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第61弾「ホライゾン」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

61曲目はこれ。ホライゾン。中学校の英語の教科書が「ニュー・ホライズン」って名前だった。あたし、英語は大好きで、テストも100点を取れたんだけど、英語の先生が「お前は授業態度が悪いから」って、五段階評価で『四』をつけてきたの。テスト、全部、100点だったのに。多分、あれからだと思う。あたしが、決定的に学校を憎むようになったのは。それ以来、あたしにとって学校は『楯突く力を学ぶ場所』という設定に、なりました。

「ホライゾン」 作詞・作曲 Keigo Sakatsume

カモン! 俺の中にいるらしい 眠れる獅子
カモン! 蹴飛ばしてしまえばいい 見飽きた指針

音楽がハートを 突き抜けて 焦がした
中身は からっぽの 宝箱さ

カモン! 君の中にいるらしい 眠れる獅子
カモン! 見せつけてやればいい 大風呂敷

息切らしながらも 生き急いでたんだろう
あの世で ゆっくりと 眠れりゃあ いい

Just Love your start of lives, end of lives
All of the breathes I have taken so far

置き去りにしてきた ものを迎えに

花も 月も 鳥も 涙も
俺を 応援している 仲間(もの)らしい
だから ハロー まだ 聞こえるだろう?

カモン! この星にあるらしい 眠れる宝石(いし)
カモン! 夢にまであらわれた おとぎ話

ふと さみしくなる ふと おかしくなる
ぬくもりを知っているから なんだろう?

Just love your first kiss, final kiss
All of the kisses I have given so far

待ち焦がれてきた ものを探しに

花も 月も 鳥も 涙も 
俺に 共存している 仲間(もの)らしい
だから ハロー まだ うたえるだろう?

Just love your first kiss, final kiss
All of the kisses I have given so far

踏みつけられてきた ものと 一緒に

花も 月も 鳥も 涙も
俺を 応援している 仲間(もの)らしい
だから ハロー まだ 聞こえるだろう?

Just live your start of lives, end of lives
All of the breathes I have taken so far

きっと またあえるよね ぼくの神様

花も 月も 鳥も 涙も
俺も 君も 夢も 愛も 全部
忘れ 去ろう そして ハロー 行くぜ ホライゾン

※※※ 動画では歌詞をすごい間違えています ※※※

よし!曲ができた!noteに記事を書こう!家は集中できないから、そうだ、ドトールに行こう!そう思って、いま、ドトールに来ました。が、店内激混みで、めちゃめちゃ狭い席に、おじさんとおじいさんに挟まれています。隣のおじさん(推定45歳)は、ずっとため息をついてる。失業中なのかな???という感じの、絶望的な暗さを醸し出しています。灰色のTシャツに、よれよれのジーンズ。暗い人は、暗い服を好む。隣のおじいちゃん(推定65歳)は、ずっとスマホゲームをしている。貧乏ゆすりをしながら。結構、絶望的な状態。あたしは、周囲の影響をもろに受けるから、やばい。

本当は、才能の話と、夢の話を、書きたかった。才能って、もって生まれた能力っていうより「やめないこと」だと、思うの。よく、才能ある人の例としてイチローの名前があがるけど、でも、絶対、彼自身は半端ない努力をしていると思うの。彼のことを「才能があるからすごい」って言うのは簡単だけど、でも、毎日彼がやっていることを目の当たりにしたら、絶対、才能なんて軽々しい言葉で、括ることはできないと思う。彼の技術は、彼の力は、相当な練習量と、相当な思考の蓄積によって、支えられているのだと思う。

イチローの例を出すの、やめる。自分の話をする。あたし、たまに「それは坂爪さんだからできたんだ」とか、言われるの。これ、すごい、腹が立つのよ。俺がどれだけやっているのか、お前、どれだけわかってんのか。って。生まれた時からできたわけじゃねえよ。最初は、みんなど素人なんだよ。それを、才能を言い訳にやるとかやらないとか、決めるんじゃねえよ。毎回絶命して、毎回再生しているんだよ。失敗の数をなめんじゃねえよ。俺がどれだけ失敗していると思っているんだよ。一度や二度の失敗で、簡単に諦めてしまうくらいなら、お前は、もう、なんにもやらなくていいよ。そのまま死ねばいいよ。とか、ひどいときは、それくらいのことを、思っちゃうのよ。

なにかをやるってことは、なにかを捨てるってことだと思う。あるひとに言われたの。そんなに頑張らないで、もっと、女の子と遊ぶとか、酒とか、旅行に行くとかすればいいのに。って。言いたいことはわかる。もちろん、気晴らしは大切だと思う。でも、やっぱり、あたしは「そっちに幸せがある」とは、思えない。音楽をやることで、日常的な娯楽とか、世間的な幸福からは、遠く離れている感覚を覚える。ひとと同じであることが幸せなら、あたしは、確実に不幸だと思う。でも、やっぱり、自分にとっては「音楽をやり続けること」のなかに、代替することのできない『喜び』を、感じている。

イチローも、フジ子・ヘミングも、同じだと思う。みんなと同じであることが、幸せと言われていることが、必ずしも自分にとっての幸せになるとは、限らない。これは登山に似ている。登山家は、苦しい思いをしながら、山を登る。でも、それは、頂上に到着するときの喜びがあるから。電車やモノレールで目的地につくこととは、まったく別物の、苦楽を味わいながら『自分の足で』たどり着くことのなかに、最高のよろこびを覚える。その途中で、苦しい思いをすることは避けられない。避けられないと言うか、苦しい思いがあるからこそ、到着できたときのよろこびは、言葉にならないほど、大きい。もっと遊べばいいのにと言われても、それは、登山家に「モノレールで山頂に行けばいいのに」って言うのと、似ている。なんだか、何かが違う。

昔は自分に響いていた言葉が、もう、いまの自分には響かない。それは、多分、年齢を重ねるなかで「こいつが言っている言葉は、本人の体験に裏づいているのか、ただの付け焼き刃なのか」が、感覚的にわかるようになったからだと思う。安全圏からなにを言われても、実際に闘っている人間には、決して届かない言葉がある。いま、あたしの胸を震わせる言葉は、実際に闘っている人間の言葉。実際に血を流している人間の言葉。自分の足で歩き、苦楽を味わいながら、自分なりの『山頂からの風景』を目撃した人間の言葉。目撃するために、日々を一生懸命に生きている人間の、言葉。それだけよ。

学校の先生を嫌いになった理由は、彼らが、止まっているから。なにかあるとすぐに教えたがる人間は、大概、止まっている。本物ほど、自分は誰かになにかを教えるに値する人間だろうかという疑問を、常に抱く。誰かに教えるより先に、自分の道を極める方が大事であろうと、必ず、前を向く姿勢を感じさせる。あたしが通った学校の先生に、この「進み続ける姿勢」を感じる人間は、限りなくゼロに近かった。ひとりだけ、国語の教師で「こいつは!」と思う男がいた。彼の授業には、気迫があった。だから、あたしも、必死で喰らいついた。あの時間は、素敵で、素晴らしいものだったと思う。

なぜ、国語の教師に迫力を感じたのか。それを知りたくて、あたしは国語教師に接近した。あなたの授業に迫力を感じるのだが、普段、どんな生活をしているのか。あたしは尋ねた。すると、彼は「俺は俳句をやっている」と答えた。続けて「俺は詩人になりたいんだ。毎月賞に応募をしているが、まだ、日の目を見ることができず悔しい」と話した。そう。彼は闘う男だったのよ。あたしは、妙に、納得した。彼の迫力の原因を、垣間見た気がした。

ほとんどの教師の記憶はなくなったけれど、彼のことだけは、いまだに覚えているのよ。別に、彼が優しかったとかはないの。別に、彼が特段あたしをかわいがってくれた、とかもないの。授業が面白かったわけでも、生徒から人気があったわけでもない。ただ、彼だけは、闘い続けていた。そのことが、いま、34歳になったあたしの中で、脈々と生き続けている。これが、教師だと思う。一方的に教えるというより、共に、闘う。その、先陣を切る。闘う姿を見せてくれる。これは、父性に近いかもしれない。真の教師は、生徒の心の中で、脈々と生き続ける。これは、夢も同じことだと思う。

誰かが夢を追う。夢を追うその姿が、見る人の心に焼きつく。情熱が広がって、よし、俺も!と、なる。あたしは天邪鬼な人間だから、頑張れって言われても「お前よりは頑張っとるわ!ボケ!」とか、すぐ、思っちゃう。でも、頑張れって口先で言われるんじゃなくて、実際に、死ぬほど頑張っている人間を目撃すると、うおおお、やべええ、みたいな感じになって、勝手に「俺も頑張ろう」という気持ちになる。言葉じゃないのよ。行動なのよ。行動があるからこそ、裏打ちをする体験があるからこそ、言葉が生きるのよ。

男なら、生涯に一度は、自分の夢を追いかけたい。追いかけて、追いかけて、ようやく地平線の先に到着できたと思ったら、また、目の前に広がるのは「新しい地平線」なのだと思う。夢を実現することは不可能でも、夢を追いかけることなら、いま、この瞬間からはじめることができる。どうせ追いかけるなら、簡単に実現できる夢よりも、生きている間に達成できないとしても、自分が生きた痕跡を見た人々が「よし、俺も!」と思えるような、自分の命が終わっても、誰かの心の中で延々と生き続けるような、そういう夢を見たいと思う。命に終わりはあるが、地平線に終わりはない。なにかを成し遂げることが成功の定義だとしたら、自分は、完全なる負け組になるのかもしれない。でも、なにかを追い続けることが成功の定義だとしたら、あたしは、自分のことを「勝ち組だな」って、思う。実現できるかどうかより、追い続けることが、幸せなんじゃないのかな、と、あたしは思っています。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

6月2日(日)15時~17時@千葉県千葉市「N-HOTEL」

6月9日(日)17時~20時頃@大阪市北新地「Candy」

非常にありがたいことに、イベント出演のお誘いをいただきました。当日は、みなさまとお話をしながら数曲披露させていただくような、そんな感じで進みます。是非、生けいごちゃんの波動をリアルで感じてください。この前、過去に数回お会いした女性から「坂爪さんと会うと、必ずそのあとにいいことがあるから、私の中では『坂爪大明神』ということになってます!」くらいのことは、言われているのよ。とかなんとか、こういうことを書くと宗教っぽいから、やばいわね。まあ、いいや。だって、ホントなんだもん。

みんな、遊びに来てねー!ぴょえー!


バッチ来い人類!うおおおおお〜!