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BIG I(仮)に代わるネーミングを考えてください!

前回の記事では小説『1984年』と対比して、敬語の世界観を述べました。

そこでは、自己の言動は権力の管理者であるBIG BROTHERに見張られるのではなくいわばBIG Iが自己の言動を見張りコントロールするのだと書きました。
それにしてもBIGIという言葉が少々ぴったりしませんよね。何か、言葉を見ればイメージが湧くような、適切なネーミングを考えていただけないだろうかというのが、今回の記事の目的です。

BIGI(仮)で表現したいもの

超自我とちょっと似てるけど違う

超自我もBIGIも今はこのように言動すべきという指示を自身に下します。
超自我とはフロイトの考えた心理機能の一つで、自身の言動や思考を検閲するものです。例えば、親を憎いと実は思っていても、この検閲機能によって気付くことすらないということが起こり得ます。

かたやBIGI(仮)では、そのような検閲機能はなく、むしろ自身の心に沸き起こるさまざまな思いも、自分の外界にあるさまざまな事柄もすべて受け入れます。

また超自我が、親をはじめとする重要な養育者によって形成されたものであることが多いのにに対し、BIGIは自身の目的に沿って言動を指示します。

良心ともちょっと違う

人は、悪いことをしようとすると、良心が痛みます。
自分を責めたり、相手をかわいそうに思ったりします。
BIGIも、当然ながら悪いことを推奨することはありません。ただし、悪いが何を指すのかが違います。
良心は個々人によって異なります。ある人にとっては良いことが、ある人にとっては悪いことかもしれません。また、対象が好きな人の場合は良心が痛んでも、自分を傷つけた相手が対象なら良心は反応しないかもしれません。
BIGIが戒める悪とは、その場の目的に反する行為や目的を達成するための組織を弱体化させる行為であり、善はその逆です。そして、その場の目的がより大きな場の目的に沿っていることが前提です。例えば会社であれば、その会社が何らかの形で社会の役に立っているということです。加えてその場は自分で選んだ場ですから、場の目的に反することは自身のためにもなりません。
これを昔の人は「三方良し」と言いました。

自分も周囲もなるべく幸せになれたらいいなぁと努力する主体

このように、自身の目的と周囲の目的を寄り添わせながら達成していくために自身の言動をコントロールするのがBIGIですが、それは超自我とも良心とも違います。
何かぴったりのネーミングを考えていただけませんでしょうか。

コピーが得意な方だけでなく、この文章を読んで閃いた方がいらしたら、ぜひご協力をお願いしますm(__)m

ミニチュア・クリエーター 工房てるとさんより頂戴した花器にへびいちごを指してみました。
道端にあればただの雑草ですが、こうやって生ければなかなかにかわいらしいではありませんか。
てるとさんも、、、BIG BROTHERに代わるネーミング、待ってます!
・・・もし、よろしければ、です💦

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