見出し画像

『うんざり』した桜

変な話するんだけど、
僕は数年に一度ぐらいは桜の名所とかに行く。
で、どうもそこの桜って『うんざり』している。
桜がうんざりしているの、お花見という形式に。
上野の桜なんて、お花見に来る人がたくさんいて、最高にうんざりしているように見えた。
そもそも何でお花見といえば桜なのかもイマイチ僕には分かっていない。
いや、分からないこともないんだけど。
でもとりあえず菜の花や沙羅双樹じゃなく、はるか昔からお花見と言えば桜となっている。
で、それを誰も不思議に思わない。
なんせ『そうゆうことになっている』から。
そんな今の花見はちょっと異常な気がしている。

だけど近所の公園でおじいちゃんとおばあちゃんが、
ベンチに座って水筒のお茶を飲みながら桜をしみじみ見ていたりするのを見ると、
「こういうちゃんとしたお花見もあるんだな」
って嬉しくなります。
そしてそうゆう名所でもない桜って『うんざり』していない。
何だか新鮮。
お花見以外でもそうなんだけど、
僕はほとんどの『そうゆうことになっている』には『うんざり』しているから、
これからもうんざりしていない桜や花を見に行こうと思う。

ほんと、感覚的な話しで申し訳ないけど何となく分かる人もいるはず。
では。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?