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SF『1984年』が現実化している今、敬語は何の役に立つのか
何度か私の記事を読んだことのある方なら、私が敬語を単なるビジネスマナーや守らなければならない決まり事として見ているわけではないと気づいていらっしゃるのではないでしょうか。
もちろん文法ですから、ルールはあります。
その文法をメインに扱う敬語マガジンと、その他の言葉や態度まで含めて敬意を伝えることをメインに扱うのがコールセンターマガジンです。
車を運転するためには、試験に合格する必要がありますが、筆記試験だけで免許証を交付するわけにはいきません。交通ルールや標識の意味が理解できるのは前提で、実際には、それを踏まえて一般道を、事故やトラブルを起こすことなく車両を扱い、人や荷物を目的地まで運ばなければならないのです。
敬語も同じです。文法が筆記試験なら、職場や公共の場で、一部の人を暴力的に支配するという手段から離れ、なるべくトラブルが起きないように人と協力しながら目的を達成するための方法が相互尊重であり、それをいつも忘れないようにするための言葉遣いが敬語です。
車が人を傷つけることがあるように、敬語も使い方によっては尊重とは逆の結果をもたらします。だからそうならないように、何のためにこの敬語を使うのか、今、誰が尊重されなければならないのか、それらが大切です。
人間は言葉でものを理解し考えを深めます。ジョージオーウェルの小説『1984年』では、行動は監視され、自分の考えは否定され、言葉は制限されます。
一方の敬語は、自己表現であると同時に人と距離を取り内面の自由を守ります。人々がこの敬語を使うことで、『1984年』とは逆の世界になるのではないか。BIG BROTHERに見張られるのではなく、自身の感情や考えのほかその時々の思いや様々な欲望など、自身の中のいろんな要素を受け止めたうえでまとめるBIG Iが自身を見張る。だから行動は自己実現のために取られる。自身が受け止めたその要素の中には、他者との関係も含まれているので、いつも調和とはいかなくても適うなら調和を目指す。そうなったらいいなと夢見ているのです。
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それでは、また。
世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。