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このコロナ禍での、政府の人流抑制や私権制限には、私は納得はいっていない。 それで、道を断たれた店舗や企業がたくさんあるはず。コロナの影響で、赤字が大きく残っている会社もあるはず。人災の要素がある。それをどこにぶつければいいのだろう。

私が、政権交代を意識したのは
おそらく7歳の時だと思います。
その記憶の根拠は
新自由クラブにあります。
誕生のニュースを覚えています。

新自由クラブは、1976年に自民党から派生した保守新党。
幼心に自民党が2つあればいいのにと思っていた。
どんな小学生だったのか自分でも不思議だ。
子供過ぎて新自由クラブがその後どうなったのか、
どんな実績を残したかは記憶にない。
いつも間にか自民党に戻ってしまった記憶はある。

その新自由クラブから都議会議員になったのが、
政治家として初めて支持した
山田宏氏である(過去の話です)。

二大政党制なんて制度を知らない頃から、
保守から保守への政権交代があればいいと思っていた。
最初のチャンスは非自民非共産の細川内閣。
総理は自民党出身だったが、
社会党が足を引っ張った。
次は民主党政権。
鳩山総理も自民党出身。小沢幹事長も自民党出身。
なんとかなるだろうと思っていたら、
とんでもなく左に傾いていく。

政権や政治家は、緊張感が必要だ。
馬鹿な政策が続けば、
落選するかもしれない。
下野するかもしれない。
だから、支持してもらうために
国民のための政治をしようと努力する。
そのスキームが
日本は全くもって効いていない。

コロナ禍の最初の一年は、確かに未知のウイルスとの戦いだった。
しかし2年目は違う。いろんな経験もエビデンスも
海外からの情報もあった。
しかし、政府は私権制限と人流抑制に終始した。
協力金をもらって儲かった店舗もあるし、
辞める必要のないタイミングで、
破産した店舗や企業もあるだろう。

新型コロナさえ流行しなければ、
だけではなく、
政府の政策が感情論で成り立ってなければ
という後悔だ。
「やっている感」の犠牲者だ。

私はたまたま最後のワンチャンスがあった。
それも政府の政策に一部救われた部分があるので感謝している。
ただ、それすらなかった人たちは、
今どうしているのか。
すべてを失って、半ば強制的にリセットされて、
何を考えているのか。
怒りをどこにぶつければいいのか。
それは当然ながら政権与党に向けられるべきだ。

第6波の中の奈良県に注目していた。
奈良は蔓延防止措置をとらなかった県だ。
県知事が、蔓延防止措置で飲食店の営業時間を短縮させても判断。
日常の継続のまま第6波を凌いだ。

結果は、宣言出してる他県に比べて増加率が若干高めだったらしいが、
与える経済的ダメージ考えたら
まったくもって気にするほどの増加ではなかったらしい。

新型コロナには、人流抑制や私権制限はあまり関係がない。
そういうデータが一つ確立された。
また、ワクチン3回目摂取も進められているが、
重症化は防げても、感染が防げない。

どれだけデータが示しても、政治は感情で動いてしまい、
国民感情に左右された政府や政治家が
責任も取らず感情で決める。
その感情論に人生や左右される。
それでいいのだろうか?

あれだけ騒いだコロナ報道も、
ウクライナ侵攻が始まったら影も形もない。
それだけのニュース、それだの国難だったということか。

感情論で決めた責任をとってほしい。
それで倒産した会社はどうなるのだ?
それで従業員を全員解雇した会社はどうなるのだ?

責任を追及されない政治など必要ない。
常に落選と下野がある、
右から右への政権交代がある日本になってほしい。

いやならなければならない。
能力のない与党は下野させられるシステム。
弱いものが、力のあるもの感情だけで淘汰されるなんてあり得ない。
私が7歳の時から考えていた、
保守から保守への政権交代。

1976年。七歳の時からの、私の政治信条だ。


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