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何かを目指していて苦しく感じるときは動機を疑ってみる

私たちはあまりにも何かを目指すことを自然に行っているように感じます。
幼いころから目標を掲げてそれを達成していくことを自然と教えられてきたし、大人になってからもどこか進化成長しないとダメ!みたいな風潮があったり、行動しよう!的なメソッドもたくさんあるものだと思うからです。

私たちはそれを疑うことなく「そういうものだ」と信じてきた部分があったのではないかと思うんです。
ていうか私はそうだったのですが。

目指すのが「悪い」という話をしているのではないです。
また、【ナチュラルに】やりたいことや好きなことがあって目標へ向かっていくという、楽しみのためのステップの話でもありません。
あくまでここで話しているのは何かを頑張っている中で不快感や苦しみが生じている場合の話です。
が、まずはそのことに気づかないことも多いものだと思います。
気づかずそうなってしまっているからなのですが…。

何かを目指すと苦しくなる理由はシンプルです。

等身大の自分と理想の自分のギャップが苦しみの元

そもそもここで話しているような、頑張っている中で苦しみが生じる場合と言うのは頑張る動機にあります。

動機が「今のままではダメだから何かを目指していい感じの自分になる」というものであるとき、それは純粋にそのことを頑張ったりしたいというより「自分の価値を上げたい」ということなのですよね。
ここは無自覚に起こるので自分がそうだとは気が付きにくいです。
この状態の時ってゴールの状態になった理想の自分と今現在そうでない等身大の自分とでは乖離があるんです。

このギャップが苦しみとなります。
例えば罪悪感、焦燥感、自己否定感、不安感…など、その人によって表面的に感じるものは違いがあると思います。

重ねて言うと「目指すな」ということではなく、目指して苦しみがある場合は動機に問題があるということです。

今ではない自分を追っかけていると疲れます。
自分っていうのは誰しも「いい感じ♡」なときと「だめだな~💦」みたいな、イケてないと感じる時があるのが普通だと思います。

自己価値にこだわりがなくなると存在価値を上げるために何かを目指したりはしなくなるのでいつも等身大の自分に落ち着いていられるようになります。

そのとき単に今ここにあるリアルだけが残るのでギャップは生まれようもなく、結果的に苦しみを感じることがなくなります。

このことは「自己受容」とかの話とも違うのですが、長くなるのでまた別に書いてみたいと思います。

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