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地番まで記載した実名報道とプライバシー(東京高判令和3年11月18日)

静岡新聞が、薬物事件で逮捕された夫婦(のち不起訴)について、地番(住所)まで記載して実名報道した事件が話題となっています。

夫婦は、静岡新聞社に損害賠償請求の訴えを起こし、2021年(令和3年)5月7日、静岡地方裁判所(増田吉則裁判長)は、新聞が地番まで記載したことはプライバシー侵害にあたるとして、夫婦を一部勝訴とする判決を言い渡しました。
夫婦と静岡新聞社双方が控訴したところ、東京高等裁判所(渡部勇次裁判長)は、2021年(令和3年)11月18日、原判決を取り消し、静岡新聞社の全面勝訴とする判決を言い渡しました。

地番と住所

少しわかりにくいですが、「地番」と「住所」は同じではありません。
地番は、不動産登記などで土地を特定するために付されており、住所とは必ずしも一致しません。
ただし、住居表示が実施されていない区域では、地番が、住所を表すためにも用いられるので、両者が一致するケースも多いです。

本件の場合は、要するに、原告夫婦の住所全てが掲載された、という事実関係のようです。

静岡地裁令和3年5月7日判決

この判決は、現時点で裁判所ウェブサイトに掲載されていません。
民間データベースには掲載されているので、ポイントを紹介します。

静岡地裁は、夫婦の名誉権侵害の主張は退けました。
ただし、プライバシー侵害の主張については、夫婦の主張を認め、一部勝訴としました(静岡新聞社に、夫婦それぞれに対して33万円の損害賠償を命じた)。

静岡地裁判決は、夫婦が逮捕されたことや住所はプライバシーに係る情報とした上で、「当該プライバシー情報に係る事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由に関する諸事情を比較衡量し、当該プライバシー情報に係る事実を公表されない法的利益がこれを公表する理由に優越するか否かによって判断すべき」としました。

その後、以下のように述べ、住所の地番まで記載したことは違法であるとしました。

本件記事〈1〉は、社会一般の関心あるいは批判の対象となるべき刑事事件にかかわる、原告らが、本件覚せい剤及び本件大麻を営利目的で所持したという被疑事実で逮捕されたとの事実を報道するものであり、本件記事〈1〉の本件新聞への掲載の目的は、重要な公益を図ることにあったと認められる。そして、上記被疑事実に係る犯罪の重大性及び社会的関心の高さに鑑みると、原告らが上記被疑事実によって逮捕された事実を原告らの氏名や年齢、職業、居住地域などの原告らを特定するための情報と共に報道する必要性は高いといえる。
 しかし、居住地域については、町名ないし「丁目」等までの住所の一部であっても、氏名や年齢、職業等の他の情報によって被疑者を特定することは可能である。被告は、住所の報道を一部にとどめた場合、同じ地域内の同姓同名・類似姓名の第三者に対する風評被害等が懸念される旨主張するが、例えば古くからの集落に見られるような同一姓が非常に多い地域でもない限り、氏名や住所の一部に加えて、年齢や職業等の情報を併記することで、読者が同一地域内の同姓同名・類似姓名の第三者と誤認することを避けることは可能であると考えられる。
 実際、証拠(甲14)によると、新聞の逮捕記事において、被疑者の住所全てではなく、「丁目」等の住所の一部を掲載するに止めることを原則としている新聞社も存在しているのであり、前記1(6)で認定したとおり、被告自身も、静岡県外の事件は、被疑者の住所の「字」までを掲載することを原則としているというのである。
 そして、原告らがいずれもブラジル国籍であることや、原告らが居住する地域内に原告らと同一又は類似の姓若しくは名の人物が多数存在するなど本件記事〈1〉で住所の一部のみの記載に止めた場合に読者において原告らと第三者とを混同するおそれがあることを基礎づける具体的事情が認められないことも踏まえると、本件において、逮捕された被疑者の特定のために、原告らの住所の一部にとどまらず、地番まで掲載する必要性が高いとは言い難い。

東京高裁令和3年11月18日判決

こちらは判決文が裁判所ウェブサイトに掲載されています。
興味のある方は、全文読むことをお勧めします。

判断を分けたであろう、住所の地番まで公表した部分について、該当箇所をピックアップしてみます。

住所の地番まで公表すれば,被疑者の私生活上の平穏が害される可能性が一般的に高まるともいえるが,近時社会問題化しているインターネット上の風評被害の側面からは,容貌,家族関係を含む身上,勤務先,経歴,交友関係等の各種情報にも重要性があるのであり,住所の地番に限られるものではない。さらに,住所に関連する要素として,地番の公表の可否のみならず,自宅の外観等の写真や映像を公表することの可否も問題となり得る。
 この点に関する報道機関の動きをみると,(略)新聞の逮捕記事において,原則として町名までを掲載するにとどめる新聞社も増えつつあるが,各社の方針は一定ではなく,原則として地番まで記載する社,原則として町名まで記載しない社,個別判断によるとする社などがあるようであり,他方,テレビの逮捕報道等においては,近所を含めて自宅の映像を出す場合や,近所はマスキングをして自宅のみの映像を出す場合など,一定していないようであり,事案ごとに判断が異なることも考えられる。
(略)このように住所の地番を公表することの利害得失の諸事情や報道機関の取扱いの方針が一定ではないことなどをみてくると,プライバシー保護をより求める社会の意識の変化,インターネット等を通じての風評被害の拡大,逮捕された被疑者が不起訴となる事例が増えてきているなど社会状況が変化していることや,今後もそのような動きが進展していくことが考えられることから社会的な議論が期待されるところではあるが,少なくとも本件記事①の掲載時点において,逮捕された被疑者を特定して報道する場合に,住所について地番を公表することが一律に許されないとする社会通念があるとまではいえないというべきである。また,報道において,プライバシー情報を公表した行為が不法行為となるか否かは,報道の時が基準になるのであり,逮捕報道等においては,速報性も重要となり,取材時間が限られている中で事実の正確性の確保やプライバシーへの配慮が求められていることも考慮に入れる必要がある。
(略)
一審原告らは,地番を公表することは,不特定者からの嫌がらせの郵便物がそのまま届くことになるから格段の違いがあると指摘するが,そのことが違法か否かの分水嶺となるとは即断できない。
 なお,事後的な事情となるが,現実には,本件記事①の掲載後,一審原告らの住所記載地である自宅宛てに嫌がらせの郵便物が届いたことはなく,第三者が薬物を売って欲しいと言って自宅を訪問してきたことが1回あるのみであることが認められる

若干の考察

実は、静岡地裁も東京高裁も、判断枠組や前提とする見解は、あまり変わらないのです。
静岡地裁も、今回の嫌疑は重大だから報じる価値は高い、原告夫婦(事件の被疑者)を特定することも大事だと言っています。
そういう意味で、裁判所の大勢は、いわゆる実名報道原則禁止論とは大きく隔たりがあります。

では、今回何が違うのかというと、1審の静岡地裁は、
(1) 実名、国籍、年齢、職業まで出ているから、地番まで記載しなくても原告夫婦を特定できる(同姓同名の他人に対する風評被害のおそれはない)
(2) 静岡新聞社でも他県の事件は地番まで記載していない
ことに力点がある。

他方、控訴審の東京高裁は、以下の点を重視したと思われます。
① プライバシー情報として重要なのは住所・地番だけではない
② 被疑者の地番まで報じるかどうか、(テレビであれば)自宅まで映すかどうかは一定ではなく、地番の報道が不可という社会通念はなかった
③ 逮捕報道では速報性が重要であり、限られた時間の中でプライバシー配慮を考える必要があった
④ 地番の報道によって実際に嫌がらせを受けた事実はない(薬物購入希望者が来ただけ)

高裁判決をどう感じるかどうかは読者に委ねますが、筆者としては④には突っ込まざるを得ない。
「薬物を売ってくれ」という人物が自宅に来ること自体、生活の平穏を害することは明らかだからです。

また、高裁判決が、テレビ報道での事例まで持ち出して、犯罪報道における各社の運用は一定ではないと論じたことにも、やや違和感はあります。
そもそも表現の自由が関わる事件において、(主に表現者の側から)現実に行われている慣行や運用が訴訟で持ち出されても、裁判所は冷淡にあしらってきた印象があるからです。
最近では、「公正な慣行」に言及した、スクショ引用事件(東京地裁令和3年12月10日判決)が記憶に新しいところです。
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail7?id=90826

一方、高裁判決がいうように、実名や職業などの報道を許容しておきながら、住所・地番の記載のみ厳格に解するのは一貫しないという指摘も一理あります。
他のメディアでも、住所の「○○丁目」までは報じる社が存在しますが、それでも本人や家族が嫌がらせを受けたり、仕事や生活上の不利益をこうむる可能性が十分にあるからです。

原告の夫婦は、今回の東京高裁判決に対して上告の方針のようです。
最高裁でいかなる結論となるか、注目したいです。

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