お手紙屋さん

《お手紙屋さん》という変わったお仕事をしています。詳しくは検索してみてください。 no…

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《お手紙屋さん》という変わったお仕事をしています。詳しくは検索してみてください。 noteではひとり言を書いたり、相談をコメントでいただいたらそれに答えたりします。 または「こんなの書いて!」というのがあったら教えてください。善処します。

最近の記事

【ブラック企業に勤めていた話 2】

※前回の投稿の続きになります。読んでいない人は前回を読んでみてください。 タイトル《南の風 風力3》 さて、2泊3日の洗脳のための素敵な研修も終わり、いよいよ仕事が始まりました。 僕の職場は入社した社員の半分以上が1ヵ月で辞めるという噂の職場でした。 結果から言うと、半分どころじゃなかったです。 僕の同期は12人いましたが、一ヵ月で4人になりました。 仕事は転職サイトなどのいわゆる求人広告を売る仕事でした。 朝は大声で「朝から元気よく体操行きまーす!」と大声で上司が叫び、屈伸

    • 【ブラック企業に勤めていた話】

      僕は28歳の頃に営業のスキルを身に着けたくて、東京の営業の会社に転職しました。あえてブラック企業に勤めたくて、その世界では有名なブラック企業を選びました。 面接では「その歳で転職とか遅くない?」とか否定的な事を言ってきます。ブラック企業っぽいですね。「年齢なんてただの数字なんで」と答えました。「この100円のボールペンを僕に10000円で売ってみて」と言われたので、タレントで誰が好きなのかを聞き出し「実は、その大島優子さんがトイレに入る時もお風呂に入る時もずっと握っていたボー

      • あなたにとって花は何ですか

        花屋の仕事をしている人から、 「(あなたにとって)花って何ですか?」 って聞かれたんでココに書き残します。 花は『美の象徴』だと思う。 僕は花が咲き散るさまに、生への甘美さと死の儚さを感じる。 特に日本人は昔から、うつろうものや、儚いものに美しさを感じていたので、 桜や沙羅双樹など、散るさまが美しい花に特別な美しさを感じているふしがある。 だから花は『生と死の象徴』でもある。 そしてもう一つ、花は『共生の象徴』でもある。 人にとって花は、主な食べ物にもならず、衣服の素材に

        • 『うんざり』した桜

          変な話するんだけど、 僕は数年に一度ぐらいは桜の名所とかに行く。 で、どうもそこの桜って『うんざり』している。 桜がうんざりしているの、お花見という形式に。 上野の桜なんて、お花見に来る人がたくさんいて、最高にうんざりしているように見えた。 そもそも何でお花見といえば桜なのかもイマイチ僕には分かっていない。 いや、分からないこともないんだけど。 でもとりあえず菜の花や沙羅双樹じゃなく、はるか昔からお花見と言えば桜となっている。 で、それを誰も不思議に思わない。 なんせ『そうゆ

        【ブラック企業に勤めていた話 2】

          嫌なことはたくさんある

          僕はいわゆる【起業家】と呼ばれ(あんまり好きな呼ばれかたではない)、 周りの人には「すごいね!」「憧れる!」なんて言葉もいただくけれど、 実際はそんなに憧れるようなものでもないし、 すごくも何ともないです。 僕はただ、 自分がやりたいと思ったことがこの世に仕事として用意されていなかったから作っただけです。必要だと思ったものがなかったから作ったんです。 意外と単純なヤツなんです。すごくなんかないです。 それに、起業家なんて憧れるようなものでもないかなと。 例えば僕なんかの場合

          嫌なことはたくさんある

          悲しいことは意味あるプラス

          何もないまま、ゼロで終わる人生もあれば、 何かにぶち当たって砕けて、結局、何も残らなかったゼロという人生もありえる。 でも【±0】と【ずっと0】では、 人生の深みがきっと違う。 【ビジネス】では実績が必要だからゼロを許さないのが当然なのは分かるけど、 【人生】というカテゴリーにだけは、ゼロを許してあげてもいいかなと。 だから考えようによっては【±0】って、けっこういい言葉かもしれない。 例えば、いいことがあったらもちろん+(プラス)だけど、 それを誰かに分け与える機会を

          悲しいことは意味あるプラス

          壊れたものを直すのは難しい

          そりゃー何かに向けて走っていたら何かにぶつかったりもする訳で、我慢できる痛みもあれば我慢できない痛みもあって。中には、かなり痛いけど走り続けるしかないから、痛みに気づかないフリをして、周りには平気なフリをして、精一杯の笑顔を作ってみせ、自分は強いんだと言い聞かせて、何でもできちゃう自分を演じたりもして、とにかく進まなきゃって時もある。心の端っこの方では、そんな頑張っている自分に誰か一人ぐらいは気づいてくれないかな、なんてカッコ悪い考えもあるけど、それを表に出してやっちゃうと本

          壊れたものを直すのは難しい

          仕事について

          基本的には 《やりがい》《成長》 みたいなものを【仕事】に求めるしかない社会やその考えがチャーミングじゃない気がしていて、出来る限り少ない時間で生活に充分な糧を得て、残った時間で 【やりたいこと】 をやって、その中で《やりがい》なり《成長性》を求めていった社会の方が自由で豊かな人生になっていくと思う。 仕事にはならない【やりたいこと】の方が多い訳だし。 そもそも仕事とは何かって考えると、 まず第一に自分が生計を立てていくための手段であって、やりがいとか成長性とかって二の次で

          仕事について

          今を生きる?

          『今を生きる』とかって言うけど、 実際それってどうやるんだろう?と。。。 去年旅行に行った時に、綺麗な太陽を海で見てね、 年甲斐もなく子供のように、太陽めがけて石を友達と投げたりした。 その間は確かに夢中で【今】を生きていたし、 【今】を楽しんでいた。 でも、誰かにこの景色を写真で見せようとポケットから携帯を取り出して撮ろうとした瞬間にそれは消えてしまった。 【今】はココにないなって。 もしかしたら、 何かしようと考えたり、 動いている時はもはや心は【過去】か【未来】のどち

          今を生きる?

          読書は世界と繋がれる

          僕は読書が好きです。 読書って、突き詰めていくと、 【孤独の喜び】だと思う。 そして、誰とでも出会えるという事。 人は誰しも孤独だし、人は独りでは生きていけない。 矛盾しているけど、どちらも本当だと思う。 書物というのは、この矛盾がそのまま形になったメディアかなと。 読書という行為は孤独を強いるけど、独りではなしえない。 本を開いた瞬間から、そこには送り手と受け手がいて、 最後のページまで双方の共同作業が続いていく。 本は与えられても、読書は与えられない。 読書は限りなく能動

          読書は世界と繋がれる