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【エッセイ】三大ダメばなし

「自慢話、昔話、説教話」。
 これは、先輩方が若者にしてはいけない「三大ダメばなし」だそうである。これを聞いた時、私は思わず膝を打った。確かに「自慢話、昔話、説教話」を(そしてそれが長ければ長いほど)する先輩方は嫌われる。意地悪な私と、意地悪な私の友人は「そういえば〇〇さんは自慢話が多くて嫌われてるよねぇ」などと噂話(これもどうかと思うが)をしていたのだった。

 先日のこと、ご敬愛申し上げるC先輩が、あるコミュニティで「私は最近ここで、なぜか昔話ばかりしておりますが」とおっしゃった。私はそのことに驚きを隠せなかった。言われてみれば確かにここ最近、C先輩は昔話をよくしてくださっていた。しかしながらその話は全く嫌な感じはしなかったし、もちろん周りから嫌われるような気配も一切なかった。むしろその逆で、大変に人望が厚い。さてこの差は、何なのであろうか。
 その答えのヒントは、数日前にあった。

 私は地元の図書館から、年に3回ほど依頼を受けて、仲間と一緒に朗読会を開催させていただいている。秋の朗読会に、C先輩がはるばる県を超えてご来場くださった。私が読んだのは、堀江敏幸作の「11月の肖像」。若くして亡くなった父の肖像画と、今は歯科医となった息子が偶然再会する物語であった。何を隠そうこの作品をご紹介くださったのは、このC先輩なのだ。こればかりではなく、大変な読書量を誇るその方は、よく私たちに美文で繊細な作品をご紹介くださっていた。
 リピーターが多く「ご親戚のお集まり」のような朗読会は、図書館側もびっくりという、アンケート回収率100パーセントの会なのである。律儀にも、アンケートはデータ化され私の元に送られて来たが、なにしろ「ご親戚のお集まり」である。私は、どの方がどの感想を書いてくださったか、無記名であってもすぐに判別ができた。
 中でも、すぐに判別できたのは、C先輩が書かれたそれであった。
 朗読会後の、短い時間の中で書かれた感想なのだが、それは一編の詩のようであったのだ。

 私はC先輩の語る昔話が、いつもポエジーであることに気がついた。映像的であり、昭和な香りがして、セピア色。押し付けがましい感情はなくて、豊かな景色があり、それを俯瞰して見る眼差しがあった。

 嫌われる昔話というのは「昔は良かった、今はダメだ」と言うようなたぐいの話なのではないだろうか。
 昔話がポエジーなら、昔はもちろん、今ここの瞬間をも彩り豊かにしてくれ、暖かな気持ちを運んできてくれる。そしてそれが、この先の未来へと繋がっていくのかも知れないと思う。

●随筆同人誌【蕗】掲載。令和4年1月1日発行

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