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持続化給付金詐取事件で、事件の被疑者が<黙秘>していると報道等で報じられています。

逮捕された人が取調べを受けても黙っていることがあります。
黙秘権の行使ですね。

真相究明しようとしているときに黙っているなんて、とんでもない極悪人だと思われるかもしれません。

そもそも、何故黙秘権というものが存在しているのか。
また、何故憲法にまでこの権利を定めているのでしょうか。

原則として我が国では、何らかの犯罪行為によって逮捕された場合、裁判で判決を受けるまで全ての被疑者は<推定無罪>であって、逮捕自体は本人の犯行が疑わしい状態なだけなんです。
(逮捕されるのは逃亡や証拠隠滅の恐れがあるから)

被疑者・被告人は、罪を犯したかどうか、犯したとしてもその罪がどこまでの刑に服さなくてはいけないのかが捜査段階では判断できませんので、裁判を通じて裁きを受けるとされています。

そうは言っても、自分に不利にならないことを話す義務くらい負わせてもよさそうです。しかし、もし不利な部分だけは喋らなくてもいいと決めてしまうと、黙っているのは自分に不利だから話さない、つまり『犯人だ』という結論で推測がなされてしまいます。
そこで、不利なことも有利なことも、一切黙っていることができるとしたのが<黙秘権>なのです。

よく、「被疑者は完全黙秘している」と報じられることがあります。

真犯人でないのなら、きちんと弁解するべきだと思う人もいると思います。しかし、これではうまく弁解できない人が有罪になってしまいます。つまり<疑わしきは有罪>ということになりかねません。
罪を犯したかもしれない人をすべて処罰することで、社会の治安は維持できるかもしれませんが、それでは無実の人が処罰されることになってしまいます。つまり、社会の治安のために無実の個人が犠牲になるということです。
それは決して許されることではありません。

極端な話かもしれませんが、皆さんが仮に誤認逮捕され、うまく弁解できなかったから死刑になった。これってどう思います?
絶対、おかしいですよね。・・・そういうことなんです。

これでは憲法が一番大切にしている「個人の尊重」(日本国憲法13条)に反してしまいます。

我が国の憲法は社会や国のために個人が犠牲になることを認める内容ではありません。

あくまでも個人のために国があるのであって、けっして国のために個人があるわけではないのです。なので、犯人かどうか疑わしいときは、無罪とすることになっています。これを<無罪の推定>といいます。
(それでも<推定有罪>で判決を下す裁判官も多いのですが・・・)

皆さんが、たとえばアリバイを証明できずに有罪とされてしまうとしたらどうでしょう。
昨日の夜中の1時に家で寝ていたとします。そのアリバイを証明してくれる人はいますか? いくら自分の部屋で寝ていたといっても、家の人がみんな寝てしまっていて、それを証明できないとしたらどうでしょうか。独身の方なら同居人もいないケースもあるでしょう。それで有罪とされたら納得できますか?
私のケースはまさにこれです。

我が国は黙秘権を基本的人権の一つとして国が保障し、有罪立証は国側の責任にさせることによって、国家権力によるあやまちを最小限にくい止めようとしています。
警察や検察、裁判所は社会の秩序を維持し、正義を実現するために重要な役割を果たしています。しかし、同時におそろしい権力としての側面も併せ持っているのです。

捜査が終了するまで、捜査機関は当該犯罪における具体的な証拠を明示しません。言い換えれば[カマをかけてくる]ことも往々としてあります。
これにYES・NOで返事しただけでも裁判においては重大な結果をもたらすことだってあります。
不慣れな状況下で、威迫された取り調べだとすると被疑者はその答えを誤ることだってありえます。

一度、供述してしまうと、その内容を覆すのは相当困難です。訂正を試みても「罪から逃れようとしている」とか「量刑を軽くしようと画策している」と捉えられ、かえって不利な状況に陥ります。調書化せずとも捜査メモとして、その内容は記録として残ります。

捜査機関の証拠をもとに、公判で裁判官に判断してもらえば良いのですが、今日の司法制度では、自白調書が最大の直接証拠となるため、話をさせることで有罪立証に繋げようとしてきます。その為、あの手この手で誘導尋問が行われます。

そうした現実を踏まえ、弁護人は捜査が終わるまで(=起訴されるまで)、一旦は被疑者が有利なことを含め、一切話さないという黙秘を薦めるのです。そうしないと、争点において不利な状況が悪意ある調書として完成するからなのです。言っていることが捜査機関にわかってもらえないのなら、自身を守るためにこうするしかないのです。
尚、黙秘権は裁判でも使うことができます。(証人は不可)

テレビや映画だと、警察や検察は正義の味方として描かれていますが、それはあくまでもつくり話の世界であって、現実は国家権力による人権侵害は日常的に行われています。本当に酷い話です。


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