8663件の未読メールを突破せよ!Uber作家です。革命原稿をお届けに上がりました。
自己表現をすることで、家族に迷惑がかかったらどうしようという「恐れ」から解放された私は、再び原稿に向き合いはじめた。が、これがどうしたことかまたまた一向に進む気配がない。
原因は、分かっている。
これまた恐れ。私が拙著『はじめての野心』が売れなかったとかナンダとか、そういった野心本を出版してからの軌跡を書くことで担当編集家に迷惑がかかったらどうしようという「恐れ」が私の原稿を書く手を激しく引き止めるのだった。
とはいえ、私がこれから『2022年までの革命学』をnoteで公開したところで話題になる可能性も編集家に目撃される可能性も"0"だ。一般人に近い人間の書いたエッセイなんて誰が読むの?って感じだから大丈夫。
でも、そう思って公開したとしてもどうなるか分からないところがSNSの怖いところ。大勢に見られなくとも編集者や作家人口の多いnoteではたまたま編集家の知人が見ていて「これ、編集家の編集した本の著者じゃない?」なんて見つかり方をするかもしれない。
そうなった場合、それってメチャクチャ感じ悪くないか?自分の知らないところで過去の関係者が自分のことを書いてるなんて私だったらキレるっていうか気持ち悪いな、って思ってしまう。
それに、私は今回『2022年までの革命学』を本を書くつもりで執筆しようと思っている。
だとすれば、次に起こすべき行動は決まっている。野心本を執筆していた頃の経験を書いてもいいかどうか、ちゃんと編集家に「許可を取る」ということだ。これは野心本を書いていたときも同じ。私は、野心本の中で名前を掲載させていただいた人や特殊なエピソードを使わせてもらった人たち全員に掲載許可を取った。
相手のためではなく自分自身のために。
結局、最初にちゃんと許可を取っておかないと頭の中で拮抗してしまうんえだよね。
多くの人たちに読んでほしいという気持ちと、万が一にでも見つかったり内緒で書いているのがバレたらどうしようという気持ちはエネルギーを相殺してしまう。アクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなものだから。
だから、私はたとえ見てくれている人が"0"だったとしても『2022年までの革命学』に登場するすべての人に掲載許可をもらわなくてはいけない。
自分自身に「これは本なんだ!私は本を書いているんだ!」っていう本気度を見せるためにも。
だけどなぁ…
めっっっちゃイヤなんですけど。だって、考えてもみてよ。野心本制作してたのかれこれ6年も前の話しだし、編集家他の出版社に転社してるし。それに何より自分が編集家の立場だったら売れなかった担当本の著者から連絡来たら若干ウザいなって思う。
っていうか、
忘れられている可能性も高いな…。
いーやー。
まぁ、私がこういう思考回路に陥るのも野心本を執筆していた頃から編集家に対して抱いていた「不信感」が原因なのだろう。
あれは、野心本の制作が中盤に差し掛かった頃のこと。装丁デザインについて検討していた頃だったと思う。
編集家から送られてきた装丁デザイン案を見て、なんか違うな~と不安になった私は急いで苦手な電話をかけて一緒に装丁家との打ち合わせに同席させてもらうことになった。
当日。
私には、こういう表紙にしたい!という明確なイメージはなかったけど、なんとなく編集家が提示してくれていたラフ画は違うんだよな、というひどく曖昧な意見をワワワッと目の前の装丁家や編集家に訴えた。
何とも迷惑な話である。
だけど、私が最後のほうにポツリとつぶやいた「私の野心っていうのは繊細で壊れそうで、市橋織江さんの写真のような感じ」という言葉を聞いた装丁家は目をパッチリと見開きながらウンウンと力強くうなずいてくれた。
そして、編集家に向かって「この本の装丁では野心を一般的な野心として表現しないほうがいいと思います」と言ってくれた。編集家は、その言葉を少しうつむきながら黙って聞いていたけど納得はしていないんだろうな、という表情をしていたのが気になったけど、自分の意思が装丁家にさえ伝われば安心だ!と思っていた私は自分の意図した方向に進むだろうと安堵してた。
ところが、数日後。
私は、編集家から届いた一通のメールによって愕然としてしまった。というのも、そこにはこの間の打ち合わせで話していた装丁デザインからはほど遠い「三銃士」が描かれたものになっていたし、メールの文面には「あれから装丁に関する打ち合わせが進んでおりまして…」という一行。
その言葉を読んだ瞬間、私は突発的に「裏切られた」と思ってしまった。
最初の打ち合わせで「何かあれば何でも言ってくださいね!」と言ってくれたから装丁デザインに関する違和感も勇気を振り絞って言ってみたのに…。
やっぱり、
面倒だと思われたのだろうか?
結局、編集家もその辺に転がっている他の編集者と変わらない。編集者で、侵略者で、卑怯者で、裏切者じゃないか!
と、こんな風に当時の心の声をぶちまけてしまうとさも編集家が悪者かのように映ってしまうかもしればいが、この一連の流れは別に編集家が悪いワケでも裏切ったワケでもなく出版業界の常識というか一般的な流れなワケで。
キホン、本の著者というのは装丁デザインに関して意見をすることはできないというか決定権がないというか。意見が通ることはあまりない。
そんなことは知っていた。
ただ、私が勝手に期待してしまっていただけだ。1冊目のときも同じ。「何でも言ってくださいね」という言葉の中に、一緒にものづくりをしていきましょうという意図を勝手に汲み取って「仲間」になったような気になってしまう。けど、そうやって期待した分だけ装丁の部分で思い知ってしまう。
著者は、コンテンツを提供したら黙ってろよ!
どこからともなくそんな声が聞こえてきたような気がして、ああ、やっぱり著者と作家は違うんだ。自分はものづくりには関われないんだ。どこまでいってもトトロの森のクリエイター陣の仲間入りはできないだな、と打ちのめされてしまった。
大袈裟に聞こえるかもしれないけど、装丁デザインについて自分の知らないところで話しが進んでいたという事実は自分でも気づかないほどに、人生で1位2位を争うほどにショックな出来事だったんだな、と改めて思う。
そのショックを分解してみると、そこには一言でいいから相談してほしかったという想いがあるのだろう。違うと思っていたのであれば違うと、変だなと感じているのであれば変だと。たとえ、激しい議論になったとしても一緒に何かを創っていく人間には言ってほしい。
何も言われずにいるということは、即ち、信頼されていないんだな、と落胆する。
お前は、相談するに値しない人間だと。そう言われているような気がしたのだ。
最終的には、なぜか装丁家が第3のアイデア?として現在の足のデザインを送ってくれて、編集家も私も双方激しく合意の上で決定となってめでたしめでたしだったけど、それからも私の中に芽生えた編集家に対する不信感が消えることはなく、何かにつけて反発するようになり、大事なアドバイスをすべてスルーするようになってしまった。
しかし、しかしですよ。
こうやって過去の傷を掘り起こしながら信頼されたかったとか、信じてもらえなかったとか。あたかも編集家のほうが悪者であるかのように女々しいグチを垂れ流しているけれど、当時、本当に相手のことを信頼していなかったのは自分のほうなんじゃないかな、ということに気づいた。
最初から、
疑っていたのは私のほうだった。
編集家から『はじめての野心』というタイトルが書かれた企画書が届いた日。私は、そこに書かれていた編集家の名前をネットで血眼になって検索した。やばいヤツだったら困るな、と思って(笑)
ま、SNSを含めてすべてを観察した結果、安全安心な人物なのだろうと予想することができた。が、一点だけとても気になることがあった。
それは、編集家のつくる本の特徴というか雰囲気というか。どの本も、一目見て編集家がつくったんだろうな、ということが分かる。
作家性があるのだ。
私は、そういった編集家のつくりだす本を手に取り、素敵だなと思う反面、絶対に自分の本には作家性を入れてほしくない。他の著者のように編集家の作品に、編集家チルドレンみたいになるのだけはイヤだ。
編集家の色に染まってたまるか!
といった激しい反発心を胸に、戦々恐々とした面持ちで1回目の打ち合わせに挑んだことをよく覚えている。案の定、リアルで対面した編集家の顔は薄くキャラは濃く、その日以来、喰われて自分の色がなくなってしまうんじゃないかという恐怖に怯えていたし、心のどこかで装丁デザインの打ち合わせに参加することさえできれば自分の意図する方向に持っていけて編集家の色に染まることを回避できるんじゃないかみたいなことを企んでもいた。
だけど…
今、拙著『はじめての野心』で最初に編集家が考えてくれていた構成案をもとに『2022年の革命学』を書きはじめてみて分かる。編集家は別に野心本を通して自己表現していたんでも何でもない。装丁デザインのラフ画もその他のアドバイスも、どうしたら野心本が売れるのかを必死に考えてくれた上でのアレコレだったんだ。
私はバカだ。
というより、
私は、私自身を信頼できていなかったんだな、と思う。私が、本当に信じていなかったのは編集家ではなく自分自身だったのだ。
編集家の色に染められてしまうんじゃないかと恐れていたということは、誰かの色によって消えてしまうような弱い自分だと自分で自分を疑っていたということになる。
今もそうだ。
もう6年も経っているし、編集家に掲載許可のメールを送ってもスルーされるんじゃないかと怯えることは、自分で自分はスルーされるような存在だと自分で自分の価値を低く見ていることになる。
あれだけ野心本で「自分を信じる」だのなんだのと豪語しておきながらも、私はいつまでたっても自分を信じることができていない。というか、この世で一番この部分についての病が深いからいつまでたってもこのテーマを追いかけているのかもしれない。
とにもかくにも、結果はどうあれ私は編集家をはじめ『2020年までの革命学』に関わるすべての人に筋を通さなくてはいけない。たとえ、誰にも読まれない話題にもならない格好悪い結果になったとしても。
私は、本を書くのだから!
そんなこんなで、私はとりあえず編集家にメールを送るために編集家のBlogをチラ見してみることにした。だって、校了前とかだったらマジで迷惑でしょ?もしかしたら、Blogの切れ端にそういった情報が書いてあるかもしれない。どれどれ…
私は、ごくごくかるーい気持ちで編集家のBlogを検索して開いて見た。が、何の気なしに開いてみた1つの記事の内容を見た瞬間、完全にフリーズしてしまった。なぜなら、そこにはとんでもない数字が…!
8663件
は?ナニコレ?
え、未読メール件数の数字なのォ!?やば。やっぱ、編集者ってサバンナを走るシマウマだわ。いろーんな、肉食著者希望者に狙われている…。
ま、この出版不況にベストセラー本を多数輩出しているから尚更か。っていうかさ、この未読件数じゃさ、私の掲載許可メールなんてスルーどころか開かれないんじゃない?いやいやいやいや。それは困る。
たかがnoteに掲載するだけの自称書籍とはいえ、私はこの本を書くことで自分の人生を進化させて新化したいのだから。何がなんでも…何がなんでも8663件の未読メールを突破すて掲載許可をもらってやるからなぁぁ!
私は、ヘンに燃えてしまった。
毎日毎晩。仕事以外のすべての時間を費やして「掲載許可メール」を考える日々。そして、30日が過ぎようとしていたある日のこと。遂に、完成!
こうなりました↓
はい。もう、なんか色々考えてこねくり回してしまった結果、めっちゃ意味不明なふざけてる感じになっちゃったんですよね…。
ただ、なんていうか8663件のメールを抱える忙しい日々の中でラッキーにも開いてもらえて読んでもらえた場合、なんか面白いなって思ってもらえたらいいなというか、宣伝会議コピーライター養成講座でも習ったんですよ。ボディコピーは最後の最後まで相手に楽しんでもらうつもりでって。
いや~。
これ読んで楽しんでもらえるかどうかは分からないけど、とりあえずちょっと補足させてもらうと、冒頭に書いた「大変申し訳ありません」っていうのはWACKの謝罪広告から着想を得ました。
まだ、何も書いてませんが申し訳ありません。というか、なんか一番伝えたいのっていろーんな意味での謝罪だなって思って…。(ていうかていうか、この広告面白いよねー)
あ、件名に「あとがきの執筆依頼」という一文を入れたのはですね、編集者がもらうメールの件名の中で最も来ないであろう違和感のある文言はなんだろうと考えて入れてみました。
はい。ゴリゴリの嘘の依頼です。
が、ウソだよーん!釣り広告だよーん!みたいなことを書いたらガチギレされるかもしれないんで、あくまでガチっぽい仕様に仕上げております。
一応念のために、絶対選ばないような仕掛けをほどこしてみたんですが、どうでしょう?
で、あとは最後のほうに書いた「編集者チェックの都合により」っていうお前ウソだろ的な一行だけど。
これは、
「編集者のように自分の原稿をチェックする私のスケジュールの都合により」
という一文を短縮したものでーす。Blogを拝見してどうやら屁理屈がお好きみたいというのを知ったので入れてみたというか、真意としては元担当編集者の義理で完成したら読まなきゃ!とか思わせたら申し訳ないというか、まだ書いてもいない書けるかもワカンナイ原稿に気を遣わせるのもイヤだし面倒なんで。お前には、1㎜も関係ねぇからな!という意味で入れました。
それ以外の部分に関してはノーコメントです。もういいや。送信っと!
それから2時間後。
キターーーーーーーーーーーー!
来ました。来ましたよ。返信、返ってきましたー!わー、忘れられてませんでしたぁー。うれしー。でも、返信が返ってきたこと以上に嬉しいと思ったことがもう一つだけあった。それは、編集家が選んでくれた回答。
⑥を選んでくれたことだった。
私はてっきり、編集家は①を選ぶと思っていたというか、私だったら①を選ぶ。
一応、どういうの書くのかな?自分のことヘンな感じに書かれるのはイヤだなって思うタイプだから。なのに、編集家は⑥だって…信用してくれるんだって…。
よくよく考えてみたら自分で記載したものだったけど、編集家の返信メールに掲載してあった⑥の文言を読んでちょっとだけ泣きそうになってしまった。無意識だったけど、これを選んでくれたらいいな…いや、それはないかって思っていたから。
やっぱり、私はまだまだ自分で自分を信じることができていない。いつの日か、この⑥のような言葉を一点の曇りもなく「誰か」に伝えられたらいいな…。
私は、泣きそうな目をグシグシこすりながら編集家にメールを返すことにした。
ある程度予想はしていたけど、お世辞や社交辞令でも「公開されましたら、
拝読いたしたす。」と書かせてしまったことが申し訳ないと思って「編集家が自然に目にすることがなければ死んだと思ってください」と返した。
要は、話題にならなければ読む必要はないということ。これは自分の作品を卑下しているワケでもなんでもなく、そういう、ものなのだ。
さぁ、これでスッキリした!
次は、ワニの島へ。私は、版元であるワニブックスに野心本の電子書籍化を依頼した。すると、意外にもサラッともう契約期間も過ぎているし自分で創っていいですよ!という許可をもらった。
なーんだ。
こんな簡単なやり取り、どうしてもっと早くにやらなかったのだろう?と思った瞬間、どこからともなく怒りが沸き上がってきて、ついさっき感謝の念を込めたメールを送ったはずの編集家とワニの担当者に八つ当たりのメールを送ってしまった。
それはたぶん、自分自身対する怒りだった。どうして、自分の本だけが電子書籍化されていないのだろう?という疑問を野心本が売れていないから聴きにくいという理由で遠慮してただ聞くということをしなかった過去の自分自身に向けられた怒り。
私は、いつだって自分勝手で傲慢だ。
そうやって怒り狂いながらも約3ヶ月が過ぎ、電子書籍版の『はじめての野心』が完成!
私は、そのリンクと併せて『2022年までの革命学』に登場するキャラクターたちに掲載許可を送りまくった。
Uber作家です!頼まれてもいませんけど掲載許可をいただくために革命原稿のお届けに上がりました!
といった感じで。トトロの森のクリエイターやPR職人の師匠、1冊目野菜本の担当編集者をはじめ名前を掲載させてもらっいないけど濃い関わりの人をはじめ、『嫌われる勇気』の担当編集者である柿内さん、『注文をまちがえる料理店』の小国さん、独学本の柳川先生、コピーライターの細田先生、宣伝会議&六本木アカデミーヒルズの事務局の皆様に至まで全員に。
結果は…
もちろん、全員OK!
いや、たった1人だけ…出版業界の『全裸監督』というか…とある尊敬する作家の人からだけはNGを喰らってしまった。というか、厳密に言えばその作家さんの背後にいらっしゃる方をひどく怒らせてしまったんですよね。私の原稿の内容があまりにも過激すぎて…その作家さんには面白いから掲載OK!って言われていたんだけれども…。
いやはや、
これもまたいい経験になりました。
何はともあれ、大変お忙しいところ『2022年までの革命学』の原稿をお読みいただき、快く掲載許可をくださった皆様。本当、本当に…
ありがとうございました!!!
ここで問題です。私、中村慧子は、いただいたサポートで「何を」するつもりでしょうか?①革命を起こす②冒険の旅にでる③野心に正直に生きる。Let's think!