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『リトル・フォレスト 夏・秋(2014)& 冬・春(2015)』を観ました。

「自然の中で育てたり収穫したりした野菜とかを、橋本愛さんが料理して食べる」そういう作品です。
それはそれであっても、なにかドラマチックな展開があって、思わず涙してしまうお話なんではないかという方もおられるかもしれないが、そういうものはないです。念のためもう一度言いましょう、この作品は「自然の中で育てたり収穫したりした野菜とかを、橋本愛さんが料理して食べる」そういう作品です。でもってずっと面白いし感動しました。

なにしろ橋本愛さんです。例えば彼女が自転車をこいでるのはずっと見ていられるのです。そんな橋本愛さん(役名はいち子)が山奥の村の一軒家で住み、野菜やお米を育て、それを収穫して、料理して食べる。見ていたらそれ以上になにもいらない気持ちになりました。むしろ他の展開なんかがあったら邪魔なくらいに、映像の切り取った瞬間、瞬間はとても美しいです。

『孤独のグルメ』だって最初は少し驚きました。だって「独身のおっさんがひとりで、見つけた小さなお店で食事する」それのみに特化した作品であったからです。そんなものが作品になるのかというと、この作品は独特の心地よさがありました。作り手が面白いと思うシーンのみで作られた至福の作品なのです。『リトル・フォレスト 』にもずっと至福がありました。

映画としては『 リトル・フォレスト 夏・秋』『リトル・フォレスト 冬・春』の2作品でありますが、実際は『夏』、『秋』、『冬』、『春』の4つの作品で、各1時間です(いち季節ごとにエンドタイトルが入る)。

このお話で出てくるのが私なんかの住んでいる限界集落的な場所(高知県長岡郡大豊町です)で、この地区に移住してくる人は、まさにこの『 リトル・フォレスト』のような生き方(田舎暮らし)をしたくてやってくる人が多い。そういう人から見たらたまらない作品かもしれないし、そんな田舎暮らしをしようと思ってない(たまたま住みはじめた)私みたいな人も、見ていて「なにかこれは別の宇宙の話ではなかろうか」と思うような、ひとつひとつが興味深い世界のお話でした。

そうは言っても橋本愛さんしか出てこないわけではなく、小さい頃からの友人の松岡茉優(キッコ)や、三浦貴大(ユウ太)に、お母さんの桐島かれん、キャンプ場の管理の温水洋一(シゲユキ)がその場に溶け込むように存在します(なんだか役でなくてもみんな仲良さそう)。

私なんかはまわりに居る人のイライラを受信して、自分の調子がおかしくなる「敏感さん」体質なのですが、このお話にでてくるいち子が、街に出てきて住みはじめてはみたが、なんだかついていけない感にかなり共感しました。
なんとなく日常生活でまわりに合わせられないとか、通勤電車にうんざりしているとか、おかしなうわさ話で疲れたりした方は、是非この作品に触れて欲しいです。

確かに世界は今も戦争はあるし、悲しいニュースは途切れることがなく出てきます。それに対して「もっとリアルに現実の醜さを掘り下げる」作品が次々に出てきました。
でもだんだんと「そういうつらい現実にばかり注目するって方向しかないのかな?」という疑問が出てきて、現実から目を背けるってことではなくて「あえて別の方向に注目するような作品」が出てきたような気がします。
「そういう方向しかないんではなくて、こういう方向の生き方もあるよ」的な作品は、パッと別の世界が広がるみたいな爽快感があって楽しいですね。
なんだかこの作品は、「また、あの地に生きているいち子とキッコに会いたい」と何度も見たくなりそうな感じが、既にしています。


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