なぜクレームでないものをクレームにしてしまうのか~二元論への飛躍
先週は、クレームではないものを対応側がクレームにしてしまうのは、一つに過去のトラウマの影響があるという話をしました。
今回は、他の要因として考えられるものについて説明します。
曖昧さへの耐性
確かに想定外の質問にはクレームが潜んでいることもあります。
だから、クレームかもしれないしクレームではないかもしれないという曖昧な状態の中で、客の要望と心情を見極めなければなりません。
しかし、曖昧な状態というのは人によっては不安であり、曖昧なものを曖昧なままにしておくということに耐えられないのです。
安易な二元論
曖昧さに耐えられないと、【普通の質問ではない】=【クレームである】と飛躍することになります。
相手がクレーマーとなれば、撃退するか敗北するかしかなくなります。
(つまり、戦闘モードに切り替えた状態から、接客対応が始まります)
戦闘モードの人間が近寄ってきたら、人はどう対応するでしょう。
逃げるが勝ちとばかりにさっさと謝って「はぁ、ヤバい奴と関わり合うところだった」と胸をなでおろすか、売られた喧嘩なら買うぞとばかりに声を荒げるかのどちらかですよね。
客として連絡してきたのに、企業の対応に触れて「あぁ、この人は、私に転移(※)しているな。その人と私は別人であるということを分かってもらうところから始めよう」なんてことは、よほど奇特な人でない限り、カウンセラーだってやりません。
※転移とは、重要な他者(多くは父母、ここではトラウマの元となったクレーマー)へ向けるべき感情を別の人へ向けること
思い込みは自己成就し、強化されていく
客である相手に謝らせて勝利に酔うか、
それとも敗北して通常以上のお詫びの品を送らざるを得なくなるか、、、。
どちらにしても相手はやはりクレーマーだったという結論が確認されます。
そして、自分が相手に対してクレーマーであるように仕向けたにも関わらず、「想定外の質問(=変な質問)をしてくる奴はクレーマーに決まっている」という思い込みが強化されるという悪循環が続きます。
個人の中の思い込みとは限らない
恐ろしいことに、これは個人レベルで起こるとは限りません。
例えばその部署の責任者が既にトラウマの持ち主で、「想定外の質問をしてくるのはクレーマー」という思い込みをしていたら、その思い込みに則って教育が行われます。
つまり、自分ではまだ経験もしていないうちから、トラウマに基づいたものの見方だけを植え付けられるのです。
本来は、対応する側こそ「お客さまは過去に同様の嫌な思いをされたことがあるのかもしれないな」と思いやり、その再現にならないように注意しなければならないはずなのに、です。
いかがですか。
もちろん中には本物のクレーマーもいるでしょう。でも、「クレームが多いなぁ」と思うなら、自分のトラウマではないか、誰かに植え付けられたものの見方ではないか、振り返ってみてもいいかもしれませんね。
本稿でコールセンターマガジンの記事は年内最後です。
私の記事を読んでくださった皆様、一年間ありがとうございました。
年明け最初の記事は、1週お休みして1月11日(水)です。ミニチュア・クリエーター 工房てると様より頂戴した体験談をもとに、私なりの対応をお伝えしたいと思います。
来年もよろしくお願いいたします。
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