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ミカンの教訓

履歴書に書くまでもない微妙な特技が、誰にでも一つくらいはあると思う。僕にとってそれは、ミカンがたくさん詰まった箱の中から、甘いミカンを見つけ出すことだった。

幼い頃、実家では冬になるとミカンを箱買いしていた。
「景(けい)のミカンは甘いのよ」
僕が得意気に選んできたミカンを食べながら、母はよく、そう言っていた。景とは、僕のあだ名だ。母はいつも、僕をそう呼ぶ。

僕が選んで持ってきたミカンを、甘くて美味しいと喜んで食べる母を見て、黙っていなかったのは妹と弟である。自分も甘いミカンを見つけると言って、ミカン箱に群がることがあった。

残念なことに二人は、母が喜ぶほどのミカンを、うまく見つけることはできなかった。世の中、ミカンのようにそんなに甘くはないのだ。

ある時、僕は妹と弟に、甘いミカンを見つける方法をレクチャーしたことがあった。彼女たちから、教えて欲しいと頼まれたからだ。

それでも、妹と弟は甘いミカンを、なかなか見つけることはできなかった。意外に難易度が高い技だったのだろう。その技術を身につけていた僕は、甘ミカンの匠と化していたわけだ。

そんな匠の技も、両親の離婚やライフスタイルの変化とともに、活かす場を失った。もちろん、履歴書の「趣味・特技」の欄には書けない。

今日、僕はスーパーの果物売り場で、積み重なっているミカンを見ながら、甘ミカンの匠になれた理由を考えていた。

そこで出てきたのは、場数を踏む、だった。自分でミカンを選び、ひたすら食べるという場数を踏むことで、僕は甘いミカンの見分け方を体で覚えていったのだ。たった、それだけのことだった。

僕は昨年から、文学新人賞などに自分が書いた小説を出し始めている。物語を考えて書けば書くほど、自分の下手くそさに嫌気がさして、文章が全く書けなくなることがある。

だからといって、書けない、書けないと、頭を抱えていても作品は生まれない。書かなければ何も始まらないのだ。

石を絞るようにして考え抜き、書いて、書いて、書きまくり、プロの小説を読んで、読んで、読みまくることが、今の僕にとって大事なのだと思っている。

目に見えた結果が出なくても、辛抱強く、場数を踏んでいく。僕が体験したい未来は、その先にあると信じているからやりたいのだ。

だから、納得のいかないくらだない作品に仕上がろうが、思うように書けない自分に嫌気がさそうが、とにかくずっと書き続けていきたい。

その結果、どんな作品が生まれるのか。今年、僕はそれを、この目で確かに見たいと思っている。

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