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2018年9月 ゼイン

東グータのドゥーマ出身。現在は、トルコに暮らす。

友人の結婚式に参列するため、トルコからベイルートに来ていた友人。はじめて、彼の“これまで”を、聞くことができた。そのきっかけになったのは、彼にシリアに戻りたいか、聞いたとき。

「政府が許すならね。自分は、ブラックリストに載っているから」

シリア危機前、彼は政府機関で働いていた。シリア危機勃発後、はじめの2年間は、極めて反体制派グループは、極めて平和的なグループだった。にもかかわらず、政府は、力で対峙するものを抑え込もうとした。

「シリアでは、グレーでいることはできなかった。政府側か、反体制派側か。自分は、反体制派側に立つことを、選んだ。」

彼は、政府機関に働きながら、反体制派の活動を支援していたという。

東グータが包囲され始めた頃、負傷した反体制派の人々は、政府側の病院で治療を受けることはできなかった。病院に行けば、殺されるか、酷い治療をされるか。彼は、政府側からファーストエイドキットや医療物資を、反体制派の人々を治療するインフォーマルなクリニックに、届けることをはじめた。インフォーマルクリニックは、アパートメントの一室にあり、政府関係者に見つからないよう、隠れた病院だった。

当時、彼はすぐに政府が倒れるものと信じていたため、彼自身が反体制派を支持していることは、隠していなかった。むしろ、堂々と話をしていたという。しかし、転機が訪れる。ある日、自宅に政府関係者(インテリジェンス)がやってきた。そこで、彼は身の危険を感じ、ダマスカスからベイルート、そして当時はビザが必要なかったトルコへ、逃げたのだ。

いまは、シリアのパスポートではあるが、トルコで滞在許可書を取得し、就労許可書も得ている。このトルコの滞在許可書と就労許可書が有効に働き、今回レバノンも無事に入国できたという。

「レバノン入国は、シリア人には厳しい。半年間で、19日間しか滞在できない。ただ、それは入国が認められた場合だ。滞在可能期間が1日だけのことは珍しくないし、追い返されることも、ある。自分は、トルコの滞在許可書と就労許可書があったから、よかった。」

「彼が勝つのは、もう明らかだ。しばらくは、彼が立つだろう。けれど、そのうち、罪を負うことになると思う。化学兵器も。ロシアが、国際社会が、彼を政治の場から追い出すだろう。そうだね、国際社会が。法の下での判断を、受けるべきだ。」

(写真 シリア・東グータ 2007年12月 筆者撮影)

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