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福沢諭吉「中津留別の書」後半~日本の独立のため洋学を学ぶべし

こんばんは
子ども(3か月)の脂漏性湿疹がひどいのと、お食い初め前で何かと忙しく、ちょっとペースがかつかつでございます。
こちらの記事の続きとなります。

要約

親への孝行は大切だが、子どもは親の道具ではなく、父母が力を合わせて大切に教育しなければならない。成人したら、独立の生計を営ませ、自由にさせるべきである。西洋の書に子どもが生まれて成人になったら父母たるものは子どもに忠告すべきだが命令すべきではないとある。これは金言だ。

父母の中には子を愛しながらも、ただひたすら自分が望む道へと子どもを歩ませようとする親がいる。これは子の愛し方を間違っているのであり、結局は子どもを無智無徳に陥らせる。家畜への愛と言っても過言ではない。

人々は財産を守るために法を作り、政府に政治を任せるのである。一国の政治は最も難しい仕事であり、それにあたる君主や官僚は高い報酬を受け取るべきで、それをうらやんではならない。

以上は、人間交際の大まかなあらましである。ここだけでは書ききれず、これらを学ぶには日本だけでなく、世界各国の書物を読まなければならない。

現在日本は外国との貿易が始まり、外国人の中には不正を働く者がいて日本を貧しくし、日本国民を愚かにして自分の利益を得ようとする者も多い。日本の独立を守っていくためにもただ洋学を学ぶことが急務であることを主張する理由である。

現代語訳

 親に孝行することは当然のことである。ただ一心に自分の親だと思い、余念なく孝行を尽くすべきである。「3年父母の懐に抱かれる生活をしたら、3年喪に服す」(論語に出てくる言葉)というのは、ただの数字上の計算で、あまりに薄情ではないだろうか?
 世間では、子どもが親に孝行していないのは咎めるが、父母が子どもを愛さないのを非難する者は稀である。人の父母たる者、その子どもに対して、自分が産んだ子であると唱え、手で作ったか、金で買った道具などのように思うのは大いなる勘違いである。子どもは天から人に授かった賜物なのだからこれを大切にしなければならない。子どもが生まれれば父母が力を合わせて教育し、10歳ちょっとまでは親の手元に置き、両親の威光と慈愛によって良い方に導き、学問の下地ができれば学校に入れて師匠の教えを受けさせ、1人前の人間にするのが父母の役目であり、天に対しての奉公である。子どもの年齢が21・22までになれば、成人であり自分で考えることもできるので、父母はこれを棄てて顧みず、独立の生計を営ませ、行きたいところにいかせ、やりたいことをやらせてよろしい。
 ただし親子の道は、生きている間も死後も変わるべきではないので、子どもは孝行をつくし、親は慈愛を失ってはいけない。前述した「棄てて顧みず」とは、父子の間柄でもその独立自由を妨げてはならないという意味のみである。西洋の書に、子どもが生まれて成人になったら父母たるものは子どもに忠告すべきだが命令すべきではないとある。いつの時代も変わらない金言であると思う。

 父母の性格が正常で、子を愛しているが、物事の目的をわきまえず、ただひたすら自分が望む道へと子どもを入れさせようする者がいる。これは罪がないように見えるが、実際は子を愛するを知りながら子を愛するあり方を知らない者というべきだ結局のところその子を無智無徳の不幸に陥れ、天理人道に背く罪人である。人の父母としてその子が病気がちなのを心配しない者はいない。心が人として未発達なのは体の一部に障害があるより男ことなのに、身体の病は心配し心の病は心配しないのはなぜか?このような愛は家畜の愛と名付けても問題ない。

 人の心が同じではないのはその顔が異なるのとおなじである。世の中が発展するにしたがい、悪い輩も徐々に増え、平民一人ひとりの力では安全を確保して財産を守るのには不十分である。そこで一国の人々が代表者を設けて、全体の便不便を考慮して政治の仕組みをつくり、勧善懲悪の法律が初めて世の中で機能する。国の安全を保ち、他の軽侮を防ぐためには欠くことができないものである。

 およそ世の中の仕事は種類が多いと言えども、国の政治ほど難しいものはない。骨を折る者は報酬をもらうべき道理なれば、仕事が難しいほど報酬も大きくなるはずである。ゆえに政府の下で政治の恩恵を被る者は、君主や官僚の給料が多く見えてもこれをうらやむべきではない。政府の法律が正しければその給料は安いものである。また、うらやまないだけでなく、その人を尊敬しなければならない。ただし君主も官僚たる者も働かざる者食うべからずということを忘れず、自分の労力と給料が釣り合っているかを考えなければならない。これはつまるところ君臣の義というものだろうか。

 今まで述べてきたのは人間交際のおおよそのあらましである。詳細は2・3枚の紙に書ききれない。それらを理解するためには必ず書物を読まなければならない。書物を読むとは、日本の書物だけでなく、中国・インド・西洋諸国の書物も読まなければならない。このごろ世間では、皇学・漢学・洋学などといい、各自が学問の流派を作り、たがいに誹謗しあっているがもってのほかのことである。学問はただ紙に書いてある文字を読むことであまり難しいことではない。学問の流派の優劣を議論することは、まずは文字を学んだあとからの話なので、最初から空論に時間を費やすのは無駄である。人間の智恵をもってして、日本・中国・英仏など、わずか2・3か国語を学ぶのは大変なことではない。卑怯にもその文字を知らずして、自分が知らない学問を誹謗するとは男子として恥ずべきことではないだろうか。学問をするには学問の流派の優劣よりも日本の利害を考えなければならない。

 現在日本は外国との貿易が始まり、外国人の中には不正を働く者がいて日本を貧しくし、日本国民を愚かにして自分の利益を得ようとする者も多い。ならば今、日本人が皇学・漢学などを唱え、古風を慕い新しいことを喜ばず、世界に通ぜず、自ら貧愚に陥ることこそ外国人の得である。彼らの策の思い通りになっている者というべきだ。

 このような時世で日本人が学んで、外国人が嫌がるのは西洋の学問だけである。ひろく世界の書物を読んで世界の事情に通じ、国際法をもって国際政治を語り、国内では智徳を修めて人々の独立自由をたくましくし、対外的には国際法を守り一国の独立を輝かして、初めて真の大日本国ではないだろうか。これが私が皇・漢・洋三つの学問の優劣を問わず、ただ洋学を学ぶことが急務であることを主張する理由である。

 願わくば故郷の中津の人々も今から目を開き、洋学を学び、働いて自活し、人の自由を妨げないで自分の自由を獲得し、徳を修めて智識を開き、もったいぶる心を捨てて、家内安全、天下富強のための趣旨を理解してほしい故郷を思わない人がいようか、誰が旧知の幸福を祈らない者がいようか。忙しい中、諸君の参考のために西洋の書物に書かれている大まかな内容を書き記した。

考えたこと

① 子どもは親の所有物ではない

親が敷いたレール(道)に無理やり子どもを入れさせようとする親の愛を福沢は家畜の愛と同じだと非難しています。これは現代でも通ずる問題です。子どもを自分の所有物またはペットのように扱う親はいます。例え子どもを愛していたとしてもそこには尊重がありません。尊重無き愛は支配へと変わってゆがんだものになっていきます。こどもの成長とともに親子の関係も成長していかなければなりません。福沢は西洋の書から「子どもが生まれて成人になったら、父母たるものは子どもに忠告すべきだが命令すべきではない」ということばを金言として紹介しています。私としては大人になる前の思春期の頃からこのような態度を親は大切にしてその子の自立心を養っていってほしいと思います。

②日本の独立のために洋学を学ぶべし

 当時の世界情勢はイギリスやフランスなど欧米列強が文明がないと判断した各地を植民地化していた時代でした。中国や日本は文明があること自体は認められつつも、西洋の様な人権を守る仕組みがない半文明国として位置づけられ、いつ清のように領土を奪われてもおかしくなく、最悪の場合には植民地化の危険性もある国際的地位でした。
 あまり一般的に福沢のイメージでは語られないのですが、福沢が学問(洋学・実学)をすすめた最大の目的は「日本の独立」を守るためでした。それを端的に表した言葉が「一身独立して一国独立す」です。そして一身の独立のために必要と彼が考えたのが学問だったわけです。

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