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GKスクールを始めたきっかけは3つある。

GKスクールをはじめたきっかけ①


私は元々は保健体育科の高校の先生だった。

この期間に本当に本当にたくさんの事を教えてもらった。

生徒を配慮する考え方、反対にそれでもこちらの意見を通さないといけない事もあった。

生徒を信頼しては裏切られまた信頼しては裏切られの連続。

それでも毎日が充実していたのは間違いない。

ブラックと最近では話題が絶えない教育現場だが

たまに戻りたいなと思う時もあるくらいだ。

しかし間違いなく問題点はあった。

私が感じていた問題点は

生徒が学校に行きたいと心から思って来ていない点にあった。

USJには行きたいしディズニーランドには行きたいが学校には行きたくない。

でもなんとなく行かないといけないモノだから行く。

強いていうのなら部活動が楽しいから学校に行くくらいだろう。

ここに大きな疑問を持った。

かくいう私自身も記憶に残っている授業などはない。

あるのは血反吐を吐く思いだったサッカー部の活動くらいである。

もちろん私みたいな生徒が全てではない。

学校の授業が楽しいから学校に来ている生徒も少なからずいるだろう。

学校に行きたい生徒と行きたくない生徒の

「何」がこの差を作るのか。

それは自分のかける時間に対しての「必要性」を感じているか、否かである。

国語の先生に将来なりたい生徒は国語の授業は真剣に聞くだろう。

私自身プロサッカー選手になれなければ体育教師になることは決めていた。

だからどんなに辛いサッカー部も体育の授業もきちんと取り組んでいた。

ここで考えて見て欲しいことがある。

いま自分が必要としていることに熱中させてもらえる時間はいくらあるだろうか?

たった1コマ1時間の50分か?

ない日もあるかもしれない。

強制的に教育という呪縛をかけ生徒を拘束している気がしてならなかった。

私が体育の授業で走らせまくっている美術部の生徒は一体どんな気持ちなのか?

それなら同じ時間と労力を美術の時間にあて、筆を走らせていることの方がよっぽどその生徒のためになるのではないかと感じていた。

教育というモノと自分の考えに対する「ズレ」が今の私を作っている。

私がGKスクールをはじめたきっかけ1つ目は「自分の考えと教育の矛盾」

多くの人に届けば幸いです。

次回はきっかけの2つ目に行きたいと思います。



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