風呂に浸かりながらのんびり読むのも良し!

寝る前に、ちょろっと読むのも良し!

コムデギャルソンが好きな人は、3_ファッションにおける「アート」と「デザイン」から読めばいいし、

建築が好きな人は、4_建築における「アート」と「デザイン」から読めばいい!

いやいや、初めから読みますよって人は、そうすればいい!

要約でお腹いっぱいになった人、さようなら!





それでは、始まり!




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アートとデザインの境界線について

修士課程 造形研究科 建築学領域

佐藤 圭真


1_概念における境界

 今日、「アート」と「デザイン」は、言葉の概念においては明確に線引きされている。

 Wikipediaによると現代における「デザイン」とは

審美性を根源にもつ計画的行為の全般を指すものWikipediaより引用

と記されている。具体的には、ある問題を解決するために思考・概念の組み立てを行い、それを様々な媒体に応じて表現することと解されることが多々ある。それは機能に準じ、理にかなった形態に導くように設計をしていく概念とも言える。


 一方、「アート」とは、

美術や芸術など間接的に社会に影響を与えるものWikipediaより引用


と記されている。また、純粋芸術や商業芸術、芸術家によって生み出された多くのアート作品には、作品に一貫した「様式」をみることができるこれは、美術や芸術に関連する非常に重要なポイントである。

 分かりやすくは、アートは、「問題提起」であり、デザインは「問題解決」であるという明快な分け方も一般化している。


 作家のブルーノ・ムナーリによって書かれた『Artista e designer』のなかで作り手における概念の違いについて、このように述べている。

芸術家とデザイナーの第一の違いは、前者は自分自身とエリートのために主観的な方法で作業し、後者は全共同体 のために、実用と美観という観点で良い製品を作ろうと、グループで作業するということである。 ブルーノ・ムナーリ

 このように、「アート」と「デザイン」は、作り手における概念においても明確な境界がある。

 しかし、それらの概念をもとに作られた物(作品や製品)における境界を考えるとき、そこに明確な境界は あるだろうか。ある作品や製品を指差し「これはアートか?これはデザインか?」と問うとき、そこに境界はあ るのだろうか。

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2_物における境界

 純粋芸術である絵画や彫刻は「アート作品」であり、一般的な解釈では、デザイン製品の要素はないだろう。また、そこらに落ちているボルトやナットなどのプロダクト製品が「アート作品」ではないことは言うまでもない。


 以上のように、「アート」と「デザイン」を明確に分けることのできるものはある。しかし、複雑を極める現代社会において「○○ デザイン」という名のもとに生産された「物」に対して、一概にそれを「デザインである」と言い切ることができるのだろうか

 このように考える理由は、建築家やファッションデザイナーなどが生み出す作品に、 それぞれの「様式(これを作家性といえるかもしれない)」を見ることができるからである。

令和2年1月現在を生きる筆者による補足_建築と服飾は、一般的にはアートではなく、デザインに属しているが、先に挙げたアートの要素である「様式」をもつ場合があるので、「デザインの中にもアートの要素がある」場合もあるやん!線引きできないやん!って話です。



3_ファッションにおける「アート」と「デザイン」 

 プレタポルテにしてもオートクチュールにしても、その製品を着る人ありきで、「デザイン」という概念のもとで製品化されている。 

 それでは、服飾とは、「デザイン」であり、「製品」であると言い切れるのだろうか。 

 日本を代表する前衛的なファッションブランド「COMME des GARCONS」は、世界トップクラスであり、ファッションだけでなく、それを取り巻く環境にも配慮している。ファッションに向き合う姿勢は、デザイン からアートの領域に足を踏み入れているように感じる。 

 同社の社長である川久保玲氏は、自社ドキュメント誌『Unlimied: COMME des GARCONS』の中でこのように述べている。

 ものを作るときには、どういう評価を受けたいかとか、何か自分のメッセージを伝えたいとか言う目的はないんですね。ただそのときにかっこいいな、きれいだなと思うことを形にするということがスタートなんです。 川久保玲

 デザインは、他者のために貢献するため、その形は創意工夫されるが、「COMME des GARCONS」では、本能的 に、形を生み出そうとしている。

 また、このようにも述べている。 

 よかったですね、きれいだったですね、と全員から評価を受けたとしますね。それはもう不安です。そんなに わかりやすいものを作ったか、と自己嫌悪に陥ってしまう。 川久保玲

 ビジョンを生む過程においては、「デザイン」の要素は感じられず「アート」の概念をもった作品であるといえる。さらに、評価を気にしないところをみると商業芸術ではなく、むしろ純粋芸術に近いように感じる。しかし、 その作品(ハード)について考えると、出来上がるまでにパタンナーを筆頭に多くのひとが携わっている。これは極めて「デザイン」的な過程であると言えよう。


 以上のことから、「服」という製品もしくは作品ができるまでには、「アート」と「デザイン」どちらの概念も含む例があることがわかる。


 ファッションにおける機能とはなにかを考えると、さまざまに定義できるが、少なからず「COMME des GARCONS」のコレクションは、大切なところを隠すといった機能は持ち合わせていないものも多い。


ギャルソン2

デザイナー川久保玲氏によるトップラインである COMME des GARCONS


 奇妙奇天烈な製品は、ユニクロのヒートテックのような、大量生産と大量消費には、該当しない。しかし、製品が売れなければ、会社は潰れてしまう。それでは、どのようにして会社が成り立っているのか。


 「COMME des GARCONS」は、作品と言えるライン「COMME des GARCONS」の製作するための資金を「PLAY COMME des GARCONS」という比較的低価格なラインで収益を得ていると考えられる(他にも多くのラインがある)。


ギャルソン1

左:PLAY COMME des GARCONS
中央・右:川久保玲氏によるメンズライン COMME des GARCONS HOMME PLUS


 このように、しっかりと「デザイン」された会社によって、「アート」のような作品は生み出されているのである。すべての要素が巧みにコントロールされ、「アート」の概念を取り入れ、挑戦的に表現している。


ギャルソン3

左:ブランドの精神を表明するためのイメージカタログ「six」
右:「six」の延長である同社の DM



4_建築における「アート」と「デザイン」

 ファッション同様に、「建築」は、「アート」と「デザイン」のどちらかに絞ることは困難であると考えている。建築はデザイン(設計)するものであるが、明らかに建築家の様式が取り入れられる例がいくつもある

 それは、基本的な機能(ソフト)をおさえた上で、表現されるもので、機能がより向上するようなが価値が与えられているように感じる。


 建築に求められる機能は、その建築の定められた用途はもちろんのこと、安全面や快適に過ごすことのできる 最低限の居住性である。この機能を考慮してできる最も簡易で安上がりな建築は、ハウスメーカーがつくる無味乾燥な造形と空間に行き着くのかもしれない。


 しかし、ほとんど建築家のつくる建築意匠は、それぞれの様式のもとで造形されている。また、専門家でなくても、見ただけで誰が設計したか容易にわかる建築も存在する


 これらはカナダ出身の建築家、フランク・オーウェン・ゲーリーの設計によるものである。

ゲーリー

左:ビルバオ・グッゲンハイム美術館
中央:ルイ・ヴィトン財団美術館
右ツイステッドボックス


 これら建築の造形における作家性すなわち様式に「アート」の概念をみることができる

 一般的には、デザインにおいてデザイナーの様式は製品の機能に害を及ぼす要素になりかねない

 例えば、シュールレアリズムで有名なダリが自身の様式を用いて「ハンマー」をデザインしたとする。その半分溶けたようなハンマー(絵画から読み取る私の想像だが)は、本来の機能は損なわれ、誰も買おうとは思 わないだろう(ハンマーの機能を目的として)。


 それでは、建築のデザインにおいて、機能が損なわれることなく、なぜ「アート」の概念が組み込むことが可能なのか。これは、建築を設計する上で最も重要である建築計画に大きく関わっているのではないだろうか


 いわゆる、表現主義(ゲーリーもその一人)と言われる建築家の作品でも、建築計画が大きく破綻しているも のは存在しない。なぜなら、建築計画がなされなければその建築が機能しないからである。すなわち、建築の最低限の機能はしっかりとデザインしたのちに、建築家の様式である「アート」の概念を組み込むことができるのである。そうして組み込まれた様式が、機能をより向上させるような役割を果たすとき、建築は「作品」と呼ばれるのではないだろうか。


新国立競技場案

左:新潟ビッグスワン
右:新国立競技場コンペ案


 スタジアムという同じ用途お持ちながら、ここまで造形が異なる理由はただ一つ。「アート」の概念をもつか、 もたないかである。

 パリのエッフェル塔は建設当初、街並みに相反する造形によって多くの人々を困惑させた。 しかし、仮設の予定であったエッフェル塔が今もなおパリに建ち、ランドマークになっているという事実は、この「アート」の概念に関係しているように感じる。

 ビックスワンにはないが、新国立競技場コンペ案には、そのような未来があったかもしれない。



5_プロダクトにおける「アート」と「デザイン」

 プロダクト製品(例えばペン)は、デザイン製品でありアート作品ではない。それは、仮にペンにアートの要素 (作り手の様式)を取り入れたなら、コストや機能への配慮、消費者の好みといったさまざまな問題が想定され るからである。

 ペンをデザインすることの目標は、あくまでも書くことのできる物で、その後に設計する内容も 機能ありきの設計(書きやすい、持ちやすいなど)であり、これは使い手のための工夫であると言える。


 プロダクトデザインは、身体を拡張するための手法と言われるように、理にかなった、実用的なデザインであることが望ましいことは確かである。

 それでは、これまで考察してきた、建築やファッションのように「アート」 の概念取り入れたプロダクト製品は存在しないのだろうか。プロダクトデザインはアートたり得ないのだろうか。

 
 美しさを追求し、バランスの良い機能性をもった製品がある。アップル社の製品には、スティーブ・ジョブズの様式が見て取れる。特に、世界中の人々を魅了する美しいハ ードウェアに注目したい。


 MacBook で考えてみるのと、ソフトウェアが正常に作動することが最も重要であり、その外見は機能に大きく影響することはない。その MacBook 本体で釘を打つような機能を持つものではなく、ソフトウェアのための箱なのである。そこに「アート」の概念が入る余地がある。製品をミニマルなアルミを採用し、サイドのスロット を極限まで少なくし非機能的にする理由はどこにもなく、そこに彼の作家性が見て取れる


 このようにプロダクトデザインにおいても、その製品の中には、「アート」と「デザイン」の概念が両立しているものもあると言える。


画像8

左:MacBook Pro
右:CD/DVD ドライブがなくなり抽象度を増した MacBook


6_「アート」と「デザイン」の境界 

 冒頭でも述べたように、概念における「アート」と「デザイン」は明確であると言える。しかし、一つの作品や製品として見たとき、それを一概に「アート」や「デザイン」として区別することはできない

 それは、作品 や製品を生み出す過程で、場合によっては双方の概念も含んでいることがあるからである。

スケッチ2


 私は、デザインにおける創作活動において、「アート」の概念が持つ役割に大きな可能生を感じている。

 建築 において言うなら、個人の様式があるからこそ「建築士」ではなく「建築家」というのかもしれない。また、作品や製品の多くに、これら二つの概念は常に含まれているように感じている。純粋芸術でない限りは このバランスは非常に重要になってくるだろう。

 「アート」の概念が多ければ、独りよがりになり、「デザイン」 の概念が多ければ、無味乾燥なものになりかねない

 その製品や作品における「アート」と「デザイン」のバランスの良い地点を見つけ、それをしっかりと形にすることは、芸術家やデザイナーに課せられたある種の責任のように思う。


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ここまで読んでくださりありがとうございます。


改めまして、今回のテーマで僕が気づいたことは、以下の3つでした。


1.「アート」と「デザイン」は、概念(言葉)のレベルでは、明確に区別することができる。
2.「アート」と「デザイン」は、実物のレベル(物単体を評価するとき)では、明確に区別できる物もあれば、そうでない物もある
3.デザイナーとして、魅力的な物を産み落とすには、「アート(作家性)」と「デザイン(機能)」のバランスを考えることが重要である。



いかがでしたか?


コムデギャルソンに興味がでてきたでしょう?笑


っていうのは冗談で、なんとなく、アートとデザインについて考えてもらえる機会が増えたらいいなと思っています。



長々とお付き合いありがとうございました!

リアクションとフォローお待ちしております!




あとがき


 このテーマは、改めて考えると非常に面白かったので、「アートとデザインの境界線について_その2」があり得るなと思っております。

 その際は、意味深な挿し絵(4年前の僕は何を考えていたのでしょう笑)は抜きで、わかりやすいダイアグラムでの表現を心がけたいと思います。



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引用元(以下掲載順に)

「SWITCH」MRA.2015 VOL.33 NO.3 
http://item.rakuten.co.jp/ragul/10007346/
http://www.fashion-press.net/collections/gallery
「SWITCH」MRA.2015 VOL.33 NO.3
http://willproject.ti-da.net/e2690499.html
http://tricolorparis.com/paris-blog/fondation-louis-vuitton-2
http://matome.naver.jp/odai
http://www.pref.niigata.lg.jp/toshiseibi/1194452157006.htm
https://www.jpnsport.go.jp/newstadium/Portals/0/NNSJ/winners.html
http://www.gizmodo.co.uk/tag/macbook-pro/
http://www.apple.com/jp/











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