それでも。それでも生きていると

生きるは苦しみ。 仏教もそんなことが主軸だと思う。
しかし、生きていると、そうそう悪いことばっかりでもなく、たまに、ほんとにたまにあるイイこと、さりげないことに感動したりするもんじゃない?

むしろ苦しみに満ちたこの世だからこそ、その中の奇跡的な優しさや美しさにふれたとき、人は涙があふれてきませんか?と。 これは生きる理由としてではなく、結果的に人があちこちで感じている、これも真実ではないか。

反出生主義。そもそも産まれたからこんなことに…!!!という怒り、憤りはご尤もです。最初から生れなければよかったじゃん!という、いじけた考えに、そんなにもしがみつくには理由も理屈もある。これは否定しない。そして死にたくなってしまった人も否定しない。ある意味当然です。

でも、だからこそ。そうだからこそ、生きることの中に、感動がありませんか? なにもかも思い通りな世界に感動なんかない。あるわけがない。
ドラマや映画を観れば、必ず苦しみを、哀しみを描いている。そしてそれを「餌」にして、肥やしにして、実りを描いていますよね。救いでなく、実りを。

苦しみ哀しみが素となって、そこから咲かせる果実に、人は感動する
恐らくこれが、泥の中の蓮の華です。

だからこの世は地獄界だと嘆くのも悪くない。あまりに深い闇ゆえに、ひとすじの光もまた輝いて見える。

生きることが無条件に幸せなわけない。むしろ苦しみばかりだからこそ、何かがある。そして死は悪いものじゃない。当たり前なこと。このあたりがフラットな死生観、(私の)イメージです。


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