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「怒る」は自分のため、では「叱る」は誰のため?

よくあるあるの質問なのだが
「怒る」と「叱る」について聞かれることがある。

わたしは怒りをよくやかんのお湯が沸騰することに例えて説明をしている。
怒りははじめはふつふつとした感じ。
ふつふつしている時に怒りを解消していれば小さく済むのだが
解消しないと、どんどん水が温度を上げていくと同じで
怒りのボルテージがあがる。

そして沸点に達したとき、ついに爆発する。
それは沸騰した笛吹きケトルの沸騰したときに鳴らす「ピーっ」という
ばかでかい音に似ている。

怒りの沸点の説明は子どもの例を出すより、旦那さんに置き換えると
お母さんたちは激しく共感してくれる。
(わたし含め、どんだけ旦那に怒りをため込んでるんだ笑)

旦那の例はこれ!
子どもが愚図りがひどく、ご飯の支度が進まず、猫の手も借りたいのに旦那が寝転んで携帯でゲームをしている。本音は「ちょっとでも手伝えや」って怒りがあるのに「仕事で疲れているよね」と自分に言い聞かせ、良い妻を演じる。それが積み重なり、我慢の限界がきて、ある日、大爆発!!
家事を手伝ってくれないと文句を言っていればよかったのに、「あなたはあの時もそうだった」「あの時だって手伝ってくれなかった」「わたしも仕事をしているのに、あなただけ家事も育児をしないのはおかしい!」と怒りが止まらなくなった経験は誰でもあるのではないだろうか。ここまでくると全部言い切らないと気が済まない。

(怒りを自己認識できていれば、旦那さんに「手伝ってほしい」と一言伝えるだけで解消できることもあるのだが)

怒りは厄介で、対象ではない誰かを感情のはけ口にしてしまうことがある。

子どもが駄々こねをしてイラっとして怒りはじめたはずなのに、それが旦那が家事を手伝ってくれなかった怒りに繋がっていることもある。

また、子どもを自分の思い通りにコントロールしようとしてうまくいかない時も怒りが生じる。

もちろん、子どもをコントロールしようと最初から思っているわけではない。例えば、子どもが来春保育園入園なのにオムツが外れない。うちの子だけがオムツが外れていないのかもしれないと思い、子どもにトイレを促せば促すほど子どもは強固にトイレに行かず、おむつでおしっこをする。外れないことに焦る。
誰の為にトレーニングをしているのか?
オムツが外れてないと恥ずかしい。
オムツが外れていないとわたしの子育てが悪いと言われそう。
な~んて、これまた芋ずる式にずるずると本音がでてくることがある。

この場合、子どもをコントロールしようとしている自分に気づだけで、オムツがすんなり外れてしまうことも多い。

怒りは感情的なのだ。

一方、「叱る」は感情的なものではなく、子どもの為にやっていること。

わたしたちが生活している社会ではお互いが気持ちよく生きていける為の「ルール」を教えるために叱ることはある。我が子が赤信号で渡ろうとしたら誰でも叱るはず。子どもの成長を願って大切なことを伝えるために叱ることもあるだろう。

子どもの健やかな成長を願うのなら、ガミガミと怒るのではなく、ことば少なめに叱る方が効果的。

怒ってはいけないということではない。
だって、親だって人間だもの。怒ることはある。

近所のお子さんに怒りはわかないけれど、我が子だから感情的になってしまうのは親の性。


最後に大事なことを。
我が子はどんなに怒られてもお母さんのことを大好きでいてくれる。だから、それについ甘えて怒ってしまうのもあるけれど、子どもはいつも無条件の愛を親に送ってくれる存在。

そんなに愛されたことあるかな?
自分の親も満足度はないけどそれなりに愛してくれと思うけどさ、
旦那だってこんなに愛してくれないよ笑!

「ママ、ママってうるさいです」っていう相談にわたしは
「ママ、いちばんのモテ期ですね~!」って言うと、
相談者のママは「そうですね」って笑ってくれる。
(注意*モテ期も期間限定)

もし、子どもを怒りすぎたなって思ったら、素直に「さっきはごめんね」って、我が子をぎゅっと抱きしめて「大好きだよ」って伝えてあげてくださいね!

明日は子どもを抱きしめられない、子どもに大好きって言えないという、子育てでよくいただくご相談について書きます。

それでは!





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